新作講談脚本『分け綱の由来』

以前拙サイト「なかむら記念館 落語別館」に新作落語脚本として公開した『分け綱の由来』を、講談脚本としてnote用にちょっとだけリメイクしました。かなり長めですが、よろしければ御一読ください。

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<登場人物>
・大砲万右衛門(おおづつ・まんえもん)
・雷権太夫(いかずち・ごんだゆう)
・尾車親方
・男A、B



――相撲の世界では、いつの時代も個性派力士に人気が集まります。
「体が大きい、または小さい」「得意技がある」「生い立ちに惹かれる」「顔が面白い」など、いろいろございます。

ここにございましたのが宮城は白石出身の力士、大砲万右衛門。
上背が六尺五寸、今の数字に直すとおよそ195cm。目方が三十五貫、およそ130㎏と申しますから、明治の頃としては桁外れの巨体です。
このお話は、今から百年以上前、明治三十四年に第十八代横綱となりました稀代の個性派力士・大砲の、相撲史に残る逸話でございまして…

本所・回向院に初代の国技館建設が始まって間もない東京・両国の尾車部屋。
相撲協会筆頭取締役の雷権太夫が、苦々しい顔で、横綱大砲と親方・尾車を睨みつけております。


雷「大砲……わりゃ、焼き芋がホンマ好きやな。
 朝から晩まで、食ってけつかる。
 稽古と寝床とチャンコの時だけかい、芋ォ食わんのは」

大砲「そんなこたぁ無いですわい。
 この間、チャンコのメシが足らなくなった時、メシの代りに芋ォ食った」

雷「大砲…… なぁ、横綱よ…… こりゃ万次!」

尾車「まぁまぁ雷さん……
 今日の万次は、土がついて、機嫌が良くないですから……」

雷「わかっとります、尾車ハンは黙ってらっせぃ!
 なんじゃ、今日のあの土俵は !?
 相手は新入幕の若左倉(わかさくら)や。
 そんな若造にドン臭く負けよって… 病人かて、もっと早よ動くで!」

尾車「雷さん、横綱は何年も前からリューマチが悪くて……」

雷「わかっとるちゅうに!
 ワシゃこいつに、力士としての心がけを話して聞かせるんじゃ!

 だいたい貴様ァ、新弟子の時からドン臭かったわ。
 でかい図体して、相撲の要領はさっぱり悪うて、前相撲を3場所取っても、まだ序ノ口にすら、よぉ上がらん。
 それで、ここにおる、師匠の尾車ハンが勧進元になった場所で、ようようのお情け出世やったがな。

 それからも、土俵に上がれば、長い手で突っ張って前へはたくか、背中越しに上手を取って、ガップリ四つからゆっくり寄る、そんな不細工な相撲専門じゃったがな!」

尾車「それは、師匠の私が至らぬばかりに……」

雷「アンタは黙ってなされ!
 相撲だけやない、何ぞちゅうと、あっちが痛む、こっちがうずくとぬかしとった。
 精神がたるんどる証拠じゃ!

 いいか、貴様には若い頃から、そのでかい図体に惚れこんだタニマチ、御贔屓衆がぎょうさんおる。
 皆して、早ぅから出世を待ち望んどるのに、さっぱり出世しよらん。

 そのタニマチが何度も協会筆頭取締のワシの所に来られて、『大砲をはよ出世させぃ』『はよ出世させぃ』とおっしゃるんで、仕方なしに、貴様が新入幕の場所、負け越したにも関わらず、翌場所、三役に昇進させてやったんじゃ。
 タニマチの機嫌をとるのに、ワシも苦労しとるんじゃで。

 まぁ、何のかんの言うても、大関・横綱にはなれた。
 でも、そのあとがいかん。

 名のある大旦那が、ワシと貴様と尾車ハンを呼んで、『郷土の大横綱・谷風の二代目を名乗りなさい』という、本当にありがたいお言葉を下さった。
 にも関わらず! 貴様は断って、大旦那に恥をかかせよった!

 その上、うちの部屋の梅ヶ谷と、出羽海ハンの部屋の常陸山が、揃って横綱に昇進して、相撲人気がこれから隆盛……という大事な時だ。
 貴様、土俵を逃げて、兵隊に行きよったろ!
 横綱なら、土俵で敢闘精神を発揮して、お客さんを喜ばすもんじゃ!
 なんで梅・常陸とともに、相撲界を支えようとせんかった!」

尾車「雷さん、それは……」

雷「やかましい!
 中でも、ワシが一番気に入らんのは…… 貴様の出世を見込んで、うちの大事な娘のおせんを嫁にやったら、たったの2年で離縁しよった!」

尾車「雷さん、あれはおせんさんの方から、三行半を渡されて……」

大砲「ふふっ、そのあと、雷さんのお弟子の梅ヶ谷が嫁にしてのぅ。
 もっとも、それもまた、先月離縁なさったか。
 とかく盟家の女子は扱いづらいのぅ」

雷「だ、黙れーっ!
 ぬかしよったな! もう勘弁ならん!」

尾車「まぁまぁ…… 今日の所はどうかご勘弁を。
  横綱も芋ばっかり食ってないで、親方に謝るんだ」

大砲「雷さん……
 屁で『すまん』と言えたら、許してくれますかのぅ?」

雷「ききき、貴様ぁーっ! コケにするにもほどがある!
 いいか! ワシゃ、東京大相撲協会・筆頭取締、
 大雷(おおいかずち)こと雷権太夫じゃ!
 協会で最も偉いワシにとことん歯向かいくさって、
 さんざんコケにした挙句、『屁で謝る』などとぬかしたな?

 今後、横綱の地位を汚すような相撲を取ってみろ、
 その時はワシから引退勧告したる!
 今日みたいなドン臭い負け方は、金輪際するな!」

大砲「……つまり、『負けなんだらええ』っちゅうことですな?」

雷「そうじゃ! 負けなんだらええんじゃ!
 横綱たるもの、黒星さえ喫しなければ、立派に名誉を保てるんじゃ!
 わかったら、そう肝に銘じておけ! ごめん!」

大砲「……帰んなさったのぅ」

尾車「横綱、あれはいくら何でも言い過ぎだぞ」

大砲「ワシゃどうも、あそこの親子とは馬が合わんのぅ……。
 わぁわぁと、けたたましゅうていかん……。

 ワシゃ昔から、体が丈夫ではなかった……。
 『相撲取りは食いたい放題、のんびり過ごせる』と言われたで、宮城からわざわざ、親方の部屋に弟子入りしたんじゃ。
 なのに、番付に名が載りゃぁ『次は関取じゃ』、関取に上がりゃぁ『次は大関じゃ!』と、雷さんや、他の親方衆らが騒ぐでのぅ。

 ワシゃそんなに、せせこましく生きとぅはなかった……。
 好物の芋を食って、相撲甚句を聴いて、五目並べでもして、たまに相撲を取って、ゆっくりのんびり、過ごしたかった……。

 でもワシゃぁ、親方には感謝しとるでのぅ。
 弟子に入って、相撲の世界が心底、好きになったでのぅ。
 本所両国、回向院あたりの風情は、何とも言えんわい。
 場所が近づけば、春風たなびくに力士幟の列、呼び出し奴が櫓でたたく触れ太鼓の音、どこからともなく聞こえてくる相撲甚句の、粋な節回し。
 ああ、相撲甚句はええのぅ。
 そうじゃ、ワシも今度、甚句の文句なぞ考えてみますかい?」

尾車「そんな呑気なことばっかり考えてちゃダメだ。
 雷さんは『今度ドン臭い負け相撲を取ったら引退勧告だ』とおっしゃってたじゃないか」

大砲「大丈夫じゃ、親方。
 雷さんもおっしゃっとった。要は、負けなんだらよかろう。

 ワシゃ、体がもうボロボロじゃで、勝ちに行っても勝てん時がある。
 なまじ動くと、今日の若左倉みたいな若い相手にゃ、動き負けする。
 でも、両上手から相手を抱え込んで、ガップリ四つに組めば、ワシのこの上背と長い腕じゃで、そうは相手は動けんわい」

尾車「なるほど、ガップリ四つからジワジワ寄るんだな」

大砲「いや、寄らん」

尾車「では、腰をグッとすえて、吊り上げるか」

大砲「そんなことをしたら、ワシゃ腰がくだけるでのぅ」

尾車「ではどうするんだ」

大砲「そのまま、何にもせん」

尾車「何にもせん? それでは、水入り引き分けになってしまうぞ」

大砲「引き分けにするんじゃ。
 これからは全部の取組で、引き分けを狙いますわい。
 これなら、負けにはならんでのぅ」

尾車「しかしそれでは、雷さんが何と……」

大砲「ハハハ、それは心配なさるな。
 『負けにゃええ』と、さっき雷さんのお墨付きをもろうた。
 それに雷さんは、引き分けには鷹揚なはずだでのぅ……」


――ここで、噺の舞台である明治時代の「引き分け」というルールについて説明いたしましょう。

現在でこそ、大相撲で引き分けはまったく無くなりましたが、明治時代の土俵では、まだまだ引き分けはたくさんございました。

現在の相撲規則では、引き分けになるには、まず「水入り」、いっぺん休んで再開してまた「水入り」、二番後取り直して、その土俵でさらに二度「水入り」にならない限り、引き分けにはなりません。
しかし当時のルールでは、「水入り」二回で引き分けとなりました。

検査役……つまり勝負審判ごとの判断に差はあるとはいえ、現在ならば5分か6分、組んでジッとしていれば、引き分けとなって「負け」はつかない勘定になるわけです。

ですからこの大砲のように、番付上位の人気力士が、体調不良なのに、興行の都合やなんかで無理矢理出場させられるような場合、自分からわざと引き分けに持ちこむ例も、明治には珍しくなかったそうです。

先程の大雷も、現役時代、休場明けに4日出場して4引き分け、なんて場所もあったそうですから、そりゃ引き分けに鷹揚なのも道理でして……。


男A「なぁ、今やってる相撲、知ってるか?」

男B「いや」

男A「知らねぇのか。凄いことになってるんだ」

男B「凄いこと? ハハァーわかった。
 今をときめく梅・常陸が、土つかずでせり合ってるんだろう」

男A「そうじゃない」

男B「じゃ、目を見張るような若手が現われたか?」

男A「なかなか」

男B「じれったいな、何だい?」

男A「おまえ、大砲は知ってるだろ」

男B「ああ、あの図体はバカでかいのに、のそのそしてて、
 強いんだか弱いんだかハッキリしねえ、中途半端な横綱か」

男A「そうだ、その大砲が今、凄いんだよ……」

男B「連勝してるのか?」

男A「いや、連勝はしてない」

男B「じゃ、連敗して現役生活の剣ヶ峰」

男A「いや、連敗もしてない。
 連引き分けしてる」

男B「連引き分け? 何だそりゃ」

男A「ここに星取表がある……な?
 『明治四十年夏場所大相撲星取表 七日目』。
 見ろ、『東張出横綱 大砲』の星取りを。
 初日から七日目まで全部、引き分けのバツ印が打ってあるだろ」

男B「へぇーっ。初日から七日目まで、全部引き分けかよ。
 きれいに並べたもんだねぇ。
 しかし大砲ってのは、前からこんなに引き分けが多かったかね?
 町内一の相撲好きのおまえなら、そのへんのことは詳しいだろ?」

男A「ウォッホン!
 ご要望とあらば説明してしんぜよう。
 ここに取り出したるは、今から二年前、明治三十八年夏場所の星取表」

男B「なんで二年前の星取表まで持ち歩いてるんだ?」

男A「三日目、新入幕の若左倉に苦杯を喫した横綱大砲。
 翌日から、自分の取り口をすっかり『引き分け』に変えて、自分の存在証明を始めたんだな。
この場所、四日目から千秋楽まで全部引き分け。都合二勝一敗六引き分け。さらに取り出したるは、こちら、翌三十九年春場所の星取表!」

男B「持ってるね」

男A「二日目、大蛇潟(おろちがた)との一番に勝った他は、すべて引き分け! 成績がなんと『一勝八引き分け』ときたな」

男B「へぇー、こりゃ驚いた。こういう形で存在証明をしてるのか」

男A「その後、全休と途中休場で二場所空けて、体調を整えての今場所だ。

 初日から四日目までは、小柄な平幕力士が続いて無難に引き分け。
 五日目は、先場所取りこぼした高砂部屋の小柳だったが、これもなんとか組み止めて、引き分け。
 六日目、七日目も順当に引き分けて、続く八日目は、日の出の勢いの大横綱・常陸山谷右衛門!
しかしこの剛力無双の常陸山も、なんとこの大砲には、相性が悪かった」

男B「苦手にしていたのか。どれぐらい苦手なんだ?」

男A「先場所の対戦成績、大砲の二敗五引き分け」

男B「二敗五引き分け……なんだ、大砲は勝ってないじゃねえか」

男A「いやいや、今まで五度も引き分けてる相手なんだぞ。
 大砲にとってこんなに助かる相手はいないや。
 この日もまんまと引き分けた。これで初日から八日連続引き分け。
 そして今日千秋楽が、上り坂の若手大関・駒ヶ嶽だ。
 初日二日目と休んだものの三日目から出場して、土つかずの六連勝中だ。

 そこで話なんだがな、大砲が全引き分けの記録を達成できるように、今から場所へ出かけて、大砲を応援しようってんだが、どうだい?」

男B「いいねぇ、乗った!
 昼行燈みてえな相撲を取る野郎だとばっかり思っていたが、その話を聞いて、その心意気が気に入った! さっそく行こうじゃねーか!」


――と、男が二人、やって参りましたのが、東両国元町空き地。大相撲夏場所千秋楽の会場でございます。
客席は黒山の人だかり、場内立錐の余地も無い状態。
東京相撲の人気を二分する梅ケ谷・常陸山の両横綱、梅・常陸の相撲を見届けようと集まった相撲好きの中、ごく一部の好事家が、大砲の引き分けに注目しております。

――そうこうしている間に、呼び出し奴が土俵に上がり、結び前の取組を呼び上げた。

 東ぃ~ 大砲~ おおぉ~づぅつぅ~

 西ぃ~ 駒ヶ嶽~ こまぁがぁ~たぁ~けぇ~


男A「見ろよ見ろよ。呼び出しの声につられて上がったよ」

男B「上がったな」

男A「続いて向正面、行司溜りから立行司・式守伊之助、土俵中央に進んで、軍配で呼び上げる!
 かたや、大砲ー、大砲ー、こなた、駒ヶ嶽ー、駒ヶ嶽ー」

男B「おまえといると全部説明してくれるから楽でいいな。
 そのまんま続けててくんな」

男A「東は張出横綱・大砲万右衛門。
 昨日まで八日間すべて引き分け、今日の土俵に、前代未聞九日間全引き分け記録を打ち立てんと、千秋楽、結び前の一番に臨みます。

 対する西の大関は新星・駒ヶ嶽国力(くにりき)。
 六尺二寸(約188cm)、三十六貫(約135㎏)の巨躯は、大砲に負けずとも劣りません。
 筋骨隆々、左四つ右上手から繰り出す投げの強さは、次期横綱候補の最右翼。
 同じ宮城出身の先輩・大砲を相手に、果たしてどんな取り口を見せるでしょうか、駒ヶ嶽。

 両者、仕切りを重ねます。
 顔面が紅潮しております駒ヶ嶽。気合いが入ってきたか。
 両者、塩をまいて土俵中央へ。足取りにも力がこもってまいりました。
 両者の気合いを察してか、お客さんの声援がいよいよ高まってきた。

 さぁ、これが最後の仕切りとなりますか。
 両者、そんきょの姿勢から、両手をついて……
 立った!
 両者、差し手争いから、右四つに組んだ!
 右四つは大砲の得意な組み手です。
 これは大砲有利。駒ヶ嶽、窮屈そう。

 大砲、じりじりと左横ミツを引きつけ、両足の構えを固めます。
 駒ヶ嶽、窮屈な姿勢から、無理に寄ろうとするが、寄れない!
 大砲の上手の引きつけが強くて、動けません!
 さぁ、いよいよ大砲の、全引き分けへむけての準備が完了しました!

 いかがですか、ここまでの二人の取り口は?」

男B「えっ、俺かい? 俺まで巻き込むんじゃないよ」

男A「いいんだよ、何でもいいから答えねーな」

男B「わかったよ……。
 そうですね、何と申しましょうか、
 両者、寄りも寄ったり、受けも受けたり、という所で……」

男A「うめえじゃねーか。

 おっと、ここで! 正面土俵下の検査役の右手が挙がった!
 最初の水入りの合図です!
 行司伊之助、両者の背中をたたいて、相撲を止めた!
 両者、土俵中央でゆっくり組み手を解き、体を離します」

男B「いやぁ、力が入りますねー」

男A「大砲、駒ヶ嶽、それぞれ再び赤房下、白房下に降りて、力水をつけ、汗をふいて、まわしを締め直します。
 いかがですか、大砲の記録達成の可能性は?」

男B「そうですね、引き分けだけに、ワケないでしょうね」

男A「……さて、勝負再開です。

 東から大砲、西から駒ヶ嶽が再び土俵に上がります。
 伊之助が、検査役と確かめ合いながら、足の位置を二人に指示します。
 組み手を定めて、まわしを持つ手の位置を定めて……
 形が決まったところで、伊之助、両者の背中を……
 たたいた! 勝負再開!

 土俵中央ガップリ四つ、互いに譲らない!
 二十七歳、次期横綱候補の大関・駒ヶ嶽、ここは動きたい。
 しかし老練三十八歳大砲、大山のごとく微動だにせず!
 まことに、千秋楽にふさわしい大相撲!」

――ヨーイ、ハッケヨーイ

男A「伊之助の声が響き渡ります。
 次第に両者の体から、再び汗がほとばしってます。

 おっと、ここで駒ヶ嶽、唸り声をあげながら、力を振り絞るように、正面土俵際へガブリ寄り!
 大砲も粘りを見せてこらえ、左から投げをうってかわし、再び土俵中央!
 駒、寄り切れず! 場内は割れんばかりの大歓声!

 さしもの若武者・駒ヶ嶽も、もはやマゲは乱れ、息も大きく上がっております。両者ガップリ四つ、胸を合わせて動かない!

 一方、全引き分けを目指す横綱・大砲は、後は検査役の手が挙がって、行司が止めるのを待つばかり。
 心無しか土俵上、この席から見える大砲の顔は、口元が微笑んでいるように見えます……。

 おっと! 今!
 再び検査役の右手が挙がり、伊之助が両力士の背中をたたいた!
 引き分け! 引き分け!
 横綱・大砲、九戦九引き分け!
 大相撲史上、一場所全引き分けの偉業が、今、達成されました!

 今の大砲の相撲ぶり、いかがですか?」

男B「えっ、またかい? えーと、そうですね……
 まぁ、これだけ引き分けばっかりですと、
 『横綱』ではなく、『分け綱』ですねぇ……なんてな」

男A「分け綱?」

男B「いやいや、急にふられたもんだから……」

男A「うまい!」

男B「あ、うまかった?」

男A「明治四十年夏場所、横綱ならぬ『分け綱』の誕生です!
 東張出横綱・大砲万右衛門、成績、九戦九引き分け!
 前代未聞にしておそらく空前絶後の快記録!
 初代『分け綱』大砲が、今、万感尽くした面持ちで、東の花道を後にしてゆきます!」


――すると、場内のどこからともなく、「分け綱ーっ!」の声が飛ぶ。
つられたかのように、別の方からも「分け綱ーっ!」の声。
あっちからも「分け綱ーっ!」、こっちからも「分け綱ーっ!」、
分け綱、分け綱、分け綱、分け綱……


男A「よっ、分け綱……いや横綱!」

大砲「おお、これはこれは。
 先程、桝席でずっと土俵の様子を喋っておられたお客さんで?」

男A「ありゃ、横綱、見えてたのかい。余裕あったんだねぇー。
 これからずっと贔屓にするよ」

大砲「ごっつぁんです。失礼ですが、お名前は?」

男A「俺か? 俺は古舘伊知蔵ってんだ。よかったら覚えといてくれ。
 それで贔屓になった記念といっちゃ何だが、
 ひとつ色紙を頼まれちゃくれねぇかな?
 祝儀はこの次で勘弁してくんねぇ」

大砲「いやぁ、ご祝儀には及ばんで……。
 色紙と筆を貸してくだせぇ」

男A「頼まれてくれるかい? 悪いねぇ。
 あー、書いてる書いてる……また随分、細かい字だねぇ。
 なんだか手紙みてぇに、細かい字をびっしり書いてるよ。
 横綱、出来たかい?」

大砲「出来ましたでのぅ」

男A「すまないねぇ。ちょっと読ませてもらうよ。どれどれ……」

――と、大砲が書いてみせたのは、長い長い相撲甚句でございまして。

  強いあかしの 横綱目指しヨ

  あやかわ修業を 幾星霜

  丸やま土俵は わが根城

  病、たにかぜ ものかはよ

  おのがわ出世を 励ましに

  部屋の期待を おうのまつ

  雷の娘を 稲妻にするもヨ

  「私ゃしらぬい」と 三行半

  雷なれば どしゃ降りの

  こいつは ひでぇの山の神

  これがうんりゅうの 分かれ道

  御免蒙る 「しらぬい」よ

  これを土俵の 陣幕にゃせぬとヨ

  痛む体に 力水

  己の道をば きめんざん

  されば人生の 境川は

  四十八手の また上手

  四十九手めを うめがたに

  右四つ組めば 西の海へヨ

  日が沈むまで 不動尊

  何のこにしき 負けはせぬ

  伝家の宝刀 引き分けは

  日下開山(ひのしたかいさん) 十八代

  その名も 大砲万右衛門ヨ

  はー ドスコイ ドスコイ


男A「ほほぉ! こりゃ相撲甚句ですな。
 しかも、歴代横綱の四股名が織り込みになってるんだ。
 横綱の作ですかい? こりゃオツだねぇ!
 横綱、ぜひ来場所も連続引き分けの記録をこさえとくれ!」

大砲「いいや、ワシゃ今場所でもう、思い残すことは無くなりましたでのぅ。今場所を限りに、土俵には上がらんです」

男A「土俵には上がらん? てぇと、今場所限りで引退かい?
 残念だねぇ。いったい、どんなわけで?」

大砲 「わけ?
 “分け”は今日で打ち止め、千秋楽じゃわい」


――と、サゲがついたかどうかは分かりませんが……。

こののち、年寄・待乳山(まつちやま)を襲名してからは、持ち前の話術と、頭の回転の速さを利用して、地方巡業の交渉役として相撲協会に貢献。
大正7年に48歳の若さで没します。

今から百年以上前、明治後期の名物横綱・大砲『分け綱の由来』。
またの名を『プロフェッショナル・分け綱の挑戦』。
これにて一巻の読み終わりといたします。

  <完>

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