【読書往来】鳥飼玖美子『本物の英語力』

▼鳥飼玖美子氏の『本物の英語力』(講談社現代新書、2016年)は、英語学習の優れたガイドブックである。と同時に、「本物の日本語力」を鍛えるための本でもある。

本書の要約は以下のとおり。

〈まずは自分の得意分野、専門とすること、話したい内容をもつことです。次に、自分の人生にとって、自分の仕事にとって、どのような英語が必要かを見極めることです。/その上で、自分なりの英語学習の目的を設定し、自分にとって適切な学習法を自分自身で見つけ出すことが効果的です。これをメタ認知ストラテジーと言います。(中略)この勉強方法が自分に合っていると分かったら、他人が何を言おうと、広告が何を宣伝しようと惑わされず、自信をもってやり続けることです。慣れるまで習うのです。〉191頁ー3頁

本書全体を通読すれば、

①自分が話したい内容をもつために、

②自分に必要な英語を見極めるために、

③適切な学習法を自分で見つけるために、

という3段階にわたって、たくさんの手がかりを得ることができる。真剣に英語力を身につけたいと考えている人は、本書から何らかの突破口を見つけることができるだろう。

▼さて、筆者が興味深く読んだのは、「読む力」と「書く力」をめぐって書かれた経験則の箇所である。じつは、ここで指南されている「読む力」も「書く力」も、英語に限らず、「日本語力」の強化にそのまま当てはまることがわかる。なぜ筆者がそのように読んだのかというと、筆者自身の「本を読む力」「感想を書く力」を強めたい、衰えることを防ぎたい、という問題意識があるからかもしれない。

まず、「読む力」について。

〈自習では多読がお勧めです。細かいことには拘らず、内容を楽しみながらざっと読み飛ばす。知らない単語があっても、いちいち辞書を引いていたら、時間ばかりかかって進まず、楽しくないので、知らない単語は無視します。そしてどんどん読むのですが、特定の単語の意味が分からないとどうしても内容が把握できない、意味を推測してみるのだけれど、それが正しいかどうか確認したいという場合には、辞書で意味を調べます。「ああ、こういう意味なのかあ」と思って納得すると、おそらくその単語は頭の中のデータベースに蓄積され定着します。〉42頁

 ▼辞書で意味を調べる作業は、じつは日本語を読む時にこそ必要である。

ざっと大意を掴む「スキミング」(skimming)、斜め読みして必要な情報を探し出す「スキャニング」(scanning)は、読み方として重要です。「スキミング」「スキャニング」に慣れておくと、例えばアメリカの大学に留学して分厚い本を何冊も読むことになった時に困惑しないで対応できます。〉43頁
〈外国語教育で使われる言葉に「トップダウン・リーディング(top-down reading)と「ボトムアップ・リーディング(bottom-up reading)があります。情報処理の用語に由来するものですが、「トップダウン」とは、学習者が既に持っている背景知識を活性化して、英語なら英語の文章の大意を把握することです。知らない単語などがあっても前後の文脈から推測して読み進み、文法を考えたり日本語に訳すことなどはしません。「ボトムアップ」は、反対に、文法的に分析し、単語の意味を調べたりしながら、ひとつひとつのセンテンスを丁寧に読んで全体を理解していきます。いわゆる文法訳読です。忘れてならないのは、この二つは二律背反ではなく、車の両輪のように、どちらも必要だという点です。ざっと読んで大筋を理解することも、じっくり分析しながら丹念に理解することも、どちらも大切なのです。〉83頁ー84頁

▼この「スキミング」「スキャニング」、「トップダウン・リーディング」「ボトムアップ・リーディング」も、もちろん日本語の本を読む時に意識すると、より深く、より効率的に読むことができる。というよりも、日本語でこれらの訓練をせず、いきなり英語を読む時にできる道理はない。

〈英語力をつけるには、会話パターンを暗記しているだけでは効果が薄く、ともかく「読む」ことです。なぜなら、コンテクストの中で生き生きと使われている言葉を学ぶことを可能にしてくれるのは、何と言っても読むことだからです。〉56頁
〈音読を始めたのは中学一年生で、英語の先生が「英語は生きた言葉なのだから黙って読んでいてはダメ。声に出して読みなさい」と指導したので、その通りにやってみました。〉96頁

▼これらの「読む」効果について、鳥飼氏は実証的な結果、いわゆるエビデンスを示しているわけではない。しかし、「ともかく読む」こと、「声に出して読む」ことの効果は間違いなくある。こうした「達人の経験則」に従うことの重要性は、「書く」ことにおいていっそう浮き彫りになる。

〈(国際会議の同時通訳のために専門用語を覚える際には)自分の手で書くと記憶に残りやすい気がします。(中略)内容が分かって用語集を作ることで、ようやく専門用語が頭に入り通訳できるようになるのです。同時通訳の大先輩であった國広正雄さんは、洋書を読んでは英語らしい表現、洒落た言い回しなどをカードに書き出していました。それも、覚えておきたい単語や語句だけでなく、それが登場するセンテンスを丸ごと写すのです。時にはパラグラフまで。ひどく手間ひまのかかる作業ですが、それだけやると単語や表現が確実に頭に入ります。〉43頁ー44頁
〈ミシガン・メソッドという英語教授法で著名だったミシガン大学ラド教授(Robert Lado)にだいぶ前にインタビューしたことがあり、その時に氏が強調していたのは、「自分の手で外国語を書くと、定着するのだ」ということでした。「専門的にどういう説明になるのか分からないけれど、脳と手足はつながっているからだろう、手を動かすことで単語や語句やセンテンスが頭の中に記憶されやすくなるのは確かだ」という主張は、経験的に私も同感です。英語を実際に手で書いていると記憶に定着するという実感は確実にあります。それと反対に感じているのは、パソコンで原稿を書くようになってから、漢字が書けなくなったことです。読めるのだけれど、さて書いてみようとすると、書けない。小中学生の頃の自分なら難なく書けた漢字が書けず、はたと考えてしまうというのは何とも情けない。インターネットで調べながらパソコン画面で原稿を書くというのは、書くこと自体が楽ですし、書き直しも簡単です。一字ずつマス目を埋めていく原稿用紙に比べてパソコンソフトは何と便利なことかと思いますが、失うものもあるわけです。/母語でさえ、漢字を書く力がこんなに劣化するのですから、外国語学習では、デジタルで得るものと同時に失うものがもっとあるはずです。〉118頁ー119頁

▼ラド教授の「どういう説明になるのか分からないけれど……確かだ」という経験則を素直に受け入れる人が、英語力を伸ばすのだろう。

また、ここで鳥飼氏が言及している「パソコンで原稿を書くようになってから、漢字が書けなくなったことです。読めるのだけれど、さて書いてみようとすると、書けない」という感覚や驚きは、デジタル・ネイティブではない世代が、一人残らず骨身に沁みている実感だろう。「母語でさえ、漢字を書く力がこんなに劣化するのですから、外国語学習では、デジタルで得るものと同時に失うものがもっとあるはずです」という指摘には強い説得力がある。言葉を学ぶためには、「キーボードで書く」のではなく「手で書く」ことが重要なのだ。

▼さらに鳥飼氏は、文科省の日本語教育(日本の学校では日本語のことを未だに「国語」と称するが)、そして英語教育(小学校からの導入)について、今回は次のような文脈で間接的に批判している。

〈(英語は)どのパラグラフにも、概要をまとめて最初に提示する「トピック・センテンス」(topic sentence)があり、次に根拠を述べるセンテンス(supporting sentence)があり、そして最後に「結論」(conclusion)が来ます。(中略)国語の教科書を見ても、日本語には英語のような明示的な論理構成がないのか、あっても教えないのか、だれもが知っている文章作成法は「起承転結」くらいでしょうか。英語のようなパラグラフ構成であるとか、「時系列的順序」(chronological order)「原因と結果」(cause and effect)「比較対照」(comparison and contrast)など、レトリックの分類を必ず教えるわけでもなさそうです。(中略)(「書く」ことについて、文科省が小学校国語の学習指導要領でどう教えているのかを確認した結果)〈気がついたのは、「構成」についての指導に、「論理性」や「一貫性」についての言及がないことです。〉149頁ー155頁

日本語に論理性がないのではない(日本語の法律はとても論理的な文章だ)。日本語を教える側に論理性がないから、論理性のない子どもが育つのだ。

〈自然科学分野での日本人の活躍についての海外の分析に、「江戸時代から寺子屋などで教育が行き渡っており識字率が高かったこと」「明治期の日本政府が基礎研究を重視したこと」が挙げられていました。教育の成果が花開くのには時間がかかるということでしょうし、すぐには成果が目に見えない基礎研究の重要性が分かります。さらに付け加えれば、明治の指導者たちは、まずは大量の文献を翻訳して母語である日本語で欧米文明を学び、日本語で各分野の教育を担える人材を育てました。長い年月をかけて現在があることに思いを馳せると、母語を大切に長期的視野で人材を育成したいと強く思います。〉190頁ー191頁

小学生から英語を教えるという方針は、長い年月をかけて日本にダメージを与えるだろうという鳥飼氏の危惧が、行間から滲んでいる。

本書は「英語力」を鍛えるガイドブックであると同時に、「日本語で論理的に考える力」を鍛えるためのよいガイドブックにもなっている。

(2016年3月13日 更新)


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