アントニオ猪木の訂正力

東浩紀の『訂正可能性の哲学』『訂正する力』とプチ鹿島の『教養としてのアントニオ猪木』を続けて読んだせいで「プロレス」ほど訂正力の見本になるジャンルはないと確信した。
プロレスと言っても今の「プロレス」ではなく昭和プロレスということになりますが。

プロレスの隠語を安易に使っている場面に遭遇するとオールドファンは聞いてるだけでドキドキするしモヤモヤもします。「やめてくれぇ」と悲鳴をあげたくなるほどです。

アントニオ猪木の偉大さも怪しさも『訂正する力』で読み解けそうな気がしています。
両著を読む需要があるのか分かりませんが、『教養としてのアントニオ猪木』を楽しめた読者は『訂正する力』も興味深く読めると思います。
逆に『訂正する力』を読んだ人が『教養としてのアントニオ猪木』を読んで楽しめるかは未知数です。