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老いとともに生きていくということ

最近では、一般的に知られてきている認知症。脳の働きが低下することで、記憶や判断力の低下をまねき、日常生活を送ることが難しくなっていく脳の病気です。

認知症とともに生きる高齢者の人口は、寿命が伸びるのと比例してこれからも増加し、2025年には高齢者の5人に1人、国民の17人に1人が認知症になるものと予測されています。

老いという誰もが避けては通れない人生の話。

これまでできたことが、できなくなっていく。
これまでわかっていたことも、わからなくなる。

私たちは生き続ける限り、そんな老いにともなう不便や不可能にも向き合っていかなければいけません。でも、一体どうやって老いとともに生きていったらいいのでしょうか?

認知症であっても、1人で暮らせる環境や地域をやっぱり目指したい。

という櫻井さんと諸橋さんに、今回は、老いとともに生きることについて話していただきました。

話者プロフィール

櫻井(さくらい)さん
看護学生を経て医療業界から介護の世界へ。介護福祉士として、多種多様な現場を経験する。利用者も職員も自分らしくいられる場所を見つけられるといいなと願いながら、職務に従事する。

諸橋(もろはし)さん
関東を中心に、新規事業立ち上げの書類整備から、介護職員、営業、管理業務等、介護医療現場のすべての業務に従事した経験を持つ。2021年5月より株式会社櫻想の代表取締役・訪問介護事業所侍の管理者を務める。
侍の仲間とともに、高齢者を中心に、障害や病気等の要因で生活に困窮している方々の生活全般における支援に日夜取り組んでいる。

「許容する」ということ

櫻井さん 認知症の方が勝手によその家に侵入してしまって、問題になることがありますよね。そういう被害を受けた方は怖いし、気持ち悪いというのはあると思うんです。
でもやっぱり、認知症の方が1人で暮らせる環境や地域を目指したいなと思います。

たとえば海外では、老人ホームのようなひとつの建物で完結するのではなく、居住地と一緒に、入居者が自由に出歩けるスーパーや映画館などの娯楽施設などもすべて集まったテーマパークのようなケア施設もあります。

オランダのDe Hogeweyk(デ・ホーフウェイ、以下「ホーフウェイ」)という施設では、ケアテイカーと呼ばれる介護スタッフのサポートのもと、5〜6人の認知症の高齢者の方が敷地内にあるひとつの住宅で共同生活を送ります。

ホーフウェイでは、入居者のこれまでの人生をもとに、ライフスタイルがあう人同士をグルーピングしたり、食事の栄養チェックはしない、入居者が自由に出歩けるように転倒などの事故が起こらないという約束はしないなど、入居者本人のこれまでの生き方や価値観を尊重するという施設のあり方が特徴です。

櫻井さん そんな「認知症タウン」というほどまで変えなくても、共存までいかないとしても、もう少し全体的に視野を広くして、ひとりひとりを受け止めるような社会にできないのかなと考えています。

諸橋さん 海外の事例でいうと、まちの施設で働いている職員も全員介護のプロ。だから、入居者のうしろで掃除してる人たちが、実は介護のプロで、いつでも入居者を見守ってるような状況です。
そのもっと手前で、 認知症の人もそうでない人でも、嫌なら嫌とおたがいに遠慮なく言い合うありかたというか。妙に優しくなくていいけど、「そういう人なんだ。認知症なんだな」という認識をしつつ、受け止める社会にできないかと思っています。

その人の特性ととらえて、問題が起こってもちょっとだけゆるく見る。許容できる範囲を許容する。でも、ダメなことや嫌なことはきちんと表明する。そうやって共存していくことはできないんだろうか?と話は続きます。

諸橋さん どこまで何を許せるかは、価値観とか大事にしてるもので全然変わりますよね。認知症の方が家のドアノブをガチャガチャしてしまったとき、 「うるせえな」と言って済ませる人もいれば、怖がる人も、イラつく人もいる。

みんなバラバラだと思うんです。

櫻井さん 障害も、最近はその人の特徴としてとらえよう、受け止めようという流れになってきていますが、それと同じように、認知症も病気は病気なんだけど、そういう個性のある人として、この社会の地域の中で暮らせればいいのかな、なんて思うんですよね。

ポップアップレストラン「注文をまちがえる料理店」では、ホールで働く従業員が認知症の方々。ときどき注文を間違えるかもしれないことも織り込み済みです。このレストランのように、許容しあうことはできないのでしょうか?

諸橋さん  介護業界では、「問題がないように」「清潔に」「完璧に」という傾向が強くなっている気がします。でも、利用者が自分が思ったように行動したことで、本人が困ったり、怖い思いをしたりする過程も、結局、人間として生きているんだったら必要なもの。
全てが安心な社会なんてものがない以上、それも全部ひっくるめて許容していくことが必要なんじゃないかと思うんです。

ただ、問題とされるような行動を許容するということは、なんでもかんでも受け入れるということとは違うといいます。

櫻井さん 汚したり、壊したり、誰かに迷惑をかけたのであれば、本人が取れる範囲で、責任もきちんと取ってもらう。迷惑をかけた人には謝ったり、その本人ができるのであれば、汚したところを掃除する。
そういった誘導やサポートをするのも私たち介護士の役割だと思っていますが、でもそれを私たちだけじゃなく、社会全体でもうちょっと広い目で受け止められるようになったらいいなと思うんです。

認知症の方も、誰かに迷惑をかけたいと思って行動しているわけではありません。ただ、認知の仕方が異なっているために、周囲から見ると「変わっている」「わからない」ととらえられてしまうのです。櫻想の新人研修では、そういった認知症の方の心と思考を想像してもらう研修を取り入れているそうです。

たとえば、想像してみてください。

自分が寝てしまって、ふと目が覚めた時には、見たことない光景が目の前に広がり、見たことない人たちがいる。肌の色も違って見えるし、 喋ってる言葉もわからず、匂いも違う。

その時、あなたはどうしますか?

「不安だから動き回っちゃう。出口を探す」「どうやって探すの?」「壁に沿っていって、扉という扉を開けてみる」といった会話と問いを重ねながら、認知症の徘徊というのは、そうやって起こるんだよね、というように、認知症の方の状況を理解していきます。

その人の状況が想像できなければ、ただ問題行動を起こしているととらえがちなことも、本人にとっては、実は何か意味があることなのかもしれない。

だからこそ、そのわからなさを想像したり、寛容になったりしながら、共存していくことはできないのか?というのが、櫻井さんと諸橋さんにとっての大きな問いになっています。

一人ひとりの生きる意思と向き合うこと、生きるとはどういうことなのかを問い続けている諸橋さんと櫻井さん。そんなおふたりにとっても、どうやって老いとともに生きていくのかというのは、簡単に答えが出るものではなく、正解のない問いではありますが、考え続けていくことが、ありかたをつくっていくのだとお話を聞いていて思いました。

そうやって介護業界に波紋を投げかけ続けている櫻想ですが、最近では、「櫻想の取り組みは、どんなふうに写っていますか?」「どう思います?」と周囲にも問いかけながら、自分たちのありかたを振り返っているそう。

そこで次回は、櫻想で働くスタッフの方に話を聞き、その方の目に写る風景から、櫻想の姿を探ってみようと思います。



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