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こころとからだをたいせつに

最近、ガムシャラになっている自分がいる。

必死なのだ。

何にそんなに必死なのか。

たまに分からなくなる。

簡単に言うと、

とりあえず最近は海外で臨床医として働きたいと思ってそんな目標があるから、

とりあえず、

とっても助かっている。


以前は

毎日を一生懸命に生きようと。


Seize the day 


という言葉を自分の心にとどめていたけれど、、、

最近はもしかしたら必死に生きることで時が経つのを感じなくさせてるのではないのか、、

そう思って

Facebook の名前の下のフリースペースも


seize the day 

から

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にした。

底知れぬ虚無感。


ふと、たまに何が自分の原動力なのか。
考えることがある。

あまり考えたくないけれど、おそらく根底にあるその原動力は綺麗なものではなく、


底なしの

恐怖

衝動的に襲ってくる

怒り


そして


微かな希望

である。


これを読んだことで読者はどう考えるか分からないし、

人によっては可哀想なヤツだなと思うと思うけど、、、



それはそれでいい。

だって、

本物の私を偽ってもしょうがないから。

人って孤独じゃない?

孤独は怖い。

だからといって人を安易に信じられない。

安易に頼れない。

だって、信じて裏切られたら怖いでしょ?

結婚しても1人じゃない?

不倫されて浮気して離婚する人の多いこと、、


私はそんな人達に囲まれて、

本当にトラウマになっている。


そんなこんなで、

不確定なことにかけるくらいなら確実に取れる自分でいくらでもコントロールできる、努力によって掴めるものを掴もうと必死なんだと思う。

怖がりなんだと思う。

人を赦せないのだろう。

きっと。






私は数年前、東京から引っ越してきた。
とある大学に通うために。


最初は誰も知ってる人がいなくて、たまたま入った研究室の先生が良く話を聞いてくれた。

なんというか自由な人だった。

美味しいご飯屋さんに連れて行ってくれて、

まぁ私のことだから

半分は必ずお金をだしたりするのだけど、、、

借りを作るのが嫌だったから。

好きな映画の話をして

好きな本の話をして

何時間も何時間も研究室でお話をした。

釣りにも行った。

私がアメリカで開催されるハッカソンに行きたいと言ったら

Personal Statementと
CVの書き方を教えてくれた。

結局その大会の日本選抜には落ちるのだけれど。笑

でも最終的にアメリカでinternshipできるところまでこぎつけた。背中を押してくれたのは紛れもなく先生だった。

とある先生にインタビューした時はインタビュー記事を細かく添削してくれた。

いつしか心開くようになって、

自分の家族の話、プライベートの話、

過去の彼の話、

全てをさらけだすかのように話した。

先生も同じく。

ところが、


所帯持ちの秘書さんと身体の関係をもっていたり、

所帯持ちの看護師さんと不倫していること、 

相手の夫から裁判を起こされていることなどを告白された。

数々の不倫をしてきたこと。

逆にされたこと。

そして電話がかかってきた時の記録アプリがないかなど。


ここで、一つ言っておきたいのは、私は離婚がいけないとは一言も言っていない。

うまくいかず別れるのはやむを得ない。

そして不倫がいけないとも一言も言っていない。

そんなのは特定の人のエゴの押し付けにしかすぎないから。

無いに越したことはないけれど。

正直他人が不倫しようと何しようと勝手にしてくれとしか思わない。

しかし、自分の周りや自分の親となれば別問題。

ましてや何度も何度もそういうことがあるなら、狂気だと思うし、少なくともとも私は傷つくし、できるならかかわりたくない。



今、冷静に考えたら、ありえない。

と思うけれども、 

その時はそれなりにお世話になっていたし、
恩があるので、
そんな簡単に黒白つけられるわけではなかったんだろうと思う。

今もそうだけど。グレーのまま。

後々やっぱりどうしても赦せなくて、受容できなくて反発することになる。

そして、最初は n=1であること、

所詮、自分と関係ないことだと思っていたから自然と無視していた。

あんまり気にならなかった。



やがて、

実習が始まって、色々見聞きすると
ありえないくらい、
不倫、離婚話の多いこと。

大学の友人の結婚式行っても、
新郎が裏で合コンしまくってるとか。
そういうことばかり。


身近にそんな人しかいないのかよ。と思って、

正直もう、うんざりだった。



先生の子供のこともよく知っていたこと、
私は先生を自分の親のように当時は慕っていて
もし、自分の親だったら殺していると言った。

まず不倫してみてうまくいったら離婚して再婚して、、また良い人が現れたら不倫して、離婚してまた再再婚して、、そんなことを繰り返すんですか。

子供の前で同じこと言ってみてください。

と。


きっと、クリティカルヒットだと思うが
言わざるをえなかった。


私にとってはどうでもいい人ではないどころか、変なことは一切していないけれど、
それなりに腹をわって話した相手だったから、
とっても、大切な人だった。


どうしてよ!
どうしてそうなっちゃうの、、、
だったのかも知れないけれど、、


その時、鋭く指摘したことは、

今も、後悔していない。



しかし、、私はものすごく傷ついた。

相手もものすごく傷ついただろう。

とても尊敬していた人が心の殺人鬼だった、、、

今も私の心の傷は癒えない。

この先も、、おそらく、ずっと。




もう治らない病に侵されてるんだろうと思いながら1年ほど連絡もろくに取らず、研究室にもいかなかったが、

ひょんなきっかけで先生の昔からの知人を繋げることになり、

そして久しぶりに研究室に行った。


よくも悪くも人間らしい人なんだろうと...

少し客観的にクールに見ることができるようになったかなと思った。



それはともかく、、

人は孤独なんだよ。

とたまにふとした時に思い浮かんで、


本当は誰かにすがりたくて


泣きつきたくて、

でも自分がしっかりしなきゃいけないと。

そんな、自問自答を何千、何億としてきた。




今までは、

あまりネガティブなことを残すのを避けてきたけれど、

これは向き合った方がいい自分の根底にある気持ちだからツラツラと書いてみた。



最初に戻ると、、


私はアメリカに行かせてもらったけど、
それと引き換えに
心に大きな傷を負ったのかもしれない。

信頼してた、、、
本当は信頼したい、、
人に。

おそらく、
信頼していたのは偶像の人物で
相手の過ちも全て本物を受け入れる、
または赦せるほど、
私はまだ懐が深くないのだ。


アメリカで働きたい。

それは、、

心と引き換えにもらった切符だから、、、

とどこかで思ってる節もあるのかもしれない。

もちろん純粋にアメリカで働きたいという気持ちもあるけれど。


アメリカに行ったから幸せになるわけじゃない。

物質的なもので満たしても無駄とまでは言わないが概ね無駄。

そんなことは私が一番わかっているつもり。


思いっきり真っ向からぶつかって、意見を言ったあの日からだいぶ時間が経って、、、

その人は良い意味でも悪い意味でも正直で人間らしい、人なのではないのかなと思っている。

本能のままにいきているのかなと。
知らないけれど、、、

よく言っていた言葉は

愛と赦し

私にはまだよくわからない。



それはそうと、、

いつか、本当に心を許せて串刺しにしないで、
傷を癒してくれる、

バジリスクに噛まれても
涙で癒やしてくれる不死鳥のような何か、、

人じゃなくてもいいから、

現れてくれたらいいな。



この記事は今の自分の素直な気持ちを吐露した日記としてこの先もここに置いておくと思う。




最後までお付き合いしてくださった方は

どうもありがとう。


こころとからだをたいせつに。


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