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「議事録」には2つの大切な意味がある件 加藤陽子氏の論考に学ぶ

▼安倍晋三政権になってから、公文書の管理の杜撰(ずさん)さが目に余るようになったが、2020年6月20日付の毎日新聞に、「公文書を保存する」意義についての、とても大切な記事が載っていた。

▼具体的には、解散された「専門家会議」で話題になった「議事録」がテーマだ。

「加藤陽子の近代史の扉」から。見出しは、

〈歴史書くには文脈が必要 議事録の意義〉

適宜改行と太字。

〈政府は専門家会議を、行政文書管理ガイドラインが規定する「政策の決定又(また)は了解を行わない会議等」に当たるとの理由で、発言者とその発言内容を速記録から起こした議事録を不要とした。

だが4月7日、政府が発した緊急事態宣言の科学的根拠を提供したのは専門家会議であり、また国と都道府県による国民生活全般への厳しい活動制限指針に正当性を与えたのも専門家会議の知見であった。

まして政府は、今回の新型コロナをめぐる事態を、記録の作成が最優先でなされるべき「歴史的緊急事態」だと3月10日の閣議了解で確認している。今からでも、議事録を作ってはどうか。〉

▼筆者も同感で、おそらくこの提案に反対する人はいないだろう。議事録を残さないなんて、百害あって一利なしだ。

これは、コロナ・パンデミックにおける、国として最も大事な記録を残したくない、という、国としての強い意志を感じる案件だが、なぜこのような視野狭窄(きょうさく)に陥ってしまっているのか、については、またの機会に書きたい。

▼今号では、

〈議事概要ではなく議事録こそが大事であることを歴史的な事例から見ておきたい。〉

という加藤氏の知見に学ぶ。

加藤氏が示す実例は、2つ。

〈1928(昭和3)年に京都で行われた昭和天皇の即位の大礼をめぐる大礼使評議会の議事録〉

と、

〈昭和天皇が即位式で読み上げる勅語(お言葉)を作成した委員会の議事録〉

の2つの議事録だ。くわしい紹介は本文記事を読めば簡潔に書かれている。その先例から、加藤氏は、なぜ議事録を残すことが大事なのか、2つのポイントをあげる。

〈議事録の重要性の一つは、先の前田米蔵の例からもわかるように、歴史を国民の利益の側に1ミリでも進めた人間が誰であるか、またその事績の内容が後世に正確に伝えられる点にある。国家の儀式に誰を招くのか、時代ごとの選抜の意図も後世の検証に堪えて残るはず。〉

▼この前田米蔵が何をしたかというと、即位の大礼に国会議員が参加できるようにすべきだ、と発言したのである。なんと、それまでは、即位の大礼に国会議員が参加できなかったのだ。

これにはビックリした。国民が選んだ代表が参加できない式典だったわけだ。猛烈に時代を感じる実例だ。

〈もう一つの重要性は、発言がなされた文脈をたどれるので、政策決定に与えたその発言の意義を正確に計量できる点にある。〉

▼文脈=コンテキストがわからなければ、テキストの意味はわからない。つまり、その問題の歴史が描けなくなる。

▼筆者がこの論考を読んで思ったのは、こんなあったりまえのことを、加藤陽子氏をして書かせしめる、安倍総理の公文書をめぐる意識の低さである。

おそらく、今の官邸には、広報戦略でもSNSでも情報操作でもなく、文書記録こそが自らの功績を後世に残す唯一の証であり、国民へのご奉公の証であり、文書記録を軽視する者は後世の人々から軽視され、歴史の検証によってふるい落とされるという冷厳な事実を、知っている人が少ないのだろう。

▼加藤氏は〈記録を残さず国民への説明責任を果たさぬ国。その歴史を誰が書けるのだろうか。〉と結ぶ。

加藤氏の怒りが伝わってくる。

専門家会議は、分科会になるそうだ。分科会の議事録は、コロナの感染の状況によっては、専門家会議の議事録をしのぐ重要な記録になる可能性がある。

(2020年7月2日)


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