しんだら紙ふぶきにしてあげるから

わりあい穏やかに見えるのはたぶんずっと怒りつづけてるからなんだと思うよ、激情は安定している、日常に散りばめられた小さな餌を食べては排泄して、安定しているから、泣かないでいきているらしい。これ、飼いならせたことになんのかなぁ、そうだったらいいな。
こいつがいなくなったらお腹が空いてしょうがなくなりそうだし、お腹が空きすぎたこいつに内蔵を食い破られても困るから。

言葉、思考、せりあがってきても喉には呪いがかかっていて、たまに夢で見るそいつは見たことのある顔をしているけど知らないひとのふりをする、そもそも呪いかけたやつ誰だよ、あれ、あたしだったっけ、そんな気もしてきたな、なんにせよ吐き出せずに腹の中で混ざりあったものを利用して植物を育てているので、結果オーライ、自給自足、出来たらすごいけどしたくもなくて、ほんとはみんなからもらったもんだけで生きてたい。
え、感謝しなきゃいけないの?誰に?
もちろん、あたしにでいいんだよね?

クラッカーを鳴らして散らばった紙テープ、カラフルで綺麗だったけど、拾い上げたら当たり前に色のついた紙でしかなくて、それ以上でも以下でもなくて、そういうところが愛おしいと思った。
書き散らした文だってそれ以上でも以下でもなくて、ねぇ愛おしいでしょ、だから大層な名前をつける、犬は犬、ひとはひと、でもココアはココアだしカナコはカナコだよ、そういって抱きしめてあげたかった、抱きしめてもらいたかった、ひどく暑くてさみしい、夏の夜に。


#散文 #poem #詩

生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。