2023.8.20
こんばんは。ありむらです。
今日はまあまあ真面目な話でも。
普段いわゆる「傾聴」をすることが多い仕事をしているんですが、その中で日々感じる「聞くことの難しさ」について。
『話ならいつでも聞くからね』
という言葉があまり好きではありません。
ついつい言ってしまったり、言われたりしがちな言葉だと思います。でもさ。
本当に「いつでも」聞けるんでしょうか。
例えば自分が弱ってる時。あるいは楽しいことをしている時。寝ている時。忙しい時。
『話を聞いて』と連絡があったとして、本当にいつでも聞けるんでしょうか。最初の1、2回はなんとかなったとしても、それが連日、年単位で続いたら。
たぶん無理だと思います。
それができるとしたら、自分の生活をかなり犠牲にして共依存的になっているか「聞く」ことがそもそもできていないか。いずれにしてもお互いにいい関係ではないと思います。
話を聞いてもらう側からしても「いつでも聞いてくれるって言ったのに聞いてもらえなかった」という体験が積み重なって、孤立感が強まってしまうのではないでしょうか。
もちろん関係性とか状況によっては救われる人もいるかもしれません。でも多くの場合「話ならいつでも聞くからね」という一見優しい言葉は、結局誰にとっても優しくない言葉なんじゃないかなぁと思います。
なので自分は仕事でもプライベートでも「いつでも聞く」という表現は避けるようにしています。
「いつでもは無理だけど、あなたの話を聞きたいと思っている」ということがなるべく伝わるように言い方を考えます。まあ、ついつい雑な表現になってしまうときもあるけれど。
あと真面目に人の話を聞くのって、ものすごーく疲れることだと思います。
「話ならいつでも聞く」という表現を使うのは「聞く」ことを軽く見ているんじゃないかなって。
人には言いづらい悩み事なんかの重い話を聞く時、ついついポジティブなことを言って励ましたり、冗談を言ってはぐらかしてしまうことがあると思います。というか自分はよくやりそうになります。
この場合ももちろん状況とか関係性によってはそれでいいこともあります。
仕事でも、あえてそうする場合もありますし。
ここで大事なのは「今その人に必要なのは何か」「誰のためにそれを言うか」を考えることなんじゃないかと思います。
「励ましの言葉やちょっと笑える声がけが必要」と判断して言うならそれでいいんです。
でも「なんて言っていいか分からないからとりあえずポジティブなこと言っておこう」とか「暗い話ばっかりでしんどいからとりあえず笑わせておこう」とか、それは良くないんじゃないかなって。
今はじっくり聞くと決めたら誤魔化さずにしっかり耳を傾ける、それが大切なんじゃないかなって。
そんなふうに思うわけです。
つらつら思ったことを書いてみましたが、職場でなんとなく中堅に片足突っ込んだ今でも「聞く」ことにはまだまだ迷いもあるし悩んでばかりです。
何が正解だったのかなんて分からないことのほうが多いし。
でもまあこれからも色々考えながらやっていきたいなあと思っています。
では。
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最近東畑開人さんの「聞く技術 聞いてもらう技術」という本を読んだばかりなので、影響されてる部分もあるかもしれません。いい本だったのでぜひ。
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