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雨蛙の子は

Got on board a westbound 747
Didn’t think before deciding what to do
Ooh, that talk of opportunities, TV breaks and movies
Rang true, sure rang true...

西行きの747に乗ってたよ
ただその時の勢いで先のことを決めたんだ
チャンスが溢れるほどあって、TVでブレイクした話とか映画に出たって話を聞いて
本当だって思えたし、それが信じられたから…

It never rains in Southern California
/ Albert Hammond
邦題「カリフォルニアの青い空」

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 俺が小さい頃、父親が乗っていた軽トラのカーラジオから流れていた曲だ。オーディオ弄りが好きだった父親は、軽トラに不釣り合いなスピーカーを助手席に乗せてお気に入りのCDを流していた。

 当時、俺と家族は宮城県七ヶ浜町に住んでいた。ここは隠れたサーファースポットとして僅かばかり知られていたので、父親が流していたサザンオールスターズやTUBEとは相性が良かった。夏は近所の菖蒲田浜海岸にかかる一直線の通りを走りながら「あー夏休み」なんかを流していた。照りつく日光の中、窓を全開にしてサビを熱唱しながら、始まったばかりの夏休みに希望を抱いていたのは、今でも鮮明に覚えている。

 当時はまだ音楽サブスクもBluetoothもなかった。だから父親がお気に入りの音楽を流す時は、きまってCDやMDをダビングしてセットリストを作っていた。サザンやTUBEも、元のCDではなく、蔦屋から借りたものをダビングして流していたのだが、父親のセットリストからは、時々それらとは別の聴き慣れないフォーク調の曲がかかっていた。それが「カリフォルニアの青い空」だ。

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 俺の父親は仙台高専を首席で卒業し、新卒で入った官営通信事業会社で叩き上げてきたことをよく晩酌のネタとして話していた。(仙台高専は呪術開戦のモデルにもなったことでも有名だ。)

 当人にとっても誇りではあったのだろうが、小学生の自分には正直何をしているのかがよくわからなかった。ただ、子供ながらになんとなくこんな沁みったれた大人にはなりたくないなとか、こんな大人にはなるまいという反骨心だけはあった。

 父親は真面目で頑固だった。テレビはいつもNHKを流し、晩酌時にはニュースで政治と経済への不満、或いはどこで仕入れたのかわからないマニアックな歴史を語る人で、話は面白くなかった。だが、ロシアの怪僧ラス・プーチンが実は巨根で「本体」が博物館に展示されている話だとか、サッカーは元々8世紀頃のイングランドで、戦争で討ち取った将軍の首を蹴って遊んでいたことに由来するスポーツだったとか、どこから仕入れたのかは分からないが、いくつかの雑学は記憶に残っている。

 そんな普段は自慢話か少しハイソぶった話しかしない父親が「本当は大企業なんてつまんねぇよ」と漏らした。同僚がオフィスで自殺したのだという。その日から俺は、社会の歯車になることを嫌った少し賢しぶった偏屈なガキへと心を拗らせた。

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 10年以上が経った。俺は自分がそうならないと信じていたのに「父親と同じ業種の、同じ事業領域の、同じエリアで働くサラリーマン」になってしまった。

 勉学も部活も十分にやりきった。学歴コンプだった父親を越すべく、地元では有名な大学に合格した。そこでも怠惰に完全には溺れきることなく、偏屈なりに学生生活を充実させた。就活では東京のキラキラハイスペリーマンになることを目指していた。

 そのはずが気付けば配属も勤務地も全て希望を外していた。今や、父親と同じレールを歩もうとしている。まあ、思えば働くことへの視座感は父親がベースになっているので、こうなってしまったのは運命だったのかもしれない。

 「努力教」に縋れば皆が憧れるスーパースターになれるという訳ではない。特別になるにはジャンプ漫画よろしく生まれ持って得た強い血筋・才能だったり、その道の師のような人間とのコネクションだったり、運が必要だと思う。

 もっと言えばスーパースターになったとて、絶対的な幸福が保障されているわけでなく、その人間の人格に伴った生活が淡々と続くわけであり、内面に難があったり、魔が差したりすれば一瞬でその栄光も虚構となる。家庭崩壊なんかもその例には漏れない。その逆も然りだ。もはや流行語を飛び越して一般語彙にまでなった「親ガチャ」はそれら全てを包括している言葉だと思う。

 結局のところ「蛙の子は蛙」なのだ。確かに何かしらのきっかけでポテンシャルの配分が変わり「鳶が鷹になる」ことはあるが、人生全体ベースで考えればその配分が乱れることはない。

 デキ婚で生まれ子供の頃から暴力とカリスマ性でガキ大将として地元でいわせてたヤンキーも、実家と才能と容姿に恵まれ今もエリート社会で活躍し続けるあの人も、いつも幸せオーラと明るい笑顔で周りを暖かくしてくれ、今も旦那と仲睦まじく過ごしているあの子も、不倫相手の子供として生まれ嘘と浮気を繰り返した挙句、今も場末の風俗嬢として夜を彷徨う高校時代の元カノも、実のところは予定調和だったんだろう。

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 彼女が浮気をした。話し合いを求めたが、LINEの既読すらつかなくなった。アイコンだけは変わっていた。仕事の業務量も増え、理不尽な叱責も商談の重責も負うようになった。孤独の埋め方がわからなくなった。公私共にままならないことが重なり、叫びたくなるような苛立ちが募る。業務中に突発性難聴になった。SNSの愚痴が止まらなくなった。灰皿を見れば吸い殻が山を作っている。ついさっき、トイレの壁を殴った。

 両親から見れば、俺は程々に立派な肩書を備えて期待に答えてくれた息子なのだろう。勉強も部活も仕事も自分なりに精一杯頑張ってきたので経歴書にも書けることがたくさんあるはずだ。

 なのに何故だろう。心には大穴が空き、それを隠すかのように「社会人ごっこ」をしている。ステータスに縋ろうとしている自分がいる。

 己のステータスを自慢していた父親も、本当は似たような不満を抱えていたんだろう。父親の悲哀と、たまに流していたあの曲の意味するところがわかるようになった気がする。あれは俳優を目指してホームレスになった男の曲じゃなく、きっと…

 次の帰省では日本酒を買っていこう。

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…仙台での孤独な生活により、院生時代より患っていた抑うつ性向が再び顔を出してきた。こうやって真正面からルーツを辿りつつ、どうにか寛解できないだろうかと方法を模索している。同時に、今の感情をなんとか文章に書き起こし、生き辛さを抱えた人間の救い、或いは愚かな人間として嘲笑れるコンテンツとなれないか、と考える。

幸せになりたい。分かち合いたい。
ただそれだけを願っているのだけれども。

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Seems it never rains in southern California
Seems I've often heard that kind of talk before
It never rains in California, but girl, don't they warn ya?
It pours, man, it pours

聞いてるとカリフォルニアの南では雨の日なんてあるわけないって、そんな気になってくる
ああいう話なら何度も聞いた気がするよ
『憂鬱な「雨」なんかカリフォルニアには降りゃしない』ってね
だけどお前、あいつらに教えてもらわなかったのか?
本当は「土砂降り」のひどい雨になるんだよ

(和訳:『およげ!対訳くん』より一部引用)

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