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2つの言語が合体すると? ピジン語とクレオール語の合体言語の不思議

違う2つの言語が出会うとどうなるのだろう?
日本語の中に外国語を適当に混ぜると、少し面白い言い回しになることがある。
「Togetherしようぜ!」
ルー大柴さんがこれをお笑いのネタにしている。しかし、このような言い回しがされるのは、必ずしも受けを狙っている時だけではない。2つ以上の言語が話せる人々の会話の中では、自然に言語が混ざることがある。例えば、私も経験があるのだが、中国語を話せる日本人と話している時に、

「今度の"安排"だけど、"差不多"にやっといて。」
「あの"影片"だけど、なんか"不怎麼樣"だったよ。」

と話すことがある。ベトナム語と中国語を知っている人となら、

「"最近"khoẻ không?今日はbằng "捷運" できたんだね。僕のXe máyに乗ってきなよ! Anh Trung に"安全帽"をかりたらいいよ!」

こんな感じでちゃんぽん言語になってしまうのだ。このように、一つの場面で複数の言語を切り替えることを、言語学の用語で「コードスイッチング」と呼ぶ。なぜコードスイッチングが行われるのか?それは無意識であっても、意図があり、何らかの効果を生み出したいからだ。

コードスイッチングは、自分の民族的アイデンティティーを表したり、グループの結束を強めるのに役立つ。例えば先程の私の身の回りにいる中国語やベトナム語を話せる人たちについて考えてみよう。彼らは日本人だから純然たる日本語だけで話せるはずだ。しかし、せっかく台湾に住んでいるのだからとか、ベトナム語の援助コミュニティーに属しているのだから、とかいう自分の役割や仲間意識を出すために、2つの言語を混ぜていると考えられるのだ。

その他に、外国で生活するにあたって、日本語では表現しにくい固有名詞や表現が出てくるので、便宜上言語が混ざっていくことも考えられる。例えば、中国語の"安排"や"差不多"は日本語では訳しにくい言葉だ。相手がすでに中国語を知っているのであれば、あえて日本語に訳すより中国語をそのまま使ったほうが意味が伝わりやすいというわけだ。

また、一つの国の中で公用語と日常生活の言語が異なる場合、相手との距離をコントロールするために言語を切り替えることもある。日本語で言うなら、タメ語で話していたところ、ちょっとピリッとした空気になって敬語に切り替えるようなものだ。

ピジン言語 - 集団で行われるようになる合体言語

さて、今まで考えてきたのは個人的なコードスイッチングだ。では、このコードスイッチングが拡大し、集団で行われるようになるとどうなるのだろうか?

言語を混ぜる行為が集団的に行われることで形成されるものに「ピジン言語」がある。これは、共通の言語を持たないグループが接触した時に、意思疎通のために2つの言語を混ぜて生まれた言語だ。貿易が行われる場所や戦時中の占領地などで見られる。例えば、1900年代前半の満州では、日本語と中国語が混ざったピジン言語が見られた。これを満州ピジン語、もしくは「協和語」と呼ばれている。

「你的まだメシメシ没有」
「这个ことば知道あるよ」
「今天什么什么あるよ」
「你的怎么样あるか」

という具合だ。文法は簡略化され、肯定なら「あるよ」、疑問文なら「あるか」、否定なら中国語の否定語(没有、不行、不是)を利用している。これは、中国語の「有」「有吗」に対応させて日本語の動詞活用変化を簡略化したのだろう。よく漫画やアニメの中国人キャラが「〜あるよ」というのは、この満州ピジン語がルーツになっているのだ。

このようにピジン言語は、母語話者がもう一方の言語をあまり上手に話せない状況で生まれるため、語彙も少なく、文法も単純であることが多い。

満州のピジン言語はもう話す人がいないが、ピジン言語が地域に定着する例もある。例えば、パプアニューギニアの「トク・ピシン」という言語がその一例だ。

「トク」は英語の「トーク」から来ていて、「ピシン」は「ピジン言語」だ。いくつか単語を紹介しよう。多くの単語は英語から来ているが、発音や綴りは変わっている。

Tenkyu
▶Thank you▶ありがとう

haus mani
▶ House Money ▶ 銀行

Yu go we?
▶You go where▶どこに行くの?

Mi gat 30 krismas.
ミ ガット サーティクリスマス
私は30歳だ。

このように、クリスマス(krisma)は年齢を数えるのに使われ、「クリスマス何回来た?」のように年齢を訪ねるのだ。

トク・ピシンはその名に「ピシン」とあるが、もはや普通のピジン言語の枠を超えている。パプアニューギニアの公用語の一つに定められ、人々が最もよく話す共通語にさえなっている。共通語の存在は非常に重要だ。なぜなら、パプアニューギニアには言語が非常に多様で、一つの国に数百もの異なる言語が存在するからだ。さらには、生まれた時からトク・ピシンに触れ、それを第一言語にしている人々も少なくない。

では、トク・ピシン語のようにピジン言語の枠を大きく超え、共通語や公用語として正式にコミュニティーで使われるようになるとどうなるのだろうか?

クレオール語 - 完成した合体言語

ピジン言語は、異なる言語が接触することによって生み出されたもので、文法は単純で、発音や語彙にも個人差が大きく、複雑な意思疎通には物足りない点がある。しかし、このピジン言語を母語として育った人々が増えると、発音や語彙は統一され、文法も発達し、一人前の完成された言語と言えるようになる。これがクレオール言語だ。

不思議なことにクレオール言語が誕生する時、子供たちは彼らが聞いて育ったピジン言語にはなかったような文法を、クレオール言語の中で使うようになる。これを受けて、言語学者の中には「人間の頭の中には生まれつき言語を作る能力が備わっている」と考える人もいる。

さて、クレオール言語の中には、日本語をベースにしたものも存在する。「宜蘭(ギラン)・クレオール」だ。「宜蘭(ギラン)・クレオール」は、台湾北東部の宜蘭県の一部地域で話されている言語で、日本が台湾を統治していた時代に、先住民のタイヤル族(泰雅族)の話す言語と日本語が接触したことで生まれた言語だ。

たべたらもうあんた。
たべたも。
なん たべたあんた。
ママ ささん シャンガディタ(母が朝、肉を買いに行った)
シャン?(肉?)
シャンたいた。おいしい。
なに いしょた?(何を一緒に入れた?)
ラマだ。(野菜だ)
なんのラマだ?(何の野菜?)
Aツァイ Bツァイ だよ、わかる(A菜B菜だよ)

所々、日本語に似た単語が聞こえ、字幕があればなんとなくわかるだろう。日本語は親戚と呼べる言語がないと言われているが、このように日本語によく似た言語があるというのは新鮮に感じられる。

クレオール言語の歴史は、植民地支配と深く結びついていることが多い。世界中のクレオール言語の分布を見ると、その多くは歴史上、他国に占領された地域に存在し、ベースとなる言語も当時の列強国のものが多い。こうした歴史背景もあるため、クレオール言語を取り巻く感情は複雑だ。自分たちの民族が元々話していた言語とは異なるため、元の言語を大事にしたいという考え方もあれば、クレオール言語を母語とする世代もいるため、その言語を大事にしたいという立場もあるだろう。

ちなみに、クレオール言語は歴史的な発想から見たとき、言語が混ざっていると聞くと不完全な言語と勘違いされがちだが、そうではない。言語学的には、普通の言語とほとんど違いがないとされている。

言語を混ぜたら新しい言語が生まれるというのは、言ってしまえば当たり前かもしれないが、よく考えてみると、とても神秘的だ。我々は男と女が出会い、二人は一体となり、新たな生命が誕生するが、言語も2つの言語が出会って2つの言語の名残を引き継ぎつつも全く新しい言語が誕生する。

クレオール言語が生まれる過程には、まだはっきりしないこともあるが、人間は子を生むだけでなく、自ら言語を生み出す能力も賦与されているというのは興味深いことだ。

さてさて、もしもいつか世界の言語が一つだけになるとしたら、その言語はどうなるのだろうか? たとえ言語が統一されるようなことがあっても、その変種がたくさん生まれ、色とりどりな表現ができ、もっと私たちの心を表現する言葉が紡がれていくのだろうか? これからの言語の発展と編成に興味が深まるばかりだ。


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