老いとともに生きていくということ
最近では、一般的に知られてきている認知症。脳の働きが低下することで、記憶や判断力の低下をまねき、日常生活を送ることが難しくなっていく脳の病気です。
認知症とともに生きる高齢者の人口は、寿命が伸びるのと比例してこれからも増加し、2025年には高齢者の5人に1人、国民の17人に1人が認知症になるものと予測されています。
老いという誰もが避けては通れない人生の話。
これまでできたことが、できなくなっていく。
これまでわかっていたことも、わからなくなる。
私たちは生き続ける限り、そんな老いにともなう不便や不可能にも向き合っていかなければいけません。でも、一体どうやって老いとともに生きていったらいいのでしょうか?
という櫻井さんと諸橋さんに、今回は、老いとともに生きることについて話していただきました。
話者プロフィール
「許容する」ということ
たとえば海外では、老人ホームのようなひとつの建物で完結するのではなく、居住地と一緒に、入居者が自由に出歩けるスーパーや映画館などの娯楽施設などもすべて集まったテーマパークのようなケア施設もあります。
オランダのDe Hogeweyk(デ・ホーフウェイ、以下「ホーフウェイ」)という施設では、ケアテイカーと呼ばれる介護スタッフのサポートのもと、5〜6人の認知症の高齢者の方が敷地内にあるひとつの住宅で共同生活を送ります。
ホーフウェイでは、入居者のこれまでの人生をもとに、ライフスタイルがあう人同士をグルーピングしたり、食事の栄養チェックはしない、入居者が自由に出歩けるように転倒などの事故が起こらないという約束はしないなど、入居者本人のこれまでの生き方や価値観を尊重するという施設のあり方が特徴です。
その人の特性ととらえて、問題が起こってもちょっとだけゆるく見る。許容できる範囲を許容する。でも、ダメなことや嫌なことはきちんと表明する。そうやって共存していくことはできないんだろうか?と話は続きます。
ポップアップレストラン「注文をまちがえる料理店」では、ホールで働く従業員が認知症の方々。ときどき注文を間違えるかもしれないことも織り込み済みです。このレストランのように、許容しあうことはできないのでしょうか?
ただ、問題とされるような行動を許容するということは、なんでもかんでも受け入れるということとは違うといいます。
認知症の方も、誰かに迷惑をかけたいと思って行動しているわけではありません。ただ、認知の仕方が異なっているために、周囲から見ると「変わっている」「わからない」ととらえられてしまうのです。櫻想の新人研修では、そういった認知症の方の心と思考を想像してもらう研修を取り入れているそうです。
たとえば、想像してみてください。
自分が寝てしまって、ふと目が覚めた時には、見たことない光景が目の前に広がり、見たことない人たちがいる。肌の色も違って見えるし、 喋ってる言葉もわからず、匂いも違う。
その時、あなたはどうしますか?
「不安だから動き回っちゃう。出口を探す」「どうやって探すの?」「壁に沿っていって、扉という扉を開けてみる」といった会話と問いを重ねながら、認知症の徘徊というのは、そうやって起こるんだよね、というように、認知症の方の状況を理解していきます。
その人の状況が想像できなければ、ただ問題行動を起こしているととらえがちなことも、本人にとっては、実は何か意味があることなのかもしれない。
だからこそ、そのわからなさを想像したり、寛容になったりしながら、共存していくことはできないのか?というのが、櫻井さんと諸橋さんにとっての大きな問いになっています。
一人ひとりの生きる意思と向き合うこと、生きるとはどういうことなのかを問い続けている諸橋さんと櫻井さん。そんなおふたりにとっても、どうやって老いとともに生きていくのかというのは、簡単に答えが出るものではなく、正解のない問いではありますが、考え続けていくことが、ありかたをつくっていくのだとお話を聞いていて思いました。
そうやって介護業界に波紋を投げかけ続けている櫻想ですが、最近では、「櫻想の取り組みは、どんなふうに写っていますか?」「どう思います?」と周囲にも問いかけながら、自分たちのありかたを振り返っているそう。
そこで次回は、櫻想で働くスタッフの方に話を聞き、その方の目に写る風景から、櫻想の姿を探ってみようと思います。
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