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エピローグA;知足適欲

#14

1 幸福十景

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 今回は、これまで述べて来た「幸福の要素」を顧み、補足や修正をふくめて反芻したいと思います。まず、3週目に扱った「幸福の序論」ともいうべき「現代は楽しみに満ちてについて・・・
そこでは、歴史ある超大国、中国の古典「書経」から「五福」を紹介しました。その内容は次の通りでした。
1 長寿
2 富裕
3 健康
4 徳を好むこと
5 天命を全うすることの五つです。
いかにも漢字の国らしい簡潔明快な表現です

次に最も歴史の若い国、超大国米国の統計的調査(アンケート方式)による「幸福:well beingの要素」を五つ挙げました。いかにも米国らしい具体的な表現になっています。
1 仕事に情熱を持って取り組んでいるか
2 よい人間関係を築いているか
3 経済的に安定しているか
4 心身ともに健康で生き生きしているか
5 地域社会に貢献しているか

この二つを勘案し日本人的感覚で四つに融合圧縮し、新たに「生活」を追加して五つに集約してみました。
1 仕事(天命、適職)
2 金銭(富裕、安定した収入)
3 健康(心身ともに健やか)
4 家族・仲間(徳・人間関係)
5 生活(食・住・衣) です。

しかし、この要素を個々に実景としてみていく過程で、どうしても足りないなと感じるものがありました。それは愛と夢です。愛と夢はつかみどころがないようですが、現実の厳しい人生を生き抜いていく上で不思議な力を持つものと考えたからです。
それから、「生活」については、日々の生存そのもの(living)であり、非常に重要だと考え、より具体的に「食・住・衣」として取り上げることにしました。また、そのプロセスでもう一つ欠落していた大事な要素に気づきました。それが遊び(趣味)です。その結果、幸福の要素は十にまで膨らんだという次第です。

その「幸福の十景」をあらためて列記すれば下記のようになります。
 1 食事;食べること、これは最優先の要件、そして最高の楽しみ。
 2 住まい;安心して眠れる、命を蘇らせる場、子孫を育む安全な揺り籠。
 3 衣装;天与の身体を保護し、装いという美的表現を楽しむ場。
 4 仕事;生活の背骨かつ自己表現の場、人の役に立つ歓び、存在意義を示す場。
 5 家族・仲間;支え合い共生し、祖先から子孫へ命をつないでいく原始共同体。
 6 金銭;日々の暮らしを賄い、多彩な人間的活動を支える基礎的要素。
 7 健康;30兆の細胞を活性化する、全生存活動の最も基本的な要素。
 8 遊び;人間を人間たらしめる好奇心や想像力発揮の場、百楽百芸の舞台。
 9 ;生きる証し、愛し与え合い、絆で結ばれる、そして広く慈悲の世界。
10 ;想像力、創造力、夢想は最も人間的な魔訶不思議な力・・・

 こうして一覧すれば、「人生はまさに楽しみに満ちている」ことが理解できると思います。
 そして重要なことは、いずれも金銭はそれほど必要としないことです。「サムマネー」があればいい、あとは本人の気持ち次第、創意工夫、知恵次第という世界です。それは相応の健康と相応の金さえあれば、「人生は楽しく生きられる素晴らしい世界」だということを示唆していると思うのです。
 そして現実には十の内、五つもあれば十分幸福になれるということでもあります。ただ、ほどほどの健康とほどほどのお金だけは必須の条件といえましょうね。ですから、日常では人々はこれを三つくらいの言葉にまとめて表現しています。中国では「福・禄・寿」、禄は金銭、寿は長寿、福はいろいろの福の意です。イタリア人の場合は「マンジャーレ・カンターレ・アモーレ」、「食べる、歌う、愛し合う」です。いかにも人生を楽しむ達人のイタリア人らしいではありませんか。日本でも祭りや宴会を想起すれば、「飲んで、騒いで、舞い歌え」です。アジアでもアフリカでも南の島々でも、人類はどこへいっても同じではないでしょうか。

2 人生の四季、それぞれの幸福

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 さて、その幸福を別の面すなわち時系列でみてみましょう。
 何が幸福かは年齢によって変化するからです。つまり、人生の四季に応じて幸福の要件も変わっていくということ、そのことをきちんと認識しておく必要があると思うのです。
 インドには古代から人生を四期に分ける思想があります。ヒンズーの教えに源をもつもので、「学生期」,「家住期」、「林住期」、「游行期」とするものです。「学生期」にはひたすら学び、禁欲的に生きる、「家住期」には結婚し生計をたて子供を育てる、「林住期」には家族や財産を次世代に譲り、人里離れたところでひとりで暮らす、そして「遊行期」には世捨て人となり乞食(托鉢)をしながら巡礼して歩く、というものです。

 作家の五木寛之さんは、この「林住期」を題にした著書で、人生の中で最も自由に生きられる貴重な時期であり、現代の長寿社会では最も注目すべき、黄金期にもなる時期だと説いています。私もまったく同感であり、これらを参考にして現代日本版の「人生の四季」の幸福を考えてみました。
 かつての日本つまり近代化以前の日本では、平均年齢も50歳以下でした。ですから、男性の場合15歳で元服し、女性の場合十代で母になり、二十代、三十代では一家をなして家族を養い、四十代では孫をもち翁とかお婆さまとかいわれていたのです。つまり、少・青・壮・老の四区分を15年サイクルで生きていたということになります。
 しかし、今や寿命はのびて平均80年となりましたので、25年サイクルの四期まで生きられる時代になったといえるでしょう。老年は75歳以上となり100歳を生きる人も珍しくなくなってきたのですから。

 こうした時代背景を踏まえて、現代向きに「青春.壮夏、錦秋、悠冬」という四区分としてみました。これまで白秋,玄冬とされてきた季節を錦の秋と悠遊の冬にし、それぞれの齢にふさわしい生き方を想定し、「十の楽しみ」を人生の四季に合わせて振り分けてみたのです。
 青春;少年時代はまず「遊び」ですね。それがだんだん「学び」になっていきます。そして青年になると「仕事」をみつけ、恋あり出逢いありで伴侶をみつけます。
 壮夏;本格的に仕事に精を出し稼がなくてはなりませんね。住まいをつくり、結婚して子を産み育てます。そして社会的にも相応の義務を果たし、一個独立の大人としての生活を充実させ享受します。
(動物の場合はここで生涯を終るのですね。小鳥でもキツネやタヌキでも巣立ちして一人で生きていく、それを見守れば親の役目は果たしたことになるのです)
 錦秋;ところが人間の場合は、なお30年、40年を生きるのが普通になってきました。ですから、仕事を続ける人もあれば、半ば次世代に譲る人もあり、まったくリタイアして第三の人生を気ままに過ごそうという人もでてくることになります。それは生き方次第ですが、まさに錦の秋にしたいものですね。
 悠冬;そして75歳を過ぎるといよいよ後期高齢者扱いとなり、健康に気をつけながら食事や趣味、あるいは道楽仕事や孫の成長を楽しみに過ごす悠遊期となるのです。
 
現在の日本ではまことに幸いなことに平和と経済に恵まれています。世界でも最も恵まれた環境にあります。ですから多くの人が、むろん健康と金銭面が条件になりますが、このようなライフスタイルを享受できているのではないでしょうか。まことに有難いことだと感謝せねばなりません。

3 不幸な人々もいる、原因は何?その対処法は?

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 ここまで読んできて、あなたはどんな感想をお持ちでしょうか。
「それは結構だけど、現実は厳しくなかなかそうはいかなのじゃないの?」
「光の面ばかりみていては片手落ち、影の部分もちゃんと見なくてはいけない・・・?」と。
 確かにその通りです。では逆発想で「不幸」の面からも少し見てみましょう。
 そもそも日本人は統計によると、先進国の中では最も不幸な人が多いとされています。こんなに豊かで便利で恵まれた国だというのに、何故そうなのか、まことに不思議です。そこで、なぜ幸福になれないのか、彼ら彼女らは何をもって不幸と感じているのか、を考えてみましょう。

 「不幸の要因」は何か、昨今の人生相談やカウンセラーでの悩みの事例をみれば、おおよそ推測できます。それは次の五つに集約できるのではないかと私は思います。
1 鬱病;とりわけ神経的な病、自律失調症、不眠症、ストレス疾患、不妊症など。
2 怨憎;ねたみ、嫉妬、うらみ、いじめ、中傷、SNS、言葉の暴力、DVなど
3 不得;失意、トラウマ、挫折、劣等感、無気力症、自信喪失など
4 貧乏;無職、失業、契約雇用、不安定な収入、ローン債務など
5 老衰;心身の衰弱、機能の劣化、痴呆症、認知症、老々介護、延命治療など。

 では、個々にその原因と対処法について考えてみましょう。
1;鬱病について;これは現代病、文明病ともいえるのではないでしょうか。。時代が激しく変化し、それに適応できない面も大きいと思います。私見ですが、一番の原因は情報や商品、広告や娯楽の氾濫であり、物や情報があり過ぎて、とても消化しきれず慢性下痢症を呈しているのが元ではないでしょうか。そのために好奇心も鈍くなり感性も劣化し、本来なら面白いとか、美しいと感じることにもすべて鈍感になる、いわば人間的機能を失っている状況ではないかと思うのです。
 これには断食療法がいい、原始的な処方がよろしいのではないか。とにかく情報や消費を一定期間断つことです。それには山登りとか独り旅とかがお薦めです。とくにインドとかバリ島とかへ行ってみたらどうかな、というのが私の率直な感想です。
2 怨憎について;これは人間の業のようなもの、いつの時代にもあることです。が、現代の特徴はSNSに象徴される文明の利器によって、それが異常に増幅される一方、暇すぎていじめを面白がる連中がいるのではないでしょうか。対処法は単純明快、そんなことは一切取り合わないこと、無視することに尽きます。馬耳東風、柳に風と受け流していれば、相手もやり甲斐がなく自然にやめてしまいます。
3 不得について;不得とは、いろいろ努力しても成果が得られないこと、それで無気力になり自信喪失に到る、ということでしょう。自分をダメ人間と卑下してしまい、何事につけ諦めてしまう。これは、温室育ち、苦労知らずのせいじゃないですか。本人は努力したつもりでも中途半端、一回や二回の失敗で投げてしまう。
 対処法は、仕事の出来る人のやり方を見ることです。たとえば、ユニクロの柳井正さんやイチローの本を見ることです。失敗だらけ、挫折だらけ、それが当たり前、その体験談から学んでいくのです。その点をしっかり認識することが先決ですね。
4 貧乏について;これも程度問題です、食べていければよしとすればハラがきまる。そのくらいの稼ぎはなんとしてでも稼ぐ。そして働く喜びを体験的に学べば、仕事が面白くなり好循環に入ります。こういう怠けもの、あまちゃんは放り出すしかない、するとやむなく働きだします。どん底の生活を一度経験させることが肝要です。過保護が一番いけない、「死にたいなら勝手に死ね」と突き放すことですね。
5 老衰について;身体的な衰え、理性や感性の鈍化、これらは自然現象ですからやむを得ません。素直に受け入れるしかない。でも、いつまでも若々しく活動している人もたくさんいます。その人たちの共通点は、歳のことなど忘れて仕事だか遊びだか知れませんが、何かに夢中になっています。金にならない仕事、趣味三昧の人、すると自然に仲間ができて、好き同志で恋に陥ちたりして、いよいよ若くなるという順序です。
 
 まあ、悩める人は、チャップリンの映画を見て「SMILE」でも聞いてください。

Smile, though your heart is aching
Smile, even though it’s breaking
Where there are clouds in the sky
You’ll get by
 
If you smile through you fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You‘ll see the sun come shining
through for you
 
Light up your face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear maybe ever so near
 
That’s the time you must keep on trying
Smile, what’s the use of crying
You’ll find that life is still worth while
If you just smile

4 あるがまま、足るを知れば、人生は万々歳!

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 「自然法爾」(じねんほうに)は、いかにも難しそうですが、「ありのまま、そのまま、それでいい」という意味です。米国の詩人ホイットマンはこういいました。「自分というものがある。あるがままで充分だ」と。まさに、この禅語にぴったりの言葉です
 白隠さんの話に「水と氷の話」がありますね。法事になるとお坊さんがよくしてくれる「衆生 本来 仏ニテ,水ト氷ノ如クナリ」という話です。それに続き「水の中にあって渇きをさけぶが如し」というのが出てきます。こんなに豊かで便利な世の中で、幸福の種がいくらもあるのに、まだ“貧乏だ、不幸だ”なんて嘆いているのか、というほどの意味ですね。

 そして大事なのが「知足適欲」です。水をのむにも「足るを知る」ことが大事、適量がよろしい。食事も腹八分が上々、過ぎては悪になるのです。「よい加減、ほどほど」、それが幸福になる第一の秘訣です。これまでは「知足小欲」というのが一般でした。でも、私は「小欲」という言葉がひっかかるのです。欲を小さくする、それは無理だ、人間は欲で生きている、欲がなくっちゃそもそも生きていけない。欲はあって当たり前、それを小さくしては人間も縮んでしまいます。そうでなくて、欲も適度・適量、それが大事だといいたいのです。

 最後に美空ひばりが歌った歌詞を載せます。秋元康さんの詩をじっくり味わってください。川の流れに身を任すくらいのおおらかさ、自然のふところに身を任せるくらいの悠揚たる気分になってほしいからです。

川の流れのように(作詞;秋元康、作曲;見岳章)

知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道
振り返ればはるか遠く 故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
 
ああ、川の流れのように
ゆるやかに いくつも時代は過ぎて
ああ、川の流れのように とめどなく
空が黄昏に染まるだけ
 
生きることは旅すること 終りのないこの道
愛する人 そばに連れて 夢 探しながら
雨に振られても ぬかるんだ道でも
いつか また、晴れる日はくるから
 
ああ、川の流れのように
おだやかに この身をまかせていたい
ああ、川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら

 ゲーテはいいました、「ともかくもあれ、人生、そはよきかな」と。
 楽しみは掌中に在り、日々の生活の中にあり、それに気が付くか、
気付かないかで「幸・不幸」が決まります。
 神様から贈られた貴重な人生です、どうぞお楽しみくだるように
こころより祈念いたします。

5 予告

次号は「エピローグB」、文明と人間についてのまとめです。
さて、どんなことになりますやら?ご覧いただければ幸いです。

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【毎週土曜朝発信】


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