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ひとりの人として、共に働き、共に生きる

介護といえば、大切な仕事、社会から求められている仕事である一方、賃金も安く大変な仕事というイメージを抱く人も多いのではないでしょうか。かくいう書き手の私も、そのひとり。

私は業界は異なりますが、保育の世界で命を預かる日々を経験したことがあるからこそ、一人ひとりと向き合う介護の仕事にともなう責任や重さをずっしりと想像してしまいます。一方で、ひとりの生き様に最期まで伴走し、生きるということを問い、体現し続ける櫻想(侍)(おうそう・さむらい、以下、櫻想)には、大変という一言ではくくれないたしかな手触りがあるようにも感じます。

今回は、そんな櫻想が、介護という仕事をどう捉え、そこで働く人たちとどう向き合っているのか、採用や人事のお話を伺いました。

話者プロフィール

櫻井さん
看護学生を経て医療業界から介護の世界へ。介護福祉士として20年間、多種多様な現場を経験する。利用者も職員も自分らしくいられる場所を見つけられるといいなと願いながら、職務に従事する。

諸橋さん
関東を中心に、新規事業立ち上げの書類整備から、介護職員、営業、管理業務等、介護医療現場のすべての業務に従事した経験を持つ。2021年5月より株式会社櫻想の代表取締役・訪問介護事業所侍の管理者を務める。
侍の仲間とともに、高齢者を中心に、障害や病気等の要因で生活に困窮している方々の生活全般における支援に日夜取り組んでいる。

一番大切なのは、人として共にありたいと思えるかどうか

櫻井さん:
一般的に、介護だけじゃなく、「こういう人材がほしいです」とか、「ここの穴を埋められる人がほしいです」という採用方法や基準がありますよね。櫻想の場合、それもなくはないんですが、それよりもやっぱり、1番大事なのが人間性だと思っています。

櫻井さん:
たとえば櫻想には、40年ぐらい地方公務員を勤めたあと、いろんなところで活動をしているアリハラさんという83歳のスタッフの方がいます。

その方は、介護の技術がすごいとかそういうことよりも、人間性が突出しているんです。「あの人が頑張ってるから、私も頑張る」みたいな空気をつくってくれる人だから、みんなの目標なんてものじゃ、おさまらないくらい。

アリハラさんは、話がちょっと突拍子もないこともあって、周りの人にとっては「なにを考えてるかわからない」となってしまうこともあると思います。でも、人それぞれじゃないですか。私たちにとっては、そのバイタリティーで刺激をくれるすごい人です。

介護技術はずば抜けているけど、コミュニケーションを取るのは不得手だから、 仕事全体で見るとなかなかうまくいかない人もいれば、技術は全然足りなくても、コミュニケーションが上手に取れることで、その日一日をなんだかうまく回せる人もいる。その二人がそれぞれいいところを合わせて、プラスマイナスちょっとプラスになればいいですよねと櫻井さんと諸橋さんは言います。

介護保険のサービスのなかで、「仕事としてこなしてください」となると、それをこなせない人は排除されてしまう。公的サービスとして税金を使うときは、杓子定規にならざるを得ない事情もありますが、クレームが出ないようにきっちり終わらすことだけを基準にしてしまうと、それに沿って動けない人は切り落とされてしまいます。

櫻想ではそういった基準以前に、利用者さんともスタッフとも、サービスを提供する側・される側としてではなく、ひとりの人として付き合っていきたいと考えているそうです。

諸橋さん:
体が動かなくなったりすると、「いや、俺動けねえし。やってもらわなきゃ困るんだよ」という要求や姿勢が増えていきがちなんですが、それに対してただ従って介護を提供するのではなく、「どうしたらいいのか一緒に考えましょうよ」というふうにしていきたい。

介護のそもそもの前提が「全部やってあげる」「助けてあげる」に、いつの間にか書き換えられてしまっている気がしますが、本来はそうじゃないよなという気持ちが常にあります。

諸橋さん:
人の気持ちとして、やってあげたい、助けてあげたいという気持ちを捨てる必要はないと思いますが、 介護をするという以前に、利用者ともひとりの人として関わる以上、人として生きてほしいという姿勢が欠かせない。僕らが一緒に働くスタッフには、同じような心構えをもってもらいたいと思っています。

利用者さんのどんなふうに生きていきたいのかという意思を重んじ、周囲の手で生かされるのではなく、ひとりの人として人生を全うしてもらいたいと考える櫻想。そのために、最期までどうひとりと向き合っていけるのかを考え続けているからこその信念が垣間見えました。

なぜ働くのか?を問う

櫻井さん:
櫻想(侍)の求人に応募してくれた方には、給料など働く上で求めている条件やこれまでの経緯はもちろん、働くことの意欲や目的も聞きながら、この人にとって本当に仕事として介護が必要なのかな?と考えます。

また、うちは訪問介護ですが、介護の中にも種類がいろいろあるので、施設系がいいのか、デイサービスが合うのかといったことも考えます。

諸橋さん:
人になにかをやってあげたいと思う気持ちは否定しないけれど、介護はただ奉仕するものじゃないというのが僕らの基本姿勢なので、採用するときに「やってあげたい、助けたい」と単純に思っている人を採用してしまうと、コンセプトがずれて、会社として崩れていってしまう。なので面接では、そのあたりの想いも掘り下げて聞いています。

そのために、「なぜ働くの?」というのをさまざまな角度から問うようにしています。

会社として、人手がほしいという気持ちはゼロではない。でも、大事にしたいポイントをスタッフも同じように尊重できるかどうかが重要。そのため、雇う側も働く側も、お互いに苦しくないよう、採用という入り口でいかにミスマッチを減らすかを大切にしていると、諸橋さんと櫻井さんは話します。

働く人と、丁寧なすり合わせを続けられなかったがゆえに離職者が出てしまったときは、能力不足を痛感することもあったそうです。

諸橋さん:
会社として大切にしたいことと重ならない人でも採用しないと事業が立ち行かないのなら、極論では経営を降りるという覚悟を持ち、それでも譲れないポイントが、採用基準になるのかなと思います。

そこの線引きは常にイメージしていて、怖いけど引かないというのが、必要なんじゃないでしょうか。

そうやって面接を丁寧にしている分、時間も手間もかかるため、一日に2、3件の面接が限界だといいます。

諸橋さん:
僕らとしては、どんな人に来てほしいかという像はあります。

でもそれと同時に、たとえば仕事としては掃除をやらないといけない局面で、スタッフの判断で「掃除はしませんでした。パンを買ってきました」ということが起きたとしても、この人だったら許せる、やっていけると思える信頼関係や感覚も大事なんじゃないかとも、思っています。

会話の内容よりも、面接という直接対面している状況で、目の前のひとりの人柄をどれだけ推定し、推測するか。面接だけでは見通せないものもあったり、得意苦手の凸凹が見えていたりしても、人として向き合っていく以上は、そこも含めて受け止め、楽しんでいけるのかどうか。

たとえば働く意欲はあって、すごくいい人だけど、人の話をしっかり聞くのが苦手そうだから、仕事上でなにかミスが起きるかもしれない。そう予測することがあっても、それを会社としてどこまで許容し、受け止め切れるのかを考えるんだそうです。

経験が浅いから技術に課題がある、コミュニケーションが苦手、子どもがいるから働ける時間に限りがある、などスタッフの特性や事情はさまざま。それもひっくるめて、お互いに人として付き合い、共に働き続けたいのかを定期的な面談の時間を通して確認しているそうです。

櫻井さん:
職場は働いてお給料をもらう場ですが、同時に、働く人が「自分がいていいんだ」と思える環境にしたいなと思っています。 そこにいる人に合わせた空間があって、柔軟性があってもいい。

櫻想に今いる職員さんは10人ぐらいですが、 みんな大所帯の施設で勤まるのかなって考えることがあるんです。そうすると、大きな組織の中で生き生きと仕事をするのは、ちょっと難しいだろうなと思う方もいます。

私なんかも、自分の強みや苦手の凸凹がありますが、規模の大きい施設だと、そういう特性は横に置いて、全て一律でこなさないといけない。

それがうまく切り抜けられる人は、大所帯の中でも楽しんで働けると思いますが、そうじゃない人は、凸凹を理解してくれる人たちがいるところの方が、自分を出せるんじゃないのかなと思って。

だから櫻想は、「仕事だからこうでなきゃいけない」と考えてしまう人には合わないと思います。そこを面接や面談で話して、お互いに理解を深めています。

「こうでなきゃいけない」がない櫻想では、そこで働いている人に合わせて、職員のお子さんをスタッフ同士で見守りあったり、食を共にしたり、イベントをお祝いしたりする時間が、日常のなかに編み込まれています。

介護を受ける人・介護を提供する人という相対する立場ではなく、ひとりの人として、利用者がどんな願いや意思を持っているのかに向き合おうと、日々模索し続けている櫻想。人と向き合うその姿勢は、利用者だけではなく、共に働く人にも一貫して向けられています。

櫻想の地に足がついた姿勢が育まれているのは、一人ひとりの生きる意思と向き合うまなざしが、利用者の方だけではなく、共に働く人たちへも変わらず向けられているからこそなのかもしれません。


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