介護といえば、大切な仕事、社会から求められている仕事である一方、賃金も安く大変な仕事というイメージを抱く人も多いのではないでしょうか。かくいう書き手の私も、そのひとり。
私は業界は異なりますが、保育の世界で命を預かる日々を経験したことがあるからこそ、一人ひとりと向き合う介護の仕事にともなう責任や重さをずっしりと想像してしまいます。一方で、ひとりの生き様に最期まで伴走し、生きるということを問い、体現し続ける櫻想(侍)(おうそう・さむらい、以下、櫻想)には、大変という一言ではくくれないたしかな手触りがあるようにも感じます。
今回は、そんな櫻想が、介護という仕事をどう捉え、そこで働く人たちとどう向き合っているのか、採用や人事のお話を伺いました。
話者プロフィール
一番大切なのは、人として共にありたいと思えるかどうか
介護技術はずば抜けているけど、コミュニケーションを取るのは不得手だから、 仕事全体で見るとなかなかうまくいかない人もいれば、技術は全然足りなくても、コミュニケーションが上手に取れることで、その日一日をなんだかうまく回せる人もいる。その二人がそれぞれいいところを合わせて、プラスマイナスちょっとプラスになればいいですよねと櫻井さんと諸橋さんは言います。
介護保険のサービスのなかで、「仕事としてこなしてください」となると、それをこなせない人は排除されてしまう。公的サービスとして税金を使うときは、杓子定規にならざるを得ない事情もありますが、クレームが出ないようにきっちり終わらすことだけを基準にしてしまうと、それに沿って動けない人は切り落とされてしまいます。
櫻想ではそういった基準以前に、利用者さんともスタッフとも、サービスを提供する側・される側としてではなく、ひとりの人として付き合っていきたいと考えているそうです。
利用者さんのどんなふうに生きていきたいのかという意思を重んじ、周囲の手で生かされるのではなく、ひとりの人として人生を全うしてもらいたいと考える櫻想。そのために、最期までどうひとりと向き合っていけるのかを考え続けているからこその信念が垣間見えました。
なぜ働くのか?を問う
会社として、人手がほしいという気持ちはゼロではない。でも、大事にしたいポイントをスタッフも同じように尊重できるかどうかが重要。そのため、雇う側も働く側も、お互いに苦しくないよう、採用という入り口でいかにミスマッチを減らすかを大切にしていると、諸橋さんと櫻井さんは話します。
働く人と、丁寧なすり合わせを続けられなかったがゆえに離職者が出てしまったときは、能力不足を痛感することもあったそうです。
そうやって面接を丁寧にしている分、時間も手間もかかるため、一日に2、3件の面接が限界だといいます。
会話の内容よりも、面接という直接対面している状況で、目の前のひとりの人柄をどれだけ推定し、推測するか。面接だけでは見通せないものもあったり、得意苦手の凸凹が見えていたりしても、人として向き合っていく以上は、そこも含めて受け止め、楽しんでいけるのかどうか。
たとえば働く意欲はあって、すごくいい人だけど、人の話をしっかり聞くのが苦手そうだから、仕事上でなにかミスが起きるかもしれない。そう予測することがあっても、それを会社としてどこまで許容し、受け止め切れるのかを考えるんだそうです。
介護を受ける人・介護を提供する人という相対する立場ではなく、ひとりの人として、利用者がどんな願いや意思を持っているのかに向き合おうと、日々模索し続けている櫻想。人と向き合うその姿勢は、利用者だけではなく、共に働く人にも一貫して向けられています。
櫻想の地に足がついた姿勢が育まれているのは、一人ひとりの生きる意思と向き合うまなざしが、利用者の方だけではなく、共に働く人たちへも変わらず向けられているからこそなのかもしれません。