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「ウェディングフィルムと小津安二郎」

映画でもウェディング映像制作でも同じですが、やはりイベントではなく人間を描くという姿勢が欠けるとオーディエンスの共感を得ることは難しいと考える。「東京物語」で有名な小津安二郎監督は「映画はドラマであり、アクシデントではない」と言った。彼の映画で描かれる結婚式も、日々繰り返される日常の中の一つの延長として捉えられ、たゆまなく繰り返される反復の積み重ねの一つの結果であり、通過点として表現されています。すなわち非日常とは反復から生じるズレであると解釈することが出来るということ。

小さな出来事の繰り返しである人生の中で、時折訪れるハレの日。その一つの結果が結婚であり、ハリウッドのエンタテイメント色強めの映画のように、ある日突然出現したかのように見える非日常的な事象と混同してはならない。僕はこのような小津安二郎監督の思想哲学から、「結婚までたどり着く過程(日常)にある本来価値のない没個性的なものに対して、あえてそこで物語を積み重ねることで価値を見出し、結婚というものに対する重みを持たせていく」という考え方を常に意識して撮影に当たっています。

結局小津安二郎監督は日本ではあまり評価されず、没後に海外から再評価されて今では世界中の映画関係者に敬愛される存在となっている。 なぜ彼の作品が高く評価されているのかというと、人種や文化や言葉、時代が違っても彼の描いた日本の家族像が世界の多くの人の共感を得たからに他ならない。 家族とか人生、人間の普遍的な本質に迫っていたからこそ、共感され支持された。 

映像美に関して言えば、小津監督は徹底的にフレーミングに拘りました。 彼の画作りは機能や装飾をどんどん足していくのではなく、むしろそれらを極限までそぎ落として余白や間合いを作り出す、いわば引き算の美学。そうやってできた構図に人物をどう配置するかで、バランスと調和のとれた空間を導き出すという手法は、まさに禅や茶の湯の文化にも通ずるんじゃないかと。日本の建築や空間から導き出した独創的でユニークな映像美であることは間違いない。いくらこの国の生活スタイルが洋式になったとはいえ、我々日本人のDNAに刻み込まれている美学が存在する。だからこそ、海外の真似ではない日本発の表現方法を模索するべきだと僕が考えるようになったのは、小津監督の影響が大きい。

ということで僕は前々から日本人の結婚式を表現するのに、小津安二郎監督の作品を参考にしてきました。これは僕がウェディング映像の本質に近づくための哲学を具体化する上でのプロセスの一環です。その過程で得た技法や映像論を出来うる範囲で言語化し体系化していくことがチームとして優先すべきことだと思っています。それを元にして誰の真似でもない僕たちだけの新しい表現方法を創造していくことを目指しています。

※この記事は2012年6月に書かれ、2021年11月に加筆したものです。

小津安二郎とハリウッドという異なる映像理論を調和させた「Ozu and Hollywood Theory」作例。

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