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「自分のことが分かった。」と思った時にすべきこと


昨日は、久しぶりの方との個別セッション。



数年前に時間をかけて自分と向き合い、自分について理解し、望むものを明らかにして、そして、とうとう「先延ばしにしていたこと」に取り組んで、現実を大きく変えた方。


そこから、その現実を一生懸命生きて、また次のステージへと進むサインのようなことが起こった時、連絡をいただいた。



ご本人にしたら、「まさか!」というようなショックな出来事が起こっていたが、

「これも、自分が引き寄せたことですね」

と、しっかりご自身の現実を受け止めていた。

現実をしっかり観て、それが自分の内側の反映だと認めることができるのは力だ。



望まない現実が起こった時こそ祝福を!



理想の現実も、理想ではない現実も、

すべてが自分が創っている。

そんな風に観ることができると、そこには、さらに幸せに豊かになるメッセージが沢山隠れていると気づく。

内側の状態は気付きにくいが、外側に現象化したことで、

よりハッキリと自分について理解できる。

だから、私は、理想ではない現実が起こった時こそ「おめでとう」と言いたい。

それは、あなたがさらに幸せになるためのギフトだから。




自分について理解したことを疑え!



今、私たちは自分について理解する機会を多く持っている。

でも、一度得た「自己理解」が、自分を次のステージに進むことを邪魔してしまうことがある。


例えば、先日セッションした方は、

ご自身について、「共感力が高い」と理解されていた。

実際は、その共感力があるが故に「理想ではない現実」が創られていた。


・いつも相手に寄り添いすぎて過度に責任を背負ってしまい、自分が疲れてしまっている。

・相手には都合のいい人という扱いを受けてしまう。


こうした状況で、人はさらに「頑張る」方へベクトルを向ける傾向にある。

やるべきことは、「共感力」を活かして、今まで以上に、相手の期待に答える人になることではない。

むしろ、相手の役にたたなくても私は価値がある。ということを認めることを頑張った方がいい。



「自分には価値がない」

という前提は、

価値があるところを見つけて、自分に価値があることをさせようとしてしまう。

そのために着いた能力が「共感力」とも言える。

価値ある人間になるための頑張りは、どこかで限界が来る。



「自分が思っているほど、人には認めてもらえない。」

そう思うようなことが起きている時は、

価値がある人間になろうと、さらに努力するのではなく。

誰かの役に立とうとしなくても価値がある。

という前提に変えてしまうことだ。


そもそも価値があると思っているので、余裕があって無理がなく、
できることを喜んでしている人は、周りの人も笑顔にする。


余裕がある。

無理がない。

心から喜んでいる。


そんな人は、その存在だけで人を喜ばせてしまうのだ。

それが真実。


自分のことを理解しているつもり。だけど、何か現実がおかしい・・・


そんなことを感じている人は、

自分について理解したことを疑ってみるといい。

もっとフラットに、起こっている現実から自分を理解してみること。

前提に気づいて、そこを書き換えることに取り組めるといい。



でも、実はこれってすごく難しい。

だから、1人で紐解こうとせず、セッションなどを使って欲しいと思う。


1人ではさらに混乱してしまうことも、分かる人が観るとするすると紐解けてしまうことがあるから。


人生は有限。

自力でなんとかしようとせずに、人を頼って、悩む時間より楽しむ時間を増やしていこう。







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