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愚痴、悪口、陰口

人間生きていれば嫌な人間や嫌なことに遭遇したりするものである。そういう時「嫌だ」と言えればどれだけ楽かということも多々ある。

いきなりだが「愚痴を吐くな」という考えは好きではない。ここまで直接的でなくとも「愚痴を吐く奴は一流/強者になれない」みたいな言い方も嫌だ。

嫌な時に嫌だと言うことを禁じて耐え続けろとでも言うのだろうか?それを無理強いした結果がどうなったか?メンタル追い込んで自殺者が増てしまったのである。

皆が全員愚痴を吐かずとも耐える強靭な精神力を持った人間ならまだしもそうではない。そうではない人間に強者にだけ通用するやり方を無理強いする脳筋な思想は恐怖さえ感じる。

だからと言って常時不平不満を言っていいとも思っていない。誰が言ったかは忘れたが「愚痴は脳みそのうんこである」とは実に的確だと思う。嫌なこと(うんこ)をアウトプットせず溜め込み続けたらメンタル追い込んで自殺、常時不平不満を言えばそれは公衆の面前でいつもうんこ垂れ流しという狂気である。

だからこそ愚痴はこっそりと秘密裏に吐き出すのが望ましいと考える。

こっそりと秘密裏に吐き出すで思い出したが「相手のいる前でその人物に対する不平不満を言うのが悪口、相手のいないところで言うのが陰口。悪口は言っていいが陰口は言うな」と言った人がいた。

この考えも実に「強者的」な考えで全ての人に推奨できるものではない。おそらく「言いたいことがあるなら面と向かって言え」的なことなのだろうが世の中面と向かって言って何とかなる人間だけなら苦労はしない。

面と向かって言えないような高圧的言動、猛毒等を持つ人間に擬態した妖魔相手に下手に正面から向かっていったら精神的に大傷を負って下手すれば自殺にもつながってしまう。

だからこそ「陰口」で相手に見ていないところで吐き出すのがいい。ただ、気をつけないといけないのがネット上の空間(SNS、掲示板等)である。

ネット上の空間は自分が嫌だと思っている相手が見ていない(かも知れない)、匿名性という安心感がある。加えて共感者が集まることで自分以外にも同じ考えの人がいるという安心感もある。

しかし、必ずしも自分の考えに賛同してくれる人間が集まるという確約はない。下手すれば叩かれる側になってしまうこともある。だからこそTwitterの鍵垢やilkaのようなIDも分からないし返信もできない一方通行の愚痴特化SNSを使うのが望ましいと考える。

特にilkaは返信はできないが共感のハートはもらえるので「自分が嫌だと思っている人が自分以外にもいる」という承認欲求もある程度満たせる。

最後になるがここまで書いてきたことをまとめると

・嫌なことを言うことはタブーだと決めて嫌なことを溜め込んで精神追い込まれるのは良くない
・愚痴は用法用量を守って吐くといい(ilkaは使いやすい)
・何も無理してまで強者のやり方を自分に課さなくていい

ということになる。



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