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私がしんどいのは「私」が「しんどい生き方」を選んできたから

私は、今一番「平和」な学校に勤めていたと思う。
子どもはみんないうことを聞いてくれる。優しい。可愛い。

昔勤めていた学校は、正門が校内に運ばれて、廊下で遊ばれるし
自分が注意したら自転車は燃やされるし
つばは吐かれる
死ねは日常会話として浴びせられる

こんなところは嫌だ。と1週間休むことはあったけれど
「病気休暇」だけは絶対に取りたくない。
その一心で勤め上げた。

教師のいいところは、必ず1年で区切りが一応あることだ。

結局、「しんどい生き方」をここまで自分が選び、
海外にまで自分でその「しんどい生き方」を運んで
どんなに平和な場所でも「しんどい生き方」を持っている限り
私はしんどいままだったのだ。

今まで、「私のいる場所はここではない」と
転々として海外に来たが

常に一緒にいたのは「自分」

環境は私の場合関係なかった。

その心に向き合う病気休暇。


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