OWCモノローグ)僕の叔父さん by笠羽流雨

 人生初の高級フレンチのメニューは全然覚えていない。確か、ものすごく生っぽい肉があった。フカヒレのスープもあったらしいけど、それは後になって母に聞いた話だ。その時の僕はフカヒレどころじゃなかった。都会の超高層ビルの最上階で僕の目の前に座ったのは、初めて会う叔父さんだった。
 これは小学校に入学してすぐの頃の話だ。
 まず、僕はその叔父さんについて述べておきたい。叔父さんはかつて警察官を目指し、しかし《とある事情》によってその夢に挫折して、以降ひたすらに体を鍛えたという人だった。極真空手と少林寺拳法をやっていて、叔父さんの腕は僕の太ももより太かった。叔父さんはしわ一つないスーツをぴっちりと着ていて、父のことを「お兄ちゃん」と呼び、ワインの飲み方もいかにも丁寧だったけれど、頭はホワイトボードみたいにツルツルだった。
 僕は殆ど叫びだしそうだった。
 叔父さんの頭は本当に、本当に、店内のあらゆる光を反射していたので、叔父さんが絶妙な角度で俯いて笑うと、反射した店内の照明が容赦なく僕の眼を襲った。その光を僕は今でも鮮明に覚えている。眩暈を誘発するような、妖しい光だった。
 大人たちの会話は始終冗長でつまらなかった。叔父さんは黒目と白目が分からなくなるくらいに目を細めて僕にいくつか質問した。
「学校はどう?」
「テレビは見るの?」
「いつもは何して遊んでるのかな?」
 僕は怖かった。怖かったけれど……目が離せなかった。
「ん、どうしたの?」叔父さんが聞いてきた。
 どうしたもこうしたもないよ……。食事の間ずっと、僕は初めて間近に見るスキンヘッドについてしか考えられなかった。なんて邪悪な髪型だろう。いや、髪型とさえ言えまい。蛇だ。あれは蛇の頭だ。妖怪だ。この世のものではないんだ。
 当時の僕は、髪は長ければ長いほどいいものだと考えてた。だって、自然に従えば、髪は伸び続けるのだもの。僕は髪を切ることはなにか残酷な行為だと直感していた。だから、散髪の時はいつも泣いていたくらいだ。それが、あろうことか、この人は髪の毛を一本残らず刈り取ってしまったのだ。一本残らず!
「どうして……?」
「ん?」
「どうして?」
 やっと出た言葉だった。叔父さんは僕の眼を覗き込みながら優しく答えた。
「ああ、これはね。光ってるだろ。椿油を塗っているんだよ」
 椿油ってなんだよ!! ああ、この人はやっぱり狂ってる。でも……でも、そうなんだ、やっぱり、目が離せなかった。見てはいけないと思うほどに、あの怪しい光のほうへ引き寄せられてしまうんだ。駄目だ、駄目だ、こんな邪悪なものに僕は……僕は……? 僕は触りたい。そう、僕はたまらなく触ってみたかったんだ!
 食事の最後に僕は立ち上がって叔父さんの元に行った。叔父さんは親切な人だったので僕と喋ろうと、僕に眼の高さを合わせてくれた。手を伸ばせば、そこにある、怪しく光るそれがある。
 かつて虹の根元を探した旅人がいたという。僕にはその旅人の気持ちが分かるような気がする。踏み入ってはいけない、神聖な場所、伸ばした手のあと、五センチ先に……。
「あ、触る?」
 叔父さんはそう言って少し俯いた。この時の驚愕を超える驚愕に僕は未だ出会ったことがない。
 僕はごく簡単に、動物園の一角の《体験コーナー》なんて名前の場所で飼い慣らされた蛇に触るみたいにして、叔父さんの頭に触ることができた。ペチペチペチと三回ほど叩いて、
「やめた方がいいよ」
と言った。

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