見出し画像

「うつす」ということ。

 

 振袖の前撮りが終わって、いとこの七五三の御参りと一緒に神社へ行った時のスナップ。

画像1

左端の私(当時20歳)、真ん中の従姉妹(数え年7歳)、右端の従姉妹(満5歳)。

7歳の従姉妹が着ている着物は、私が7歳の時に着たものと同じもの。彼女が自分自身で「この緑の着物が着たい」と決めた。そしてこの着物は、私の大叔母が7歳の時に着た着物。
44年にも渡るときを超えて 7歳の女の子に愛される着物。

私が着た振袖は、母が成人式の時に着た振袖。
これもまた時間を超えて、27年の時を超えて20歳の女の子に愛される着物。

血縁のある何人にも渡って愛される着物はどんなに幸せなのだろうか。
時を経ても色褪せない、むしろ魅力を増しているように思える。

この着物たちは、女の子たちに愛されているだけではない側面を持っている。
それは、「この着物を女の子たちに与えた『両親たちの愛』がそこに詰まっている」という側面である。
決して安くはない着物や振袖を購入した決意、世代を超えて着ることができている点にその物の良さが現れている。

良いプロダクト

私が大切にするもの、大切にしたいもの、私の軸。
深い愛を感じざるを得ない。

手を繋いで歩む姿。私の家庭は順風満帆ではなくて、こんな素敵な日を迎えられるだなんて思っても見なかった。
ましてや、こんなにも愛おしい写真が残るなんて。

良いプロダクトが私たち家族のなかで「移す」ことが成されている。

使った機材は、私が祖父からお下がりで貰ったcanon EOS kiss IIIで撮ったフィルムの写真。
現像するまで、この写真の出来上がりはわからなかった。
現像し データが返ってきたときに心が物凄く騒いで、熱い気持ちが胸の中に湧き上がってきたのを思い出す。

「あぁ、こんなにも美しい思い出が こんなにも美しく残ってくれるのだな。」

と、有り難い気持ちになった。

その日の天気、気温、匂い、お腹の減り具合、ヘッドドレスの可愛さに心躍った気持ち、メイクを完成させたときの達成感、まだいとこたちが幼くて息苦しい着物に泣いてしまっていたこと、すべてを思い出す。

そのときの情景を、写真が「写す」という役割を果たしている。

むすびに
これからも、写真を見た時に大切で尊い気持ちを持てるような写真を撮ったり撮られたりしていきたい。フィルム写真がいいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?