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被災地支援について思うこと

2011年、東日本大震災の時に、友人たちと一緒に作ったNPOで被災地の支援活動を行なっていた。仮設住宅にも赴き、主にセルフケアのWSなどを行なっていた、
自分が被災者になった今振り返ると(自分に“被災”という言葉を当てはめるのには違和感があるがわかりやすいので使わせてもらう)、あれは善意の押し付けになっていたのではないかと感じた。
どのタイミングかは忘れたけど、実際東日本大震災の被災地でも「ボランティアおもてなし疲れ」みたいな状態があった。

果たしてそのボランティアは必要なのか。

ケースバイケースだし、その土地によると思うので一概に線を引ける話ではないと感じる。

また、珠洲という土地は特殊である。
何かの街道筋ではないし(東海道とか中山道とか)、だから街道筋沿いに栄えたみたいな感じはないし、半島はどんつき。
北前船での交流交易はあったものの、たくさんの人が行き交う賑やかな場所ではない。
それゆえ、この土地の人たちは半島という閉じられた世界で、自分たちで協力しあって生きていくということを、もうずっと何代もやってきてて、それが当たり前のようになっている。
実際私もここに引っ越してきた当初、集落のおばあちゃんに「ここで一緒に頑張って生きていきましょうね!」と言われた。しかも何人かに。
「生きていきましょう」ってあまり日常的に使わない言葉だな〜と思っていたけど、今になってその言葉がよくわかる。
日常の全てが「生きる」に直結している。
もっというと「自然と共にみんなで協力して生きる」という意味だったのではと思う。
都会の人の想像以上に、自然や人と調和してやってきているのである。

なので「これまでの生活に戻すことに直結する支援」以外は、ニーズがあるのか正直疑問。
それこそ“おもてなし”をして疲弊する未来をなんとなく感じる。
それでもやる!という方はまず5年くらい住んでみてそれからにしてほしい。
いや、そんなの被災支援じゃなくなっちゃうじゃん?と思うよね、
でもそれだけ文化風土が違うし、本当に腹据えて寄り添う気持ちがあるなら、地元としてまずはそんぐらいの気概を見せてくれや(それがスタートラインやぞ)、ということなのです。

珠洲に関わる県外の人間が、「このリソースを使ってこんなこと起業できるやん!」っていうのをゴマンとみてきた。
なんかそれに近いものを感じる。

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