「ニュース」の基準 2017.7.27

※ノルウェー中部のトロンハイムで、アメリカのCNNで鳴らした「トークの帝王」ラリー・キング氏が行なった記者会見の模様が、2017年7月9日付東京新聞で紹介されていた。(鈴木伸幸記者)

おもなテーマは最近流行している「フェイクニュース」だが、以下のコメントが示唆に富む。

〈キング氏は、記者団に面白い設問を投げ掛けた。「あなたは米ミズーリ州セントルイスで報道番組を制作している。(1)地元病院で職員がスト (2)地元最大のホテルで火災 (3)米国が某国に宣戦布告 (4)武装した脱獄犯がセントルイスに接近中ーーの四つのニュースがある。最初にどれを流すか」/正解はない。「重体患者を殺すかもしれないから(1)もある。住民に差し迫った危険という観点からは、(3)よりも(4)だ。時代背景や状況、だれが視聴者かによって価値判断は変わる。それがジャーナリズムだ。〉

※地に足の着いた設問だ。ラリー・キング氏が挙げた4つのニュースは、どれも立派なニュースであり、どれを選ぶかに、そのメディアの性格があらわれるわけだ。

この設問は「ジャーナリズムとは何か」について考えさせてくれる。

具体的には、まず「ニュースとは主観である」ことを教えてくれる。(「ニュースを選ぶ基準」がなければ、ニュースは生まれないからだ。)

次に、しかし報道に携わる人々は、それぞれの立場で「客観性を常に吟味(ぎんみ)し続けている」ことに想像が及ぶ。(いっぽう、読者や視聴者の側がもっている「ニュースを選ぶ基準」は、主観と客観との間で吟味されているだろうか?)

そして、この設問の中に「ニュースとフェイクニュースとの違いは何か」の答えが埋まっているように思う。読者や視聴者の「感情」でもなく、「クリック数による収入の多寡(たか)」でもない、ジャーナリズムをジャーナリズムたらしめてきた基準が。

このコラムを書きながら、去年買った『インテリジェンス・ジャーナリズム 確かなニュースを見極めるための考え方と実践』という本を思い出した。(ミネルヴァ書房、2015年、ビル・コヴァッチ、トム・ローゼンスティール著)。6000円近い高価な本だが、現代のジャーナリズムについて考える基本書だ。今後、機会をみて『インテリジェンス・ジャーナリズム』の要旨を紹介していく。


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