【読書往来】山内昌之『中東複合危機から第三次世界大戦へ』

▼山内昌之氏の最新刊『中東複合危機から第三次世界大戦へ イスラームの悲劇』(PHP新書、2016年)は密度の濃い新書だ。

大学の1年分の授業を圧縮したような内容であり、地図と本文との連関を深くしてほしかったが、短期決戦で編集された本だから、それは無いものねだり。2016年現在の中東政治に興味のある人にとって必読書だ。ぜひ世界地図を片手に読むことをおススメしたい。以下、5つのポイントを挙げて本書を要約する。

1)宗派戦争と4つの要因、新たな戦争観

2)米欧を相対化する力

3)イスラーム教の人間的理解

4)湾岸諸国に対する誤解を解く

5)サイバー空間と地政学 

1)宗派戦争と4つの要因、新たな戦争観

▼なぜ現在の中東危機が第三次世界大戦につながっているのか。本書では、山内氏自身が時間と空間を結ぶ「一人メディア・ハブ」と化して分析・整理している。とても多くの情報が密度の濃い文章によって詰め込まれているので、一冊の概略を知るために、まず「はじめに」と終章「第三次大戦への道」を読んでから、本編を読むのがいいと思う。

▼本書を読むと、中東の国境や秩序は、もう二度と2014年以前には戻らないことがよくわかる。決定的だったのは2016年のはじめに起こったサウディアラビアとイランとの国交断絶である。

〈「(スンナ派とシーア派による=筆者註)宗派戦争」とその脅威は、もはやシリア戦争やイエメン内戦やバハレーン紛争を超えてしまった。2016年のイランとサウディアラビアの危機は、現代中東のいちばん深い「宗派的断層線」(sectarian fault lines)がどこに横たわっているかをまざまざと見せつけたのである。〉44頁

この極めて深刻な「宗派戦争」の他に、山内氏は第1章「ポストモダン型戦争と中東複合危機」で、中東の秩序が二度と元に戻らない原因として、次の四つのポイントを挙げる。

1 領土・国境線の事実上の変更(70頁)

2 ロシアとトルコの関係悪化(73頁)

3 プーチンによる「自分の戦争」(77頁)

4 難民問題(79頁)

四つのうち、じつに半分を「ロシア」が占めている。中東危機の最大の役者は、山内氏が〈第二次冷戦とポストモダン型戦争との結合を阻止できる力を現実的にもっているのは、ロシアが発揮する自己抑制と大局観の尊重である〉(288頁)と記しているとおり、ロシアなのである。だとすると、ロシアの戦争観、戦争論、戦争技術をくわしく研究することが重要なカギになる。

▼さて、スンナ派とシーア派の対立という「宗派的断層線」を顕在化させた最大の「立役者」は、いうまでもなく過激派組織「イスラム国」である。イスラム国がどこから生まれ、何が起きているのかを、山内氏は短く要約している。

〈ISはアラブの春に起因する反アサド政権の運動が多発したシリアの内戦にイラクから参加することで勢力を伸ばした。しかも、スンナ派中心の反政府運動内部でも内戦が生じ、いちばん極端な潮流のISは、他のジハーディズム勢力と訣別(けつべつ)した結果、内戦の中に内戦が入れ子となる二重戦争の複雑さが生み出されたのだ。/シリアの内戦の多重性がイラクに逆流し、バグダード政府(シーア派のアバディー政権)に対する戦争、シリアのアサド政権とイラクのバグダード政府を後援するイラン革命防衛隊との衝突、同じスンナ派のサウディアラビアと、シーア派のイランとの対決など、争いが宗派間と宗派内の対立を複雑に結びつけ、それでなくても多重的な内戦に外国を巻き込む多元的な戦争に変質させる構造をつくってしまった。〉156頁ー157頁

この「多元的な戦争」を読み解くために、以下のような否定形を通じて「新しい戦争観」の必要性を提示しているところに、本書の最大の眼目がある。

〈(イスラム国が=筆者註)シリアやイラクからフランスにまで広げた「戦争」は、多くの点でポストモダン型の戦争というべき異形のものになっている。/訓練された「部隊」にも擬(ぎ)された個人たちがコマンド―さながらに、パリ市内で普通の生活を送る市民たちを無差別に殺戮(さつりく)する手法は、国家対国家の戦争でもありえず、国家対テロリズムという犯罪の枠組みだけで処理されるものでもない。/さらに、ムスリム対非ムスリムの「十字軍戦争」「反十字軍戦争」といったプレモダンからモダンの感覚で通俗化される古典的な戦争でもありえない。この点は、犠牲者の中にイスラーム系の市民たちも含まれていたことからもわかるだろう。〉10頁

2)米欧を相対化する力

▼人類がこれまで経験したことのない未曽有の中東複合危機をどう読み解くか、そのためのヒントとして、本書には「米欧的世界観や近代=モダンの価値観を相対化する視点」が随所にみられる。目についた幾つかの事例を列挙しておこう。まず戦争観の補足として、

〈そこ(シリア戦争=筆者註)から派生する政治現象を「中東複合危機」と呼んでおきたい。この中東複合危機がグローバルに広がろうとしている点に21世紀の難問が集約されているのだ。/その一つの象徴的事例こそ、自由や人権を基礎にした市民社会や国民国家を尊重するモダン(近代)の原理つまりモダニズムを否定しながら、(衛星技術やSNSというポストモダンの技術を駆使し=筆者註)カリフ国家やシャリーア(イスラーム法)の実現というプレモダン(前近代)の教理を主張するISが、シリアという領域を超えて各種のテロを各地で起こしている事実である。〉54頁

▼山内氏が本書で示したこの分析手法――近代以前=プレモダン、近代=モダン、近代以降=ポストモダンという三つの時間を「現代に同時に適用する」こと――によって、中東で生じ続けている複雑な事象を腑分けすることができる。イスラム国はモダニズムを峻拒(しゅんきょ)しながら、モダンの生み出した技術を駆使している。近代の「原理」と「技術」との関係をどう読み解くかによって、プレモダンーモダンーポストモダンの同時適用という分析手法は、その有効性をさらに増すと思う。 

〈それ(イスラム国=筆者註)は、アラブの市民から政治家までトラウマと感じてきた米欧による中東の分割や数次の戦争の否定的現実に挑戦したという側面もある。この一点だけをノミナル(名目的)に見れば、かなりの成功を収めた最初の事例なのだ。/ISが短期で拡大したのは、アルカーイダが最初に9・11事件を起こしたときに、イスラーム世界の一部を襲った名状しがたいユーフォリア(過度の根拠なき幸福感や達成感)に似た要素が一部のスンナ派アラブ市民の間から生まれ、とくに若年層が戦闘員として現代の「ローマ軍」「十字軍」との軍事対決に引き寄せられていったからだ。〉183頁

▼アメリカがイラク戦争を引き起こした時、大統領ブッシュの「十字軍」発言にイスラーム世界が激しく反応したのは当然だった。その反応の底にある、911の際に顕現した〈名状しがたいユーフォリア〉の正体を、山内氏は本書で言語化していない。いまイスラム国に象徴されている問題の所在を理解するためには、この〈名状しがたいユーフォリア〉の因果に正面から取り組み、かつイスラム国に付け入るスキを与えない言論をつくりだす努力が必要だ。そうした言論は少ない。 

〈ISからすれば、スンナ派の王制国家であれシーア派の共和制国家であれ、西欧の国際法と帝国主義の分割原理を前提にして利益を得ようとする中東の枠組みを認められないのだろう。〉185頁

▼〈帝国主義の分割原理〉とは、たとえばサイクス・ピコ秘密協定である。本書には〈オバマは、イラク問題をアメリカが処理する代わりに、シリアをロシアの裁量に委ねたという解釈もあるほどだ。これは、オスマン帝国の分割を決めた1916年のサイクス・ピコ秘密協定で、イギリスがイラク、フランスがシリアを分割領有した事例に似ている。〉(58頁ー59頁)というかたちで言及されている。このサイクス・ピコ秘密協定こそ、21世紀中東の大混乱の遠因であり、昨年、ようやく複数の新聞が比較的大きく取り上げた。 

〈かつて一貫性を誇ったイスラームは、いまやモラルの体系、道徳のシステムとして正常に機能しておらず、歴史の継承にもほころびを見せて久しい。テロの遠因や責任を米欧だけに負わせるのでなく、イスラームの信者や市民も深刻に内省すべきときが来ている。〉91頁ー92頁

▼この一文はテロの遠因や責任は米欧にあることを前提としている。 

21世紀に入って、これまで西欧が振りかざしてきた近代主義(モダニズム)的な概念や意味がどの地域でも成立する条件は、もはや失われつつあるように見える。自由や人権や民主化といった米欧の価値観が必ずしも中東やアジアで巧(うま)く機能していないのだ。〉9頁
〈……グローバルで多次元的な政治や社会の構造変動を理解し解決する上において、米欧のモダンな見方や、民主化や自由論を軸にした政策が中東では功を奏さないことが証明された……〉95頁

▼西洋諸国は明らかに、自らの価値観に基づいた政策が「機能していない」「功を奏さない」原因を内省すべき時を迎えている。 

〈彼ら(中国やイラン=筆者註)はロシアとともに、独裁や権威主義めいた統治様式に依拠する共通性をもっている。シリアのアサド独裁政権を掩護(えんご)するためにロシアやイランが登場したのは偶然ではない。そのうえ、米欧本位でつくられた国際政治経済から国際法にいたるシステムに正面から挑戦する点において、緩やかなブロックをつくっていることも否定できない。〉49頁ー50頁

▼西洋を相対化することによって、ロシア、中国、イランをつなぎ、現実政治を動かしている価値観も浮き彫りになる。 

〈イランは古代から高度な文明の発信地であった。私の世代の世界史教科書では、ペルシア戦争(前499~前449年)が大きく取り上げられ、「東方の専制国家に対して、ギリシアのポリスが自由と民主主義を守った」という米欧中心主義の歴史観が教えられていたが、実際には当時のアケメネス朝は世界そのものといっていい大帝国であった。彼らから見ればペルシア戦争などは、ギリシアという帝国周辺部の小さな町々の反乱鎮圧に失敗した、という象が蚊に刺された程度のものだったというのが現代イラン人の言い分のようだ。〉147頁ー148頁

▼筆者は40代だが、高校時代、まさにここで指摘されている米欧中心主義の歴史観を学んで育った。 

〈アルカーイダやISは、米欧のモダンな文化や風俗、政治経済に反発して、プレモダンなイスラームの政教一致国家に回帰しようと唱えている。しかし、彼らのポストモダン的な手法は、米欧の科学や技術、兵器やサイバーを使い、米欧ひいては日本のメディアを攪乱(かくらん)することでしかない。どれほどイスラームへの回帰を唱えてみても、結局のところ、米欧の文明や技術的手法から逃げられないという、大きなアイロニーがあるのである。〉153頁ー154頁

▼この「アイロニー」は、「キリスト教社会(プレモダン)の世俗化(モダン)」という観点からとらえなおせば、そのまま米欧社会にも当てはまるだろう。〈米欧の文明や技術的手法から逃げられない〉という点は、イスラーム社会だけでなく、そうした文明と技術的手法をつくりだしてきた米欧社会自身も同じである。 

〈ISに白人が多数参加している現状も重要である。これは日本にも共通する面もあるが、誰もが自由や権利を享受できる恵まれた先進国におけるアノミー(無規範)、公共性の蔑視や欠如といった豊かさの代償という面もある。/貧しさから脱却するために、先人たちが努力した社会共通の目標や価値観が尊重されなくなったとき、若者たちはあれこれの規範を無視して犯罪に走る傾向があるのだ。〉184頁

▼西欧の文明や技術から逃げられない宿命を、「先進国」のアノミーは映し出している。こうした明らかな米欧の問題群を指摘すると同時に、山内氏は〈西欧世論の批判を、人種主義やオリエンタリズムの発露として、植民地主義の清算が先ではないかといった言説が、米欧に限らず日本の専門家や知識人の一部から出されることも予想される。これは倒錯した議論にほかならない〉(292頁)と指摘することを忘れない。ここに山内氏の優れたバランス感覚がある。 

▼また、こうした西洋を相対化する視点は、もちろん個別の国の政策分析に対しても適用される。以下はイスラエルとアメリカに対する分析。

〈イランは地域大国にもかかわらず、トルコにもまして、イスラエルとアラブの地域大国による中央和平プロセスから排除されてきた。確かに、ハマスやヒズブッラへの軍事援助や核開発はイスラエルの脅威であるが、ウィーン核合意はイスラエルにパレスチナ人との和平プロセスに取り組む時間的余裕を与えたはずでもある。イスラエルはイランの脅威を口実に、和平実現への消極的姿勢を正当化し、周辺への過剰防衛を続けてきたが、中東複合危機を緩和する意味でも年来の旧思考を見直すべきだろう。〉262頁
〈オバマ外交は中東においても失敗だけが取り沙汰されがちだが、核合意と制裁解除は新思考の成果だという考えも、むげに斥(しりぞ)けるわけにはいかない。〉28頁
〈核合意によって、すぐではないにせよ米イラン間のデタントに発展する可能性も全面的には排除できない。冷戦期のようにイスラエルとサウディアラビアを同盟国として絶対視する旧思考からアメリカが脱出するかもしれない。オバマによるキューバ、ミャンマー、イランという「敵性国家」との関係再構築の意味は、アメリカのグローバル戦略の大きな修正であり、地政学上の大きな変化をもたらす。〉261頁

3)イスラーム教の人間的理解

▼本書の特徴を、あと2点紹介しておきたい。「米欧的価値観の相対化」とともに、イスラーム教を理解するために「歴史と人間」の観点から解説を加えている点が好ましい。第3章「地政学とムハンマドのリアリティ」の〈イスラーム教には、キリスト教の神父や牧師のような職業的な宗教者はいないことを、どれほどの日本人が知っているだろうか〉(120頁)から始まる箇所や、第5章「慈悲深き宗教者、前向きの政治家」の〈ある男が預言者のところにやってきて、こともあろうに姦通を告白したときのことだ〉(162頁)から始まる、いわば「人間ムハンマド」を紹介する箇所は、こうした事実を知っているか否かでムスリムに対する態度が大きく変わるだろう。 

4)湾岸諸国に対する誤解を解く

▼もう一つは、シリア難民受け入れについて、湾岸諸国に対する誤解を解く箇所である。欧州諸国がシリア戦争による難民を受け入れるようになると、湾岸諸国――アラブ首長国連邦、バハレーン、クウェート、オマーン、カタール、サウディアラビア――などが難民を受け入れておらずけしからん、という批判が起こった。まず山内氏は、

〈UNHCRによれば、2015年夏の時点でシリア難民はトルコに180万人、レバノンに117万人、ヨルダンに62万人、イラクに24万人、エジプトに13万人、その他の北アフリカに2万人が避難している(ちなみに、レバノンやヨルダンの難民対策費用の相当部分は湾岸諸国から寄せられた)。アントニオ・グテーレス国連難民高等弁務官の表現を借りれば、「状況の悪化により、ヨーロッパなどを目指す難民も増えた。しかしそれを上回る数の難民がシリア周辺国に留まっている。周辺国に避難したシリア難民、またシリア難民を受け入れているコミュニティはすでに絶望的な危機に直面しており、これ以上の負担を強いるわけにはいかない」と語るほどの状況が現れていたのである。〉217頁ー218頁

とUNHCRの数字と見解を提示し、さらにこう続ける。

〈湾岸諸国はそもそも、仕事と生活の利便のために外国に広く門戸を開放している国である。しかも、彼らはかねてから、スーダン、ソマリア、エリトリアなどアフリカの国々、さらにアフガニスタンの戦争や政治的迫害から逃れた難民を受け入れてきた。これが目立たないのは、難民キャンプのようなテント生活や集団生活を強いられておらず、各国の社会において、それぞれの能力や事情によって雇用機会を見つけ、アラビア語を使って日常生活を送っているからだ。〉(219頁)

▼この事実をマスメディアの観点から考えると、湾岸諸国の難民受け入れは「絵にならない」のだ。だからニュース価値が低く、報道されない。そもそも、米欧社会ではないので、関心も低い。受け入れている難民の人数とニュース価値は比例しない。山内氏は続けて湾岸諸国の人口比率に言及する。

〈それでも、湾岸での市民の人口比率に占める外国人の割合や数を考えたとき、無制限の難民受け入れが難しいのはヨーロッパと同じである。アラブ首長国連邦やカタルでは、人口の80パーセント以上がすでに外国人になっている。クウェートでは50パーセント、サウディアラビアでは40パーセント、バハレーンでは人口の30パーセント以上が外国人なのである。/難民を多数受け入れている人道的イメージの高いヨーロッパでも、ここまで高い外国人比率は、さすがにお目にかかれない。イギリスの外国人比率はおよそ8パーセント、ドイツやギリシャも、ほぼそれに近い数字である。ちなみに日本のが一句人比率は人口のおよそ2パーセントにすぎない。/こうした実態を見ていけば、難民問題について中東とくに湾岸のアラブ諸国を批判することはフェアとはいえない。難民問題と絡めて湾岸諸国を非難する論者の中には、君主制国家批判という、直接には難民と因果関係のない問題を好んで取り上げる人びともいる。このような論難はかえって問題をぼやかす結果になるだろう。王政や君主制国家を絶対悪と見る立場から色眼鏡で見る立場は、難民問題の解決に対して直接的なプラスにはならない。〉219頁ー220頁

5)サイバー空間と地政学

▼最後に、地政学の観点から考えて、サイバー空間をどのように位置づけるのかという課題が見えてくる。イスラム国はサイバー空間を駆使して戦線を広げている。サイバー空間は〈領有権のない国際共有空間〉(282頁)だ。地政学は、地理という〈長い歴史的スパンにおいても簡単に変化しない要素〉(114頁)、〈不変に近い要素〉(同頁)を土台に物事を考える。サイバー空間が、新しく登場した「変化しない要素」だとすると、地政学という学問はサイバー空間を取り込む必要がある。

サイバー空間が現代社会に与えている影響、国家という秩序に与える影響を地政学の伝統をもとに位置づけることができれば、今後も続くであろうイスラム国的な動きを分析する大きな手助けになる。

(2016年4月2日 更新)


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