6月の花嫁になんかなってやるもんか
iphoneのメモ帳にかちかちと文字を打って、あぁ、これは詩にならないとぼんやり思う、最近、でもないんだけれど、そういうことがたくさんあって、1、2行だけのメモがどんどん増えていく、
それでも何ヶ月もあとに突然、細胞がすごいはやさで分裂していくみたいに言葉になったりするし、ならなかったすべてもふくめて詩がうまれていく、ような気がするので、そんなものとか、Twitterのどうでもいい下書きとか、ばっかり愛してしまう、ばっかり、でもないかな、自分が書いたものがみんなみんな好きだってだけのはなしだ、
それでも、上手にできないlineの返信だけはあんまり好きになれないまま、6月になりました、暑くなってきたけどさ、みなさま、どうお過ごしでしょうか、なんて。
別に生活の何かが変わって忙しくなったとかそんなことはないのに、気がついたら布団に入る時間になってしまっていたりする、たぶんね、思考が恋やらなにやらに奪われてとっ散らかってたりするんだろうな、
時間の使い方がいつまでもへたくそでやんなっちゃうね、自分の時間、どう使おうが正解も間違いもないんだけどさ。
ゆーちゅーぶで目に入ったタロット占いの動画なんか見てやっと安心する日々、べつにめっちゃ信じてるとかじゃなくて申し訳ないんだけど、ひとの気持ち、もちろんわからないから、否定されないことや、希望しかないことに安心する、
どうしたってすきなもんはすきだからしょうがないよなぁ、失ったらそんとき泣きゃいいかなって、なにもかもに思ってはやっぱりちょっとだけ不安になる日々、
傷ついたり悲しんだり、できればしたくないじゃん、ハッピーしかなきゃいいのに、この世には、少なくとも目に入る狭い世界くらいは、って、いつも思ってるよ、そうしたら、こんな文章、綴ることもなくなるのかもしんないけど、それならそれでいいかな、って、あっけらかんとしていられるようになりたい、
とにかくさ、すきだよ、あいしてるよって、胸にせき止められずにぽろぽろ言っちゃいたいんだよ、そうやって、受け取ってもらえるかなんか考えずに、愛をばらまいて生きてみたいんだよ。
生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。