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あの日『食べられなかった』食事

どもっ、あうるです。

今日は自転車で駅3つ向こうのラーメン屋さんに出かけ、汁なし和え麺を食べてきました。チャーシューが5枚まで無料で増やせる、お得感のあるラーメンでした。

そんなラーメンを食べながら、今回のテーマである「元気をもらったあの食事」が自分にとってなんだったかを振り返ったとき、あの日『食べられなかった』とある食事を思い出しました。


思い起こすと、始まりは京都木屋町のBARからでした。

私のBARデビューは大学生のとき。
「夜は短し歩けよ乙女」という小説を読んで、そこに出てくるBARのモデル、と言われるお店へ行きました。

たしか18時くらいで、開店時間に合わせて行きました。他のお客がいたら緊張するからという理由で。

そこで出会ったバーテンダーがSくん。
話をしてみたら、なんと同い歳。意気投合しました。
それから京都の大学を卒業するまで、サークルの打ち上げからこっそり抜け出して顔を出したりと、よく通っていました。

* * *

その後、就職して京都を離れたため、そのBARには行けなくなりました。

ただ、そのお店はチェーン展開していました。(2023年現在も大阪・東京にそれぞれ10店舗以上を構えているようです。)
ネットで調べると、大阪にも同じ系列のお店がある。

こういう店舗の紹介ページ、たまにスタッフのブログがあるんですよね。
すると、ある店舗のブログにSくんが!(特徴と誕生日が一致していた)

彼も異動で大阪の店舗に来ていることを知った私は、かくして「行きつけのBAR」を大阪にも持つことができました。

* * *

そのお店には店長を務めるSくんの他に、もう一人、私と同じ歳のTくんという男性がいてバーカウンターに入っていました。

彼ともすぐに打ち解けて、仲良くなりました。
若い時分ですから始発まで飲み明かしたり、お店を締めてからSくん、Tくん、私の三人でご飯をしに行くこともありました。

Tくんは料理も得意で、そのお店のフードメニューで手のかかるものは彼が担当しているようでした。
私は食べ歩きをしながらデータ収集もしていたので、写真(下記)を撮ったり、訪問日や食べた料理の感想を記録したりと趣味にいそしんでいました。

▲Tくん作「ツナとアンチョビのカナッペ」

いつからか、Tくんは「スパイス」に強い関心を持ち始めて、自作のカレーを作るぐらいまでになりました。
お互いがオフの日にわざわざ神戸まで行って、ランチにカレーを3軒(その内1軒はなんと中華料理屋!)はしご酒ならぬ「はしごカレー」したのもいい思い出です。

* * *

そんなある日のこと。いつもより深酒をした私は、終電も無くなった午前1時ぐらいにTくんのいるお店のドアを開けました。
「今日はまた〇〇くん、酔ってるねえ」
と言うTくんの声を聞きながら、カウンター席へ座る私。

バイオレットフィズと、あともう1杯ぐらい飲んだ後に、手元のメニューをざっと見て。
(あれは前に食べたな、こっちはまだだけど別にいいかな)
ふわふわした脳でゆっくり考えながら、目に入ってきた一行を読み上げます。

「ポルチーニのクリームリゾット、ちょーだい~」

何度か食べたことがあるポルチーニ茸を効かせたクリームリゾットを注文しました。
(あのリゾットすっごい美味しかったんだよなあ……)と、記憶の中にあるおいしさを思い出して先に味わっていた私。

「うーん、〇〇くん、今日はもうやめとこ?」

んっ?
多分後にも先にも、お店で注文を断られた経験は無いように思います。
今日はたくさん飲んでるようだし、時間も遅いし、やめとこう、とTくんに言われたのです。

そこで「なにをぅ!?」といきり立つようなサイテーな酔い方をしていなくて、心からよかったと思います。
店員とお客である前に、Tくんは友人として私の注文を断ってくれたんだ。
それを嬉しく思い、また暴食しそうになった自分を恥ずかしく思いました。

「そうだね、ありがとうねえ」

と、本当に言ったかどうかは酔っ払いの記憶には残念ながら残っていません。それでも、あの日、食べられなかった食事は、そのやりとりを思い出すたびに、友人の暖かさを感じさせてくれます。


あれから10年くらい経ちました。

このお店はコロナ禍の最中、突然閉店しました。
先日前を通りかかりましたが看板もなく、すでにスケルトン状態でした。

Tくんはというと、そのお店を辞め、本格的にスパイス道を進んでいます。間借りカレーから、現在は大阪でスパイス専門の食堂をオープン。
先日、共通の知人から、Tくんがスパイスの勉強をしに、先週からインドに行ってるという話を聞いて、その凄さに思わず笑ってしまいました。

私も食べ歩きは続けていて、つい先日、このnoteという場所で、飲食について考え、発信する機会をつくろうと動き出しました。
「おいしい」を願う人の役に立ちたい。お店もお客も、お互いが幸せになれるような知識や考え方を持つ手助けになればいい。そう考えています。

私がそう考えられるようになった、これまでの「おいしい」食事の中に、このときの「食べられなかった」食事が、とても大事な大事な一皿として刻まれています。

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