生き延びる理由
サンエーの2階、衣料品コーナーを歩き回っていたらのぼせてきた。暑い。長Tとパーカーでは厚着だったらしい。店員のほとんどがまだ半袖だ。沖縄の11月の後半って、マスクをしてない頃もこんな感じだっただろうか?
裾上げに1時間ほどかかるというので、ひと休みしようと入ったスタバはゆるめの冷房がかかっていて、ホットのほうじ茶ラテは若干ぬるく、今日の私には適温だった。窓際の席では半袖ワンピースの妊婦さんとローゲージニットのセーターを着た女性がお喋りをしている。
21ヶ月ぶりの帰省の翌日、私が実家の隣街のショッピングセンターにいるのは、母の外出用のズボンを買うためだ。彼女が散歩と通院以外は家から出なくなってもう4、5年になる。
「太ってしまってもう着られるズボンがひとつしかないわけ。これと同じようなのが欲しいさぁ」と電話で聞いたのは、まだワクチンの製造か認可か接種かどれかの目処がまだたっていない頃だった。
そのズボンのタグに記されたサイズと測った股下の長さを教えてもらう。あるいは、現物を一度こっちに送ってもらい似たようなものを買って送るという案を出した。しばしの沈黙の後「あんたが来れるようになってからでいいよ」と母は言った。ふた月にいっぺんぐらいはそういう会話をした気がする。
「ブラジャーも狭くなってきたから、そっちで何か見繕って送って」と言われたのは第5波の最中だった。これは近所のイオンと通販サイトを利用してリクエストに応えた。
サンエーの店員さんに持ってきたズボンを見せ、これと似た感じのものが欲しいと言うと一緒に選んでくれた。サイズと布の厚さや手触り、足の付け根あたりの幅もひとつひとつ確認して2着購入した。
お直しの手続きと会計を終えてあと、書店で母が読みたがっていた上間陽子さんの「海をあげる」と、発売されたばかりの「つながる沖縄近現代史」を買った。せっかくスタバにいるのに本を開く気にならないのが惜しいな。
(もう1回沖縄行って、ズボン買わな)を、差し当たっての生き延びる理由にして暮らしてきた。もし実家に行けないままだったら、歳上の従姉妹の誰かが引き受けてくれただろう。私じゃなきゃということはない。
(息子に会うまでは)や(また〇〇ができるようになるまで)を支えにしても良かったはずなのに、私はズボンの方を選んだ。シリアスな心持ちの時に思い出すとちょっとだけ笑えたし、感染予防策としてもよく機能した。
なんだか体がフワフワしている。これは開放感か、それとも漂流感か。
当分は、この命を守るのにカリカリしなくていい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?