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表現することとは...


小さい頃、よく家族で夏休みにアメリカに行った。

アメリカというのもアメリカ本土ではない。

Saipan島。

零戦やバンザイクリフを観るわけでもなく、
ガラパンというSaipan島の中心街を回るわけでもなく、やったことは波乗りだった。

いや、これも厳密には嘘。

人工的に作った波に乗る練習をひたすらと。

がただしい。



今はRapid Surfという正式な競技として名前を変えているけれども、、、

その人工波に朝から晩まで波に乗れるまで、父親と他のロシアや中国、韓国、アメリカ本土などから来た人たちと共に、朝から晩まで永遠に練習した。

父親はスリランカとかモルディブとかに良く行くいわゆるガチのサーファーだけれど、私のレベルに合わせてくれて朝から晩まで一緒に練習してくれたのだった。

毎年、日本に帰る頃にはチビクロサンボみたいにまっくろくろすけになって、冷たいシャワーを浴びるのも痛いほどに日焼けした。

そして秋口には毎年全身の皮膚がピリピリと剥けるのが毎年の恒例行事だった。

夜は現地の催し物があって、現地のkids clubに所属していた私は、よく夜の催し物の舞台のネタになると言われ、色んな国から来た人と何か一芸できないかとリハーサルをしたものだった。

舞台裏の小道具


舞台裏にはレインボーアフロやらバブルを彷彿とさせるようなドレス、ジャラジャラのアクセサリー、ピエロの鼻、全身タイツ、大量のスプレー缶、パーティーグッズ、新宿二丁目のオカマバーを彷彿とさせるようなものが色々転がっていて、私たちkidsは異国の子供たちと共に言語が通じないながらも、一芸を披露して大人たちの拍手を誘うのがそのkids clubの目玉行事だった。

舞台裏の風景


この時の記憶は今でも鮮明に残っている。


頭のてっぺんからつま先まですくむような恥ずかしさ。

現地のアメリカ人に「何かやってみろ。」



と言われて、言われるがままに私たちkidsは舞台に立たされるのだけれど、その何かをすることが見事にできない。

舞台裏での謎のリハーサル


催し物をはたから観てる時は、もっとあーしたほうがいい、こうした方がいいと思うのに、、、、


いざ自分が舞台に立たされて何かやってみろと言われると、そこには手足がすくんで何もできない自分がいた。


それどころか、何かやってみろと指示しながらビデオを向けるアメリカ人によく腹が立ったものだった。


お前は何も差し出さないくせに、人には何かすることを要求しあがって。と。



そう、その時は色々吐き違えていた。

表現者は演じる側だけだと思ってた。


才能を引き出す監督、写真を撮る人も突き詰めれば表現者なのだけれども、、、



写真、映画、論文、本なんだっていい、作品はいつだって自分の一部を削って差し出して初めて人様の心に届いたりするものだと思う。

私は本を読む時、作品を見る時はいつだってその作者の生い立ちやバックグラウンドをみる。

その作者から飛躍しすぎたようなものはその作品が入ってこない。本なら信じれないのだ。信じれないと内容がスッと入ってこない。

途中で読むのをやめてしまう。



あくまでこれは私の話だけれども、、、



自分の気持ちを表現するのが苦手な私は小さい時からなるべく表にたたないような立ち位置を選んで生きてきたつもりだった。


人にさしずされるのが嫌で、自分だけで完結してしまうような仕事。


お堅くて、人とあまりかかわらなくて、憎まれなくて、それでいて感謝される仕事。

そう。

医者がまさにそれだと思ってだから、医者を志したのかもしれない。

人を救いたいとか綺麗な理由ではない。

ごめんなさい、
神様。


でも、今考えれば、全くそんなことはない。


むしろ人と密接にか変わる仕事なんだけれど、、、



そして今、歯科をバックグラウンドに持つ私は形成外科と耳鼻科で迷っている。


形成外科などその人がどうして欲しいかを汲み取り、互いのイメージをすり合わせ、それを表現するようなことなのに、、、


あの日、頭のてっぺんからつま先まで鳥肌が立つほど恥ずかしかったあの日の出来事は


本当は完璧を求めるほどに執着していた像が自分の中にあったからこそなのではないのかと。

私は表現者が大嫌いだったはずなのに、実はそれこそがやりたかったことなのではないかとなんとなく感じている。


なんとなく。


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