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飲食未経験人見知り女子大生がシングルオリジンコーヒー専門店で、3年間バリスタとして働いた話

「シングルオリジンコーヒー」をご存知でしょうか。はたまた、「バリスタ」という職業は耳したことはありますか?

前者はともかく、バリスタという仕事は聞き覚えのある人も多いのではないでしょうか。お客様から注文を頂いて、コーヒーを抽出して、提供する。ざっくり言えばそんな仕事です。

私は3年前の冬、東京のシングルオリジンコーヒー専門店にアルバイトとして入社し、その時からバリスタをしていました。当時19歳、大学1年生。

当時の私はものすごい人見知りで、接客業に不向きすぎる…と1度は不採用通知を受け取ったほどでした。コーヒーが好き、よく行くコーヒー屋さんで働きたいな、コーヒーを伝える側の仕事がしてみたい。情熱といえるかもわからないような気持ちだけをもって、アルバイト募集に応募したのを覚えています。がちがちに緊張した面接、何を話したかもよく覚えていません。1度不採用になったにもかかわらずどうして入社できたかというと、当時の店長から直接「もう一度面接しません?」と声をかけてもらって…「こんなに心がほぐされて、温められて、それでもって青い炎を秘めているようなエスプレッソがあるんだろうか。」といった3年後の今でも爆笑してしまうような恥ずかしい文章とともにインスタグラムにコーヒーの写真を投稿していた過去があったからなかったから?です。SNSは気持ちの言語化の第一歩ですね、恥ずかしがらずに文字にしてみるものです。

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さておき、そんな3年前の冬から私はバリスタになりました。

 バリスタになって最初の壁にぶち当たったのはカッピング。コーヒーの味を言語化してコメントする、ブラインドでコーヒーを味見してどこの豆か当てる、カッピングした結果からそのコーヒーのポテンシャルを見出して弱点は補い強みは最大限に引き出すレシピを考える。私はコーヒーの味からどうやってレシピを組み立てたら良いのか分からず、最短距離でコーヒーを作ることがなかなかできませんでした。なぜ最短距離でなければいけないのか。それはコーヒーを作ってくれる農家さんがいるから、彼らの労力を美味しいコーヒーに出来ずに無駄にすることはとても失礼なこと。同時に、コストの問題でもあります。美味しいコーヒーにするまでに何倍も不味いコーヒーを作ってしまうと、原材料費がもったいないですよね。そんな壁にぶち当たり、ドリップのコーヒーに合格点をもらうまでに1ヶ月半はかかりました。その間、接客のことも教えてもらい「かたい!」「不必要な心の距離感は要らないよ」…などなどたくさん叱られた記憶があります。

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 次の壁、それはエスプレッソ。マシンを使って9気圧で抽出するコーヒーはドリップの何倍も難しく、湯温0.1°C単位で味が変わります。調整を1人で胸を張ってやり切れるようになるまで、4ヶ月くらいかかった記憶。ここでもカッピングのスキルは必要で、「湯温、挽き目、時間、抽出量…」などさまざまな因子の中から、どの要素を変えたら美味しいエスプレッソになるのか、頭の中で理論を組み立ててエスプレッソ調整を体で覚えていきました。中でも「レベリング、タンピング」の動作は「不要な動作を入れない、無駄なく。均一な動きを常に。」ということを常々教えてもらいました。

 私にとって一番の壁、それはラテアートでした。本当に出来なかった、ずっとずっと下手くそだった。バリスタ=ラテアート、みたいな風潮もある中ずっと出来なくて下手くそで、センスが無さすぎた。ものすごい落ち込む日々が続きました。スチームは上手くいっても、アートが描けない。ハートは歪み、チューリップは謎の生命体。アートの美味さは直接的に味には関係ないのだけれど(アートの繊細さはスチームの綺麗さが伴うので、関係ないこともない。スチームが綺麗で美味しいエスプレッソに注げば形は関係ないのだけどね、と言う意味で。)お客様に出した時まず感動を与えられるのは見た目。その見た目が壊滅的でした。下手くそすぎて写真とか撮ってないんだよなぁ…とにかく、安定してアートができるようになるまで、私は1年近くかかりました…長すぎ、よくクビにならなかったなぁ。

 そんなこんなで、バリスタ一年目は「トレーニング!美味しいコーヒーを安定して作れるようになる!接客をがんばる」みたいな、バリスタとして1人で立てるよう、一人前になることに集中していました。他を考える余裕がなかったのが実際です。

 さて、2年目。大学3年生。この時にはもう「美味しいコーヒー」が私の中で確立していて、お客様に美味しいコーヒーを提供できるようになっていたはず…です。2年目の前半は1年目にもがいて練習して…の時期から進歩し、初めてメニュー開発をしたりコーヒーフェスに立ったりしました。初めてメニュー開発をしたのは期間限定ドリンク、母の日に合わせたコーヒービバレッジです。

https://www.instagram.com/p/BxGzMO1BxZy/?igshid=wegsh3jx3oy2  グレープフルーツのシロップ、ピンクグレープフルーツジュース、エスプレッソを使ったアレンジドリンク。ピンクは「おかあさん」をイメージして柔和な桃色になるように見栄えにこだわって開発しました。

 原価計算、オペレーションの作り方、再現性が高いレシピ…などなど今までは考えてもなかったようなことを頭に置いてコーヒーと向かい合った機会でした。

 Tokyo Coffee Fesにも2日間通しで立ったり、その際にベトナムの生産者夫妻と日本の消費者を前にして一緒に働いたり。言葉の壁を超えて、「コーヒーが好き」ということで心が通じた初めての経験は私にとって大きすぎる刺激に。

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↑ ベトナムでコーヒーを作っているローランとジョシュ夫妻。彼らのコーヒーを提供しました。彼らのお話はこの後で詳しく!

 コーヒーフェスでローランたちと仲良くなったことをきっかけに、卒業研究の場所探しをしていた私は、2019年の夏にベトナムのコーヒー農園に10日間行くことを約束します。「夏は雨季で農閑期、コーヒーの木を見ながらのんびりしにおいで、沢山お話ししよう」と言ってもらい彼らとバイバイをしました。


 バリスタ2年目の夏、とある挑戦をしました。コーヒーの抽出の大会に出ました。「エアロプレス」という抽出器具を用いた大会、お店の代表として出場するためにまずは社内コンペで勝ち抜いて、そしてエントリー。「客観的評価が欲しい」と思った私は、社内コンペで勝てただけでもうれしかったのですが、さらに別の所属の人たちとも戦ってみたいと思い大会に出たのです。「おいしいコーヒーとは何か」をひたすら考えて、レシピを作成し何回も修正しました。大会の豆は当日配布されるため、当日になるまでレシピは完成させることが出来ず、当日の朝にカッピングしてレシピを決めました。働いているお店の豆じゃないし、エイジングが思ったよりもかかっていないし、いつもと違うことがたくさん。そんな初めての大会でした。結果は振るわず、敗退。悔しかったです。「ああ、私が思う美味しいは客観的にはおいしくなかったのかな」そんな気持ちが込み上げてきて、もっと成長しなくちゃな、と強く感じました。そもそも私にとってのおいしいコーヒーは、「生産者さんが作ってくれたコーヒーの魅力を最大限に引き出したコーヒー」。バリスタが『味付け』をしてしまうのは、品質の良いコーヒーであればあるほど、本質としての良さがかすんでしまう。という風に思っていたのです。しかし生産の現場に行ったこともないバリスタが「生産者」「本質」「農産物」と唱えたところで、この「おいしさ」の説得力はあまりないのです。やはり農園に行くことが私には必要でした。大会で敗退して2週間もたたないうちに、私は産地に行きます。

 2019年、バリスタ2年目の夏に私ははじめてのコーヒー農園へ。東南アジア、ベトナムの中部高原である保養地ダラットから車で30分の場所にローランの村と農園はあります。ダラットは日本で言う軽井沢みたいなポジションです。涼しくて景色が美しい、自然の豊かなところです。初めてのコーヒー農園で、今まで写真や本でしか見たことのなかったコーヒーの木を生で見て、触って、背比べをして…感動のあまり変な声が出ました。コーヒーの木って、一本一本個性があって、生え方が違うんです。品種によってもちろん異なるし、栽培されている斜面の勾配や日当たりによっても異なります。

農園夏

 初めての農園に私はフィルムカメラを持っていき、写真をいくばくか撮ってきました。ノスタルジーになりやすいなぁ、とそれまでフィルムの写真を捉えていましたが、農園とフィルムの相性は本当に抜群。農園に行ったことがない人にも、コーヒーの写真を見てもらうと「なんだか懐かしい気持ちになる」という、みんなの原風景としての農園の写真が貯まりました。

ローランとキャンディス

 先述の「生産者さんが作ってくれたコーヒーの魅力を最大限に引き出したコーヒー」が私にとって最高においしいコーヒー、その生産者であるローランたちに農園を案内してもらい、彼らの生活に触れ、コーヒーが彼らにとってどんなポジションなのかを目の当たりにすることが出来た10日間でした。まず、ローランにとってコーヒーの木は彼女の3人の子どもたちと同じくらい愛おしくかわいいものだということ。コーヒー農家のローランは、コーヒーの抽出がとっても美味しく立派なバリスタであるということ。農園の中にはカフェスペースがあり、エスプレッソやドリップコーヒーをいつも振舞ってくれました。(彼女が忙しいと「ユキ!!お客さん来たからコーヒー作ってあげてね!!」と仕事を頼まれたこともしばしばでした。)農園の中で、その農園で生産されたコーヒーを抽出する体験はかけがえのないもので、「ああ、こんなにも大好きな環境がこの世にあったのか」と思い返すだけでも胸が詰まるほどです。


 農園訪問の理由は、コーヒーをもっと知りたい、生産の現場を見たいという好奇心の他に、大学の卒業研究のためでした。土地がどのように利用されているかを調べたり、家族構成を調査したり、年間の農園のスケジュールを聞いたり。農園のある村で寝泊まりをして、一緒にご飯を食べることで、彼女たちのコミュニティが特別で、かけがえのないものだということが分かりました。一緒にバレーボールをしたりもしましたよw

バレー

 帰国するころには「私、農園で仕事がしたい。大学卒業したら、ベトナムに行く。」と本気で言っていたし、ローランも「来てほしい、日本人観光客やその他の人と農園のつながりを生んで」と言ってくれていたし、働いていたコーヒーショップとのつながりもあり、私の就職先はベトナムのコーヒー農園、ということで2019年の9月から2020年の3月まで準備をしていました…ので就活はせず。


 2019年の12月、再び農園を訪れます。この時期のダラットの農園は収穫期緯。先述のベトナムの農園で初めて農園滞在型ツアーを開催し、私は現地でガイド補佐を全4期にわたって務めました。ツアー参加者の方で女性は1/3程度。男性の方が多いツアーにおいて「ユキさんがいてよかった、安心できたよ」などというお言葉を女性参加者からいただいたりして、自分がそこにいる意味を強く感じました。

 ツアー開催を運営側として経験して分かったことは、消費者と生産者がつながる機会の貴重さやコーヒーを飲む人のリアクションをつくりて側が知りたがっているということ。今後も継続して生産者と消費者が仲良くできる機会が欲しいものだなと感じました。

 ツアーが終了し、日本人が全員帰った後も1週間くらい現地に残り、収穫の手伝いや調査を行いました。収穫期の生産地は本当に忙しく、朝は早く夜は遅く、休みは礼拝の日曜日のみ。そんな暮らしを生産者と一緒に過ごせたことは、忙しくてもとっても幸せでした。何より生産に関わる現地の若い人たちみんなが楽しそうに働いていたことが印象的で、みんな笑顔。笑顔は伝播するなあと実感しました。

ソーティング

 およそ1か月、大学の授業を休んで収穫期の農園で過ごし、帰国。今思えば授業をさぼってよくやったなぁと思います。帰国してまず行ったことが、農園の写真を使った「農園写真展」。全部で10枚の大パネルと9枚のスナップをライトアップコーヒーの店内に飾りました。タイミングが良いことに、写真展の時期とベトナムのローランのコーヒーのリリースが重なり、店内でコーヒーを飲むとまるでベトナムの農園に旅するような感覚に浸れました。

 バリスタとしてカウンターに立ち、農園の写真を眺めながらお客様とコーヒーの話をのんびりとする平日、そんな日々が2020年の1~2月、かけがえのない時間でした。「三井が一皮むけた!」と言ってもらったのもこの時期からでした。農園で過ごした時間と経験を、自分のものとしてバリスタとして発信したり、農作物のコーヒーに対する愛情が抽出に反映されるようになってきた時期です。コーヒーの味に関しても「おいしいところを最大限に使いたい!」という気持ちがより強くなり、抽出率の高めの味を好むようになりました。

写真展

 そうこうする中、2020年3月、私は3度目の農園訪問。ちょうど新型コロナウイルスの猛威がふるい始めてきた頃。まだ海外渡航規制がかかる前で、ぎりぎり渡航が出来ました。この3度目の目的はコーヒーの花を見ることと、卒業研究の調査の仕上げでした。3度目の訪問がなかったら卒業研究は完成しなかったし、私がバリスタとして農園のことを捉える価値観が確固たるものにはなりえませんでした。厳しい時期ではありましたが、無事に帰国が出来て本当に良かったです。

コーヒーの花

 2020年の春、バリスタ3年目の春。大学4年に進学したものの、コロナによって授業開始時期が遅れたり、アルバイトのシフトががらりと変わったり。「生きているうちに歴史を感じる」生活をするとは思っていませんでした。私は自転車での通勤圏だったため、バリスタとしてお店に立つことは出来ました。エスプレッソを大量に抽出したり、ECの発送作業をしたり・・・こんなに大変な世の中でも、健康に暮らしたいひとは暮らしの中にコーヒーを求めているんだ、と知ることが出来ました。お家でコーヒーに触れたいお客様に届ける体験はとても楽しく、関われることがうれしかったです。

 5月、私はLIGHT UP COFFEEで毎年行われている「コーヒーにまつわるTシャツ展」に参加しました。例年はクリエーターさんたちの作品を見ては「すごいなあ」と思う側だったのに、2020年は伝えたいことが多すぎるバリスタになってしまったため参加したのです。私が伝えたかったこと、それは「Cherish Cherries(チェリーを大切に思う)」。チェリーはコーヒーチェリーのことです。

Tシャツ1

Tシャツ2

 私は、コーヒーと産地の農園にとても魅力を感じています。暮らす人々や農家の方々、コーヒーの木を照らす太陽の光、滴る雨、すべてが愛おしい。けれど、日本でコーヒーを飲むときにそこに想いを馳せることが出来る人はどれくらいいるでしょうか、なかなかにニッチな部分です。「産地第一主義」といったような偏愛思想ではなく、コーヒーを飲むときに農園の儚くて美しいコーヒーの木とつぼみと果実を想像出来たら、コーヒーの楽しみ方が増えませんか?行ったことのない海の向こうの遠くの国の農園でも、コーヒーを飲めば繋がっている気持ちになれる、その時にチェリーも一緒に思い描けたら尚更。

↑ これは、展示に参加した時のインスタグラム投稿文の抜粋です。

 結果として、在宅の時間がまだまだ多かった5月じゅうに70件超のご注文を頂き、受注生産の形でご購入いただいた方々にお送りすることが出来ました。そんなに多くの人がこのTシャツにときめきを感じてくれたことがとっても嬉しかったです。とっても貴重で興味深い体験でした。

 バリスタ3年目の夏は店頭に立つことが多く、これまでの経験を持って私にしか出来ない接客をしました。海外はもとより、遠くに行けない状況が続く中で、コーヒーの体験とは不思議なもので「コーヒーを飲むと遠くに行った気持ちになれる。」そんな気がして、これまで以上にコーヒーの話や生産地の話をお客様やバリスタ間で交わしていました。

  2020の秋以降、ライトアップの卒業まではあっという間で、バリスタとしてコーヒーとお客様と関われることを毎回楽しんでいました。2020年末の全体ミーティングの際には、卒業研究をバリスタみんなの前で発表し、学術的なアプローチとバリスタ業が重なる稀有な体験もさせてもらいました。

プレゼン

 以降、卒業論文の作成が始まり、生産地のことを意識する時間が再び増えました。そうすると反復するようにお店に立っていても産地のことを考え、言葉にします。卒業論文が結論に近づいてきたとき、「生産地の空間モデル」を作りました。少数民族の生産者(農家)さんと、精製所の機能がどう関係しているのかを自分なりに考えて、図示できるようにしたものです(この話はまた別のnoteで)。

 そして2021年の1月、大学の卒業時期より少し早めにライトアップを卒業しました。3年間の勤務のなかで、たくさんの方々と出会うことが出来、ラスト数回の勤務に合わせて、コーヒーを飲みに来て下さる方がいっぱいいて、これ以上にうれしいことはないなぁと感動しました。


 大学のサークルにも入らず、交友関係激せまだった私に希望の光を与えて、「私らしい経験」を積ませてくれた LIGHT UP COFFEEに感謝の気持ちでいっぱいです。




「バリスタになりたい」

こう思う人は多いと思います。美味しいコーヒーを抽出できるというスキル、お客様に心地よく感じてもらえるサービスが出来る、ちょっとカッコイイ…様々な理由から。

3年間経験した感想としては、「バリスタになって、わざわざお店に入って、お店と一緒にこういうことがしたい!」という明確な目標と、熱意がある人とは一緒に働きたいな!と心から思います。

一度、「なぜ、その会社や場所でなければいけないのか」という問いに対して、自分の中で自分の言葉で伝えられることを考えてみるとよいのかもしれませんね。

ユキバリスタ


最後までありがとうございました!




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