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AIイラスト

 昨今AI技術の進化により、音楽、絵、小説などのありとあらゆる創作物を侵食する勢いで量産されているが、今回はAIイラストについて話題を絞って話してみよう。
イラストの描き手にとってはAIイラストの台頭によって仕事が奪われると主張する人もいれば、上手く自分の技術に組み入れることで補助的な役割をしてくれると考える人もいるだろう。
 私のAIイラストに対する考えはどちらかと言うと前者に近い。但し、奪われるという被害者的な発想ではなくむしろイラスト市場原理で言えば適切な需要に行き着くと思う。それはどういうことか。料理に例えると世の中で料理をする人はごまんといると思うが、食材に火を通す時の加減や調味料のさじ加減、もっと言うと食材を切るための包丁など料理をする人のプロフェッショナル的な意識の度合いが高ければ高いほどより良いものを選んで調理した結果出来上がったものは大衆が本当に求めている食べ物のあり方だろうか?果たしてそうやって自分が良いと思うありとあらゆるものを使って本当に意味があるか。つまり、そんなに頑張って作ったからと言って食に興味がない人や、味の違いがわからない多くの人にとっては多少の味や見た目が違っても腹を満たすと言う意味では同じ結果をもたらす。これと同じで、AIイラストも多くの一般大衆はプロが違いを指摘しなければ人間が描いたものなのかAIによるイラストなのか気付くことすらない。気付かないということは即ち、自分の手による描き方にこだわっている人の絵は需要として非常にニッチな市場になってしまうのだ。それは良い悪いの話ではなくどんな分野であっても極めた人にしかわからないことなど一般大衆にとってはどうでも良いことなのだ。
人間による描き手の需要が完全に無くなることは無いと思うが、自分が描くことにこだわることとそれを仕事にして生計を立てる事をイコールにしない方が良いと思う。本来、芸術は儲からないものでありどこの誰がつけたのかもわからない価値を思い込まされているものであり世界中でたった1人にだけでも心に刺さってくれれば良いものだと私は思う。
だからこそ芸術は至高の極みなのだ。

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