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言語が変わると性格も変わる!?

こんにちは! オーバーシー大学の俊教授です! 
多言語を話せる人と出会った時に、このような経験はありませんか?
日本語ではとても内向的で控えめなのに、英語を話すと とても論理的になる。中国語で話すと大胆になるのに、日本語になるととてもおとなしくなる。もしかしたら、外国語を話せる人が、「言語を変えると性格が変わるんだよね!」と言っていることを聞いたことがあるかもしれません。今回は、言語が変わると本当に性格が変わるのか、それともただの思い込みなのかを調べてみたいと思います。

言語が変わると性格が変わるのか? 実は、この疑問に対して多くの研究がなされてきました! 
そして、外国語を話すと性格が変わるように見える理由について3つだけ見てみましょう! 

言語の構造の違い

世界にはたくさんの言語がありますね。言語と外国語は、単純に単語を置き換えるだけで使えるものではありません。言語は私たちの現実の認識に影響を与え、その結果、行動が変わることがあります。それぞれの言語には独自の文法と語彙があります。では、交換だけではその差が埋まらないのであれば、言語一つ一つには独特の個性があり、その言語によって私達人間は、独特の思考や感情が他の言語よりも引き起こされいるのではないか。この考えは、サピア=ウォーフ仮説と呼ばれるようになりました。

例えば、北極地域に住むイヌイットが話すエスキモー語では、「雪」を表す言葉が、種類に応じて50以上もあるようです。日本語でも「雨」を表す言葉は、「五月雨」「豪雨」「小雨」「にわか雨」といったさまざまな言い方がありますよね。
一方で、ダニという民族の言語には暖色と寒色という2つの色しかありません。ダニ族の人々も生物学的には私たちと同じ色を見ていますが、言語の違いにより色の認識が異なります。このように、言語は私たちの世界の認識と考え方に微妙な影響を与えます。

私たちが感じることの一つに、日本語では兄弟を表現する際、兄、弟、姉、妹と年齢によって言葉を使い分けます。しかし、英語では年齢に関係なく、性別だけで「Brother」「Sister」と表現します。もし英語を話すなら、あまり年齢を気にする必要はなくなるかもしれません。一方で、中国語では、私たちは父方か母方かによっておじいさん、おばあさんと表現する言葉が使われます。もし中国語を話すならば、家族関係に敏感になる必要があるかもしれません。このような言語の違いによって、性格が変わったように感じることがあるかもしれません。

しかし、サピア=ウォーフ仮説の提唱する、言語によって思考が決定される、考え方、性格まで変わってしまうという強い仮説は現在否定されています。また、ウォーフのホビ語に関するデータ分析に誤りがあることもわかりました。イヌイットの事例モデまではないかと言われるようになっています。
この仮説を元に、言語を変えると性格が完全に変わるということを言い切ることはできないようですね。

ではこのサピア=ウォーフ仮説以外に、理由を探求することができるでしょうか?

文化の影響

外国語を話す時、もちろんその外国語を日本人の友達に話すわけではありません。その外国語を話す外国人と話しますね。その言語を話すときは、日本人と話すのではなく異文化の人たちと接するのですから、もちろん、その文化を考慮して話すようになります。

文化とは、「周りに受け入れられるか受け入れられないか」の要素のことです。
子供は親に育てられます。そして親の躾を受け入れることとなります。子供は親を喜ばせたい、親に受け入れられたいと思って、親に合わせていきますね。
やがてその子供がおとなになると、今度は周りの人に受け入れられたいと考えるようになります。そして一般の人が大切だと思うことを自分も大切にしていきます。
このように私達は、人生で、他の人に受け入れられるだろうか、コミュニティーの仲間に入れるだろうかという命題に常に突きつけられています。
言語を学んだあと、その言語を話そうとする相手は、全く違う文化圏に住んでいます。その人達に受け入れてもらうためには、わたしたちはその人達に受け入れてもらえるようなキャラクターを演じる必要があります。

例えば、英語圏の人たちは論理的な表現や会話を好みます。それで、英語を話すときは、より論理的に表現し、「だと思う」というような婉曲的な表現は避けることでしょう。結果、日本人と喋るときよりも論理的な性格に変わったように見えます。

わたしも、中国語で話すときは、「〜しなければなりません」というような、自分の主張を強く表現する傾向があります。しかし日本語だと、「皆さんは本当に励んでおられますね、皆さんはこれから何を行いたいと思いますか? きっとこれを行いたいと思うでしょう」のようなまわりくどい表現を用います。横から見ているときっと性格が変わったと感じられることでしょう!

言語力がない

っとここまで色々考えてきましたが、最後に私が一番有力ではないかと感じる理由を上げましょう。それが、言語力の低さを補うためというものです。

わたしは、ベトナム語を話すときにとても可愛らしくなると言われます。声を高くし、「おねがーい」みたいに可愛い声を出すようです。私の友達は、これが、言語の違いによるのではなく、単に言語が話せないからだと推測しました。耳の痛い話ですね。
言語ができないと、その言語での丁寧な表現ができないことがあります。そのような状態で愛嬌がなくボソボソ話すと、無愛想で礼儀のない人だと見られてしまいます。結果助けがえられません。
また言語力が低いと、ゆっくり話したり、声が大きくなったり、過度に敬語になったりします。
このように、言語力の低さをカバーするために話し方が変わり、結果性格が変わったように見えるのです。

さて今回は、言語が変わると性格が変わるかという内容で考えることができました。この論題は、まだまだ研究者も悩ませているようです。ぜひあなたの考えもおしえてくださいね!

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