泳げなくても海にいこうね

 
気付いたらもう7月が終わろうとしている、雨はまだやまなくってなんだかけだるいまんまだし、洗濯物は乾かなくって困ったりする、コインランドリーがすきだったのはふわふわのタオルだけじゃなくって、あの静けさとか寂しさみたいなものをふくめてだったのかもしれない、でもまぁ、おだやかに、なんかおだやかに過ごせていますよ、
もしかしたら、おおきな、転換のときかもしれないのに。
 
 
わたしの頭は性能よくできてはいなくって、ひとつふたつ何かにうばわれているとほかの事がどうしてもおろそかになったり時間の使いかたが輪をかけてへたくそになったりしてしまうから(言い訳かも)、もっと上手に生活と愛と自分のことをバランス良く、でもぜんぶに100パーセント向き合っていられないものかと思う、
しあわせになる方法なんてたぶん山ほどあるんだけど、わたしはわたしの選んだ方法でしあわせになりたい、
ねぇ、たとえばすきなひとといるとき、近い未来や遠い未来のはなしをするとき、書かなくてもとんでもなくしあわせになれるんだろうと思ったりするけど、だからって、それは、書くのをやめる理由にはならないよねぇ、 
 
良い子にしてなきゃ価値も評価も愛情も生活さえなくなってしまうと怯えていたちいさな自分にも今も思っているかもしれないだれかにもちゃんと、
なにがあってもなにもなくてもあなたはあなたで、そんなものに左右されるしょうもない価値なんて捨ててしまえと言ってしまいたい、
あぁいつもね、こうして書き散らしているうちに何を書こうとしてたのかもどうやって伝えたかったのかもみんなみんな忘れてしまうけど、そういう、そういうものでよかったなと思う、
そういうものを、なんでか読んでもらえたりするしあわせを、なんならもっとおっきくして、ずっと噛み締めていたい。





生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。