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私の不安は成長の前兆

 私は心配性だ。
 白いワンピースに小さい赤いカバンだけで外出してみたい。そう思って、荷物を整理しようとするけど、できたことがない。ウェットティッシュを取り出してみて、戻す。折りたたみ傘を取り出してみて、やっぱり元に戻す。私のカバンはいつも大きい。

 ほとんど毎日、何かしらに対する不安が付きまとう。課題がまだ終わってない時、プレゼンの授業が迫っている時、進路を決めなければいけない時、長距離の移動がある時。

 今週はプレゼンが2度もあった。人前に出るのはいつでも緊張するし、しかも英語で、1人で話さなければいけない。数日前から緊張し始めて、少しでも暇があれば不安がる時間に充ててしまう。スライドが上手く動かなかったらどうしよう、前に出て言葉を忘れたらどうしよう、みんなが全く無反応だったらどうしよう。

 ネガティヴではない、と思っている。友達が愚痴を言っていても、プラスの方向に話を持っていくことが多い。ただ、未来のことに対してだけ、異常に萎縮してしまう。

 私の生きてきた18年間の経験の中で、いくつかの教訓を得た。そのひとつが、不安を感じる物事こそ、必ず挑戦するべきだ、ということ。

 文字にすると綺麗過ぎてしまうが、ほんの些細なことも不安に感じる私にとっては、常に心に留めておかなくてはならない言葉だ。

 逃げてもいい、頑張らなくてもいい。

 もちろん、賛成する。でも、逃げてばっかで、休んでばっかの生活の中で、生きていく自信を失ってはいけない。

 そこで心がけるのは、決断だけしてみる、ことだ。決断だけ先にして、とりあえず始める。その後は自動的に行動がついてくる。

以下は、私が実際に決断してみたことだ。

  • 発展途上国に行ってみたい。(→渡航サークルに入会) 

  • 人前で上手く話したい。(→プレゼンの授業を履修)

  • 文章で何か伝えてみたい(→noteのアカウント作成)

 行動してみると、意外とどうってことなかったり、普通に茨の道が広がっていたり、人生って本当ランダムなんだなあと思う。

 受験した国公立大学も、出願ギリギリまで迷って、自分にとっては名前を聞くだけで萎縮するような、高い目標を選んだ。歩くと痛いと知っていて、茨の道を選んだ。落ちたけど、学んだことは多い。自分が他人より怖がりなこと。決断することによって不確定な未来と行動することができる現在を結びつけることができれば、恐怖はほとんど消えること。

 大学受験という、当時の私の人生のうちの、最大の目標は達成できなかった。振り返っても、”良い” 経験だった、とは言えない。自分のだらし無さ、思い切りの無さ、意志の弱さが分かった。でも、目標を見定めて、そこを通過すると、かなりの収穫を得られる。その収穫は、目標が遠ければ遠いほど多い。

 私の大学生活の4年間で、幾つの不安を捕まえることができるだろう。幾つの果実を収穫できるのだろう。

 それらから得た種は、いつ、どこで蒔くことができるのだろう??

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