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20年前に死んだお兄ちゃんは、いなくなったけど家族

※家族の死について書いています。グロテスクなことは書いてませんが、少し重たい内容になってます。

20年前の10月8日、
当時18歳だった私のお兄ちゃんが急死しました。

その日、父や母がどのような日を過ごしていたのか、話ができたのはつい先日のことです。

お兄ちゃん。

存在は亡くなってからのほうが、家族それぞれに対して、強烈な影響を与えています。
当たり前にすぐそばで生きていたときよりも強烈に。

ただ、それは、時間が流れることによって変わる世界、私達自身の変化、によって私達に馴染んでいきました。 

私達家族には、死んだお兄ちゃんがいる、ということが馴染んで。
ようやく家族のなかで会話できるようになった、
この20年のことを、節目の年なので折々に綴っていこうと思います。



お兄ちゃんは、
「バスケしにいく。」
と言って、出掛け、
次に家に帰ってきたときには、棺桶にはいっていました。

180センチを超える長身だったお兄ちゃん。
そのサイズの棺桶を探すのに苦労したとか、なんとか葬儀屋さんが言ってていた気がします。

私はその日、大学受験のために、家から3つ離れた駅にある、予備校の自習室で勉強をしていました。

お兄ちゃんが倒れて、
一緒にいた人たちが病院まで付き添ってくれて、
親に連絡がはいって、
部活をしていた弟に連絡がはいって、
お兄ちゃんの親友達に連絡がはいって。

みんなが病院に集まっていたけれど、
そのときにはもう自分では呼吸できない状態でした。

お兄ちゃんの親友が、
どこにいるかわからない私を一生懸命探してくれて、なんとか見つけ出してくれて、病院に1番最後についたのは私。
もう、そのときには生きていませんでした。

病院に入ってすぐ、
まわりの目を気にせずに肩を抱き合って泣き叫んでいる父と母の姿を目にしたことを、よく記憶しています。 

私は、この日の記憶について、これまでずっと私だけの記憶しか持っていませんでした。

ふと先日。
父と母と、私の娘の雛人形を見にいった帰り道。

「お兄ちゃんが亡くなった日、ここの道を走っていたんだ。この辺で連絡を受けて、気が動転して、それでとにかく車を走らせて…。」と父がぽろっと言いました。

私は、こんなことさえも、これまで私達は怖くて話せなかったんだなぁ、と気付かされました。

父や母に、その日どうしていたの?なんて聞こうなんて考えたこともなかったし、もしかしたら思いついていたかもしれないけど、きっと聞けなかっただろうと思います。

20年という時間。

父と母は歳をとり、私は結婚して、2人の子どもを産んで、家族の枠が広がりました。

結婚と出産による家族の拡張が、
「死んだお兄ちゃん」が家族にいる、
という状況を馴染ませてくれたんだと感じています。

時間は自分でどうにかできることではない。

でも、今も1秒1秒前に進んでいます。

そしてそのなかで、私達も少しずつだけど変わっていて、それが積み重なって、何年、何十年になるのだと思います。

あの日から、立ち止まれずに歩んできた日々が、かたまりの時間になって、そのときにはできなかったことをできるようにしてくれたんだなぁ、と思います。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
それでは、また。

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