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ヴィッセル神戸のクラブ名称、誕生ストーリー。高校生で有識者会議に参加した時のお話。

 5月15日、「あいつらには絶対に負けられない」という魂を込めた手拍子が鳴り止まなかった信州ダービー。

 たとえ苦しい試合展開が続いても、必ずピンチを切り抜けると選手も同じように信じる勇気を与える。

 試合終了のホイッスルが鳴るまで戦う勇気を持って選手は走ることができたのは、12番目の選手であるサポーターの存在があってこそです。

 第三者ではなく当事者として、選手と共に戦うサポーターの姿をDAZNで見ながら、僕はサポーターっていいなと思いました。

長野サポ・のんちゃんが観た信州ダービーの模様をぜひご覧ください!

 兵庫県神戸市出身で、小学校2年生からサッカーボールを蹴り始めました。高校卒業後は社会人サッカー選手として41歳までプレーしてました。

 このように自己紹介すれば、「サッカー」と「神戸」というキーワードから「ヴィッセル神戸」と思い浮かぶのでしょうか、僕はヴィッセル神戸のサポーターと思われることが多いです。

 でも、僕はヴィッセル神戸サポーターではありません。

 設立当初のころからヴィッセル神戸の良い時期も悪い時期も見聞きしています。そのためか、ヴィッセル神戸サポーターになれず、一定の距離を置いて応援をしています。その理由は後に紹介します。ただサポーターになれなかった理由を書き綴るものではありません。

 読者の皆さまは『ヴィッセル神戸』という名称が誕生するまでの経緯をご存知でしょうか?

 イメージとしてはただ単に一般公募の中から「この名前っていいね!」とクラブスタッフが多数決で決めたと思うかもしれません。あとは商標登録がされていないかを入念に調べたりしたことなどでしょう。

 ヴィッセル神戸は違います。

 クラブスタッフや神戸に縁あるサッカー関係者たちによって名称を決めたのではないのです。

 サッカーを全く知らない神戸の経済界や芸術・スポーツ文化を代表する方々が出席した有識者会議を経て決まりました。

 ヴィッセル神戸サポーターでなくてもこの話は有名で、神戸市出身のサッカー経験者だから詳しく知っているのですか?

 いえ、違います。

 この有識者会議でどのように検討されたのかは、楽天ヴィッセル神戸株式会社のスタッフは知らないはずです。

 なぜなら、当時の事務スタッフでさえも有識者会議をしたことを「何となく覚えている。けど詳しくは知らない」レベルだったからです。

 では、なぜクラブスタッフも覚えていない名称決定の流れを知っているのでしょうか??

 実はですね・・実はですね・・・この有識者会議に高校生代表として出席したからです。

 また、会議に出席したことがきっかけで、ヴィッセル神戸サポーターになりたい想いが冷めてしまったのです。

 当記事ではヴィッセル神戸の名称が決定するマル秘話を紹介し、ヴィッセル神戸サポーターになれなかった理由をお話します。

以下では、読者の皆さまが愛するクラブの名称に込められた意味などを改めて調べるきっかけとなり、より深くクラブへの愛情が増すこと間違いお話がまだまだ続きます!!
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