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敗金主義者と選挙と主権

 この1週間は国政選挙の影響で、どうやら敗金主義者も忙しく、なるはずもなくいつもと変わらない日々を過ごしている。はっきりってここ何十年選挙の影響で私が利益を得たことなど一度もない。ただ、日本全体の切り売りに巻き込まれていくだけの激流の一葉に過ぎないのである。日本の政治は悪くなり続けるだけで「日本人」の損が引き返せない状況になり「日本人以外」の利益になるだけだ。
 グローバル化が進んでいるからいずれ「日本人」であることすら自覚できなくなるかもしれないが、今の私達は明確に自覚しているのが幸か不幸か、まるで教化されていくのに争う多神教支持の古代ローマ知識人が嘆くが如く、まるで大きな時代のうねりの様に飲み込まれていくように憂鬱だ(日本が多神教の国であることはみんな知っているだろうが、古代ヨーロッパ文明も多神教であったことを意識している人は歴史が好きな人であろう)。
 この民主主義システムの中では選挙は必要不可欠であろうが、どうも大きな国では不正がある様だし、選挙自体ができない国もある様だしで、国民の意見が反映されることが実感できないのは何かしらの欠陥があるのではないかな?公約は守られないし、守られなくても誰も咎められないし、結局国民の意思とは逆の方向に動いてしまう。
 ここに今一度「主権」について考えてみたらどうだろうか?
 簡単に説明すると、「主」とはあるじのことであり、従うべき存在として、その従うべき存在である権利(権理としたいが)のことを「主権」といい、「国民主権」とはその国の主人は「国民自身」であり、故に国の運営は国民の意思でなされる、故に民主主義であり選挙権があり、選挙によって選ばれるのが政治家なのであるが、これを「なんで?」と聞かれてしっかりと説明できる人がどれくらいいるだろうか?
「えっ?それって当たり前だし、学校で習ったし」
そう、当たり前のこととされているが、では質問である。
「何で選挙権は子供にないの?」
「何で1人一票なの?」
「その祖も、国民に主権がある根拠は?」

皆さん説明できますか?

梅雨も明けそうだし、選挙も近いのでどうか少しでもそのことを考えてほしいと思うのであった。

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