「海獣の子供」を観て何もわからなくなった人間のメモ
映画「海獣の子供」を観てきた。そして何もわからなかった。この記事はメモでありネタバレを含むがしかしこれを読んだからといってあの映画のネタが割れるとは思わないほうがいい。大切なことは言葉にならないんだよ。
あらすじ
海辺の町の少女が、ある夏、ジュゴンに育てられた兄弟と出会う。彼らは海の中で密かに起こっている生命誕生の瞬間を目撃する。
実際に観た印象
現実が次第に異界に侵食されていく中、SANチェックに失敗し不定の狂気に陥ったが、幸運と持ち前の戦闘技能でトゥルーEDに到達する。
主人公の戦闘力の高さ、より正確に言えば暴力を躊躇する時間の短さがまさか最後に活きるとは思わなかった。迷いを捨てられなかった奴から死ぬ。
「海の幽霊」って言われたらghostだと思うじゃん……? あれはそんな生易しいもんじゃなかった……いやでもSpirits of the seaって書いてあったわ……俺が悪かった……。
キャラクターと海との距離について。映画の中で、モブ/一般人/現実寄りの存在/何を言っているのか理解できる人々と、主要人物/海の関係者/神話存在/お互いにしか理解できない言葉で話す人々は、目の美しさによって描き分けられている。
作中もっとも海に近い存在である海、空の兄弟がもつ美しい色合いの瞳や長いまつげなどはたびたびアップで強調されている。また、主人公が初めて宇宙的恐怖を目の当たりにするシーンや、銀河を出産する直前に暗黒物質となるシーンなどでは、もはや瞳の表情以外はほとんどすべて隠されることになる。
海の中で起こっている秘密を見届けるにはそれ相応の強い瞳が必要であり、あからさまに書き込みの少ないモブ瞳にそれは不可能なのだ。
しかし、この映画の中では比較的現実寄りの存在でありながら、強い瞳を持つキャラクターがいる。主人公の母親だ。
映画の序盤ではアルコール中毒や生活の荒れを思わせる描写があったものの、台詞や行動を追っていくと普通にまっとうな心配しかしていない上、主人公が母親との会話を放棄して留守にしている間に特に誰のケアも受けず自力で夫との関係を修復し健康状態も改善していた。
これは原作未読者の勝手な予想だが、彼女のストーリーは映画化の際に漫画にしてまるまる一巻分くらい削られているのではなかろうか。「そんなことより星間雲の細胞分裂を描きたい」という強い決意が伝わってくるようだ。
彼女の夫である主人公の父親はモブ瞳だが、彼女自身は恐らくアルコール由来の隈のせいもあって、かなり瞳が強い。その理由はエンディング後に生まれた第二子と主人公の祖母から受け継がれていたという子守歌にあり、すなわち彼女自身は星の誕生の目撃者でも母胎でもないが、海(風)の声を聴いた者ではある、ということだろう。
海の何でも屋女性も含めこの世界では母系の継承が極めて重視されており、星と海と人間をフラクタル構造とみなす登場人物たちの会話といい、全体に極めてプリミティブな神話的自然観が通底していることがわかる。わからない。作中で誰か一言「よくわからない」と言ってくれさえすれば村の巫女さまが交信した結果を神託として下ろすようなものとして受け入れられるのに、登場人物はほぼ全員が海の巫女だしお互いは完全に通じ合っているので観客にまで説明をしてくれない。最初は一緒に戸惑ったり驚いたりしてくれていた主人公でさえ途中で“理解って”しまって巫女化する。あとはもうすべてが宇宙クジラに呑まれて僅かな会話すら消え失せた海。大切なことは言葉にならないんだよ。そのわりには助手の青年この宇宙の仕組みについて長々喋ってなかったか? あれはその後の展開を追う上でのただの前提知識なので特に大事なことではない? そうだね……。
この映画は、少なくとも映画の中の描写を見る限りにおいては、それほど特異な主張をしているわけではない。そのはずだ。私はそのように理解した。
しかし現実と異界をあまりに鮮やかに行き来する圧倒的な映像美と、それによって浮かび上がる生命への憧憬と畏怖、そして「今お二人の会話ほんとうに噛み合っていましたか?」と思わず尋ねたくなるような詩情に満ちた台詞回しが、この映画をよくあるニューエイジ系自然礼賛ファンタジーとして呑み込むことを困難にしている。「ひょっとするとこれは一昔前に流行った与太話に美しい映像を乗せただけのものではないのか? 深淵な意図と神秘を私が読解できていないだけなのか?」というおそれが今も胃の底のほうにわだかまっている。
原作をAmazonでポチって「よりわからなくなった」と呟いたフォロワーの列に、私も並ぶことになるだろう。