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家族の介護*自分の記録として

母が退院してきた当初は脳卒中の後遺症で左半身の機能は麻痺が強く残っていた。歩くにしても歩行器なしでは不可という状態であった。
私のその姿を見ながら「私のお先真っ黒やん。。。」と、自分勝手で薄情な感想しか持てなかった。そのままジリジリと機能の低下と頭がぼんやりするまま時間が経過していくだけだった。
元々社交的な性格の母は楽しそうにデイサービスに通い、空いた時間は私の憩いの時間となり、気持ちをメンテナンスができる時間でもあった。
ただ、デイがない時は一日椅子に座ったままで、居眠りをするだけ。
気晴らしになるかと雑誌を買ってきても字が小さい雑誌は読みづらいようでちょっとみてはすぐよまなくなってしまう。
テレビをつけても耳が遠くただぼんやりと眺めているだけのように感じていた。

ある日、母が新聞広告で四角い箱を織りだした。
デイサービスのテーブルにゴミ箱がないから不便を感じているらしく折ってできたものを持っていくという。
出来上がったものは角は全く合わず幼稚園児でももっとましに織れるのではないかとおもうほどの出来栄え。
それを1つ作ってはデイサービスに持参していた。


いつも1つしか織らなかったゴミ箱を数枚作りだした。相変わらず折り目は角が合わず出来栄えはひどいが、これを持っていくと同じテーブルの利用者が喜ぶから持っていくという。
ならばも少しまともなもの良いだろうと、角があっていないことなど指摘しながら織り方の改善を促した。

母は他にやることもないので、家にいる間はまるでそれが仕事のように毎日毎日織った。2,3枚から10枚、20枚と増えていき織り方の精度がどんどん上がりだした。
今では角も合い、完璧なゴミ箱が出来上がる。

合わせて洗濯を物も綺麗にたためるようになり、食器を洗う等のことが積極的に出来だした。
まったく絞れなかった布巾も絞れるようになった。

訪問リハビリの成果もあり、筋力がついたのかしゃがむことが出来るようになった。

3か月一度、運動機能の確認のために病院で検査をするが握力が上がってきている。

私は介護のプロではないので確実なことは言えないが、恐らくゴミ箱を織るのに指先を使うことが良かったのでないかなと思う。
そしてデイのスタッフや利用者さんの喜ぶ顔や、役に立っているという意識こそが継続するモチベーションになったのだと思う。

今年83歳の母、こんな年でも人間の機能は回復するんだと教えてもらえた。


人はどんな状況でも自分の存在が役に立っているという自負があったほうがいい。役に立つために他人に合わせて生きるということではなく、自分の行動の結果が誰かの役に立ったという事実、それが自分の輪郭のようなものになるんじゃないかなと思う。

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