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「統合ってなんですか?」を考えてみた


こんにちは、終わりにマルと思える生き方研究所の小松さやかです。

「分離」と「統合」

最近、よく言われるようになったし、見るようにもなったと思いませんか?

こうしてよく聞く言葉、見る言葉は自然と使うようになります。

以前から馴染みのある言葉は、抵抗なく入ってくるので使ってしまうのですが。

その分、深く意味を理解しないまま使ってしまうことがあります。



先日、「統合」という言葉を書いた私の発信に対して、あるクライアントさんがメッセージをくださいました。

「統合ってどういう意味ですか?」

と。

その質問を読んで、探究心がうずきました。

これは考えたいテーマだなと。


で、考えてもよく分からないのでnoteにつづりながら思考を整理してみようと思ったのです。


統合の前に分離がある


そもそも、統合するということは「分離している」という状態が前提としてあるわけで。 

ならば「分離とは何か?」

という問いから入るのがいいかなと。


分離・・・何から分かれたのか。何から離れたのか。

私たちの不安は、お母さんの臍の緒と離れたところからきている。

と聞いたことがあります。

そもそも、一緒だった肉体が、出産の際に分離される。

これって、すごいことですよね。

私たちの魂ってなんて勇敢なのでしょう。

10ヶ月もの間、守られた環境にいて、臍の緒でお母さんの肉体と繋がって安心安全な環境にいたわけです。

そこからいきなり、1人で全く違う環境に出てくるのですから。

何か、想像しただけでその勇気に感動して泣きそうです。

私たちは知っていたのかもしれないですね。


たとえ、外に出ても、たとえ肉体が離れても。

本当は「一緒にある」ということを。

でなければ、そんな怖いことできないですよ。


でも、育っていく中で、「自分であること」を強く求められて。 

自立=個立

していくプロセスの中で、不安や恐れを抱くようになったのかもしれません。 

個立は孤立

ですからね。 


そもそも、大丈夫だと思っていたのに。

何らかの情報、信念によって、

私たちは別物なのだ。

繋がっていないのだ。

自分で頑張らなくてはいけないのだ。

という「分離」「ない前提」を強化してしまったのかもしれませんね。


それが、ある段階で、もう一度思い出す時を迎えるのでしょう。


そうでなければ、私たちの魂は本来の力を発揮できないから。


生きているうちに

「本当は大丈夫だったのだ。繋がっていたのだ。私たちは一緒なのだ。すべてあるのだ。」

という意識を思い出し、そもそもあるものと繋がり直す。

それが、「統合」なのかなと。



肉体の寿命が伸びている時代では、

この「統合」を果たす人が増えているのではないでしょうか?


そして、それをサポートするお役目の人も当然増えているということなのでしょう。


だから、「統合」という言葉が多く聞かれるようになっているのではないかな?と思いました。


まとめると

そもそも私たちは、

「すべて一緒だった(全体)」

でも、生まれ、育っていく中で

「違うもの。ないもの(分離)」

を感じるようになった。

そして、

もう一度繋がり直す意識が「統合」


分離も統合も私たちの魂の成長に伴ったプロセスなのだ。

そんなまとめになりました。


探究は続く・・・







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