卒論地獄日記 自分が生まれ変わる手ごたえ

皆さん、卒論ライフいかがお過ごしでしょうか。
僕は悲惨ですけど、今日は人生にとっていい実りがありました。
時間はないけど、気分がいいのでこの経験を忘れないようになるべく言葉に残しておきたいと思い筆を執りました。
したがって、この文章は卒論が進まないことを慰め合うものではありません。書いたら書いたで多くの人と痛みを共有できる気もしますが、どちらかというと生き方の話で、他の人に積極的にお話を伺いに行く姿勢って大事だよねということを記します。

背景としましては、僕は一度面倒見の良すぎる先生から見放されて分野も研究内容も全て自分で決めていいこととなりました。僕にとっては超絶心地いい環境ではあったのですが、これが後のち苦労することとなります。何故見放されたかというと、僕は結構アイデアが浮かぶ方なのですが、それをいいことに先生に確認せずに実行しちゃうので、実験の方針が右にそれたり左にそれたり前に行くと思ったら後ろに下がったりします。僕は小さいころから一人遊びが好きでしたが、同じように自己満足で卒論をやっちゃってたんだと思います(笑)まったくホウレンソウの全てができていない状態ですね。それはもう、先生には「君は独善的だね」とか「上司になったら君を雇いたくないね」とか「生きる覚悟ができていない」とか散々にいわれましたよ。そうすると傷つくかと思いきや、あまり傷ついていなかったんですよ。余りにも僕は遺伝子レベルで孤独が好きだったので、先生みたいな生き物もいるんだなーくらいに思っていました。これは後に心理学を学んで知ったのですが、誰かに何かを言われて傷つくといった体験は自らがその何かにコンプレックスを感じているときに他者によって自覚させられることで起こるそうです。例えば体型については、同じ人間であっても自分がブスだと自覚しているか可愛いと自覚しているかによって、他者からブスといわれたときの受け止め方が違うらしいです。前者は傷つきますが、後者は傷つきません。なんのこっちゃといわんばかりにポカンとしちゃいます。僕の場合は、良くも悪くも自己肯定感が高いので、先生に言われたところでポカンとしちゃうんです。そもそも孤独な自分に危機意識がなかったんですよね。もちろん人には寄りますが、例えば独善的になるだとか。思考が偏るとか。危機意識がないと問題は成長に結びつかないことです。自分がどれほど怠惰な人間であっても自分に甘くても、怒られたときに受け流せちゃうところが自己肯定感の高い人間の恐ろしいところです。だから、どうにかして成長したいという意識の動機づけをしなければなりません。余談ですが、キティーちゃんは自己肯定感がとっても高くて好きなキャラです。ポップコーンのうた素敵なんで是非聞いてみてください~
https://www.youtube.com/watch?v=b5-GEK80hyA

前置きが長くなりましたが、今日はそんな僕が本日のゼミで成長の予感を感じられました!という動機づけのお話でございます。
本日のゼミは前回のゼミの続きで、前回頂いたアドバイスを反映した確認をしました。アドバイスは2点ありました。一点目「測定の再現性が甘い」二点目「比較検討するものが違いすぎていて比較できない」。もう12月で進捗が遅いと思われますが、私は先生に愛想をつかされて9月頃に卒論やり直しになりました(アッハッハ)。主題から外れるので割愛。一点目は私にとっては簡単に乗り越えられるものでした。再現性という明確なゴールは持ち前のひらめき力で達成することができました。問題は二点目でした。「比較検討するものが違いすぎていて比較できない」。僕は既往研究を引き合いに出して、こんなに違うふたつのジャンルを比較している研究があるから研究できないわけないっじゃ~んって気持ちでゼミに臨みました。ほぼ完成したAとBのモデルを自慢気にデーンと提出しました。先生は僕に対しては放任主義体制なので何も言いません。声をあげたのは先生ではなくゼミの先輩でした。

確かにそういう研究もあるけど、君はAとBの差をみたいわけだよね。しかし、Aに関してはとても新しい分野なわけだ。研究は基礎研究からの積み上げで、まずはAの基礎研究をしなければいけない。君のやりたいことは20年後くらいにならないとできないよ。

ガーン。
僕の一週間の努力(自己満足)が泡になった瞬間でございました。(先週、そこまでの理屈は説明されていないし...何なら研究の進め方を確認したのに、決めるのはあおじ君だからって結論になってたじゃ~ん)
前回のゼミで、比較検討するものをAとBにするか、Aの中のA1とA2にするかみたいな話はでていました。A1とA2にしようかみたいな話で収めようとしたら、決めるのはあおじ君だからって言われたので我を貫いたんですよね。僕に委ねたのに、そんなのあんまりだよ...一応、先生にも途中経過を報告していてゼミに臨みました。先生は答えを教えてくれなかった、そこに甘んじた背景知識不足の私が完敗いたしました。後悔。

つまり、そこから学んだのは、他者は発言に全く責任はとってくれないということと、ゼミ生はときに先生以上に頼りになるアドバイスをしてくださるということでした。そして、それを活かすためにゼミの時だけではなく、日常的に質問をしたほうがよいということを感じました。今までは自分のアイデアを形にするのが好きでたまらなかったので個の世界にただただ没入していました。また、研究を聞こうと思えるのは先生くらいしかいませんでした。研究ジャンルの違うゼミ生に聞くのは何だか迷惑だなって思っていたので。しかし、僕が自慢げに出した2つのモデルがあっさり泡になって、僕のプライドや今までつっかえていたもの共はぼっきぼきに折れました。ゼミ生はすごい。僕と比べて圧倒的に経験値が違いました。

孤独好きな僕は、珍しくゼミ生とコミュニケーションを取るという新たな日常の先に自分の将来の姿をぼんやりと、しかし鮮明に見出すことができました。そうすると何だかワクワクしてきて、ちょっとゼミ生に話しかける機会増やしてみようかなとか、仲良くしてみようかなとか思えるようになったわけです。自分に成長意識を見出しただなんて、偉い!

という訳で、今日は孤独を愛する自分が他者に興味を持つまでを卒論の挫折と共に紹介させて頂きました。
今日はもう満足。ぐっすり寝ちゃう。

最後に、最後まで読んでくれた皆様、本当にありがとうございました。
卒論って人生を変える力がある気がします~
今卒論に苦しんでいる方もときには絶対いいことあると思います。
僕と一緒にめげずに頑張りましょっ
それではまた!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?