OWCモノローグ)教室のそとの世界 by笠羽流雨

【注意】
男性・女性どちらでも可。
一人称は「僕」または「私」でお読みください。

 三十分間連続して座り続けることができない子どもだった。
 しかも、劣等生の僕には小学校の授業はあまりにも退屈だった。先生が言っていることはまるで意味不明だった。
 教室にいても、教室の外のことをいつも考えていた。
 僕は理科のノートに夢で見た愉快な生き物の絵を描いたり、プリントを丸めて窓の外を覗いたりした。窓の外では、僕が描いた愉快な生き物たちがぷかぷか浮遊しているかもしれなかった。僕は時々、わけもなく突然立ち上がって教室を歩き回った。
 ノートに書いた絵を見せると両親は褒めてくれたが、先生は顔をしかめた。その絵はきっと先生には難し過ぎたのだと思う。僕が学校の授業を理解できないのと同じだ。事実、先生はその絵から目を逸らさず、しばらくじっと考え込んでいる風だった。それから理解できないというように諦めを含んだ優しい口調で「今は理科の時間だからね」と言った。
 教室にいても、教室の外のことをいつも考えていた。
 ある日、母と私と先生の三者面談の途中で僕は席を立つように言われた。先生の声はいつにも増して変に優しくて、ちょっと気味が悪かった。僕は教室を出て、廊下を端から端まで何度も往復した。母と先生はなかなか教室から出てこなかった。
 その夜、母が重い口を開いた。先生は僕を特殊学級に入れる事を提案したのだった。僕は僕のどこが特殊なのか全然理解できなかったけれど、先生が特殊というからにはきっと特殊なのだろうと思った。
 「特殊学級は”しょうがい”のある子が行く場所なんだよ」と母は説明した。しょうがい、という文字は漢字でどうやって書くんだっけと僕は思った。僕は普通学級でも特殊学級でもどちらでもいいと言った。
 しかし、そんな僕を両親は心配し、無理矢理勉強をさせ始めた。両親が僕に何かを強制すのは初めてだった。それまでそんなことがなかっただけ、多分僕は恵まれていたのだろう。でも、家の中は地獄だった。僕はまず30分以上座り続けることから始めた。漢字の書き取りも両親とやった。僕は五文字書くごとに白目をむいて天井を見上げた。
 三ヶ月が経ち、僕はビリから上位になった。特殊学級の件もいつの間にか忘れ去られた。僕は毎日普通学級に通った。しかし、実際、何をしても楽しくはなかった。以前みたいにノートに絵を描くこともやめてしまった。
 だんだん、教室の皆がすごく馬鹿みたいに見えてきた。ひどい言い方だって分かっている。けど、仕方がない。先生が問題を黒板に書く。そして、誰かにあてる。
「分かりません」
「じゃあ、君」
「わかりません」
 なんで、皆こんな簡単なことで悩んでいるんだろう。僕はなんでここにいるんだろう。
 その頃から僕の熱中できる唯一のことは本を読むことになっていった。本を読むことだけは何時間でも集中してできた。外の音が全然聴こえなくなるくらいに集中して読んだ。退屈な現実の記憶より、イメージの中の記憶の方が鮮明なくらいだ。特に好きだったのは航海記。ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『宝島』での冒険の記憶は今なお僕の宝物だ。ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生航海記』にチャールズ・ダーウィンの『ビーグル号航海記』……。
 多分、僕は遠くへ行きたかったんだと思う。教室の椅子から立ち上がって、家でも、学校でも、普通学級でも、特殊学級でもなくて、もっとずっと異常で、わくわくするような場所へ。

ーーーーーー
モノステ/モノステフレッシュに関しては上演に際して連絡は不要です。
それ以外の場で上演いただける場合はご一報くださいませ。
なお上演にあたってお代は一切頂戴しません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?