終点のまちよ、君は知らないまちのままで

 
どこかに行ってしまいたい、とおくに旅に出たい、たまにそんなふうに思ったりすることがあるし、帰り道に、“かえりたい”と、夕焼けにつぶやくことがある。
どうせ、どこへも行かないのだけど。
だって臆病だし、めんどくさがりなんだもん、いろんなもん捨てて遠くへ行っても、どうせ帰ってくるんだし、行くとこないしね、その後の処理のことばかり思い出しちゃう、たぶんね、電車に飛び乗る理由が、飛び乗らない理由に上回らない程度に浅はかで打算的なだけ、つくづく自分ってつまんない奴って思ったりするのだ。でもこの社会にたくさんいるんだろうそういう人たち、自分をふくめてたまらなく愛おしくおもうよ。
 

ひとりになりたくなったりするのはさみしいからで、矛盾してるようでしてない、だって誰かといると、もっとさみしくなったりするじゃない?
物理的にも精神的にも、距離ってあって、瞬間のしあわせは持続しないし、どうしても理解し合えないこともあるし、単純にお別れが来たりする、時間とか、生活とか、感情とか、そういうものの中で、みんな生きているので。
ひとりで平気なふりとかひとりが好きなふりをいつもしているのだけど、自己防衛の一種でしかないのねって、ひとと会って満たされたりするとふと思い出すのだ。さみしがりやで甘えん坊のくせに、衝突も拒絶もおそろしくって、億劫になって、傷つかないように壁にこもるだけの幼いわたしが、栄養も時間も与えられずに、こころの奥のほうで成長できずにいること。
 

たとえばひとりで旅に出て、知らないところで、いろんなものを見て、たぶん綺麗だなぁって思ったりするし、来てよかったとか来なきゃよかったとか、思ったりするんだよ、軽率に、でもそれだけなんだなぁって、帰って思うんだよ、大抵は人生まるごと変えちゃうくらいのなにかなんてどこにもなくて、帰ってきても星がおんなじように綺麗で、相変わらず呼吸の仕方はへたくそで、そうやって遠くへ行ってしまいたいって思ってた自分を嘲笑って抱きしめるまでがワンセットな気がする。

近くにも綺麗なものはたくさんあって、見ようとしてなかっただけで、見たことないものも色々あって、そういう幸せに気づければなんだってよかったけど、ひとりでうだうだしてたらそんなことも忘れちゃいそうになるうえに、一緒にいてくれる大切なひとたちのことまで勝手に疑ってみたり、もっと欲張りになったりするんだって、ひとって、わたしって、可愛い生き物だなぁと思いませんか、思うなら、もっと大事にしてやれよって、わたしはわたしに言っときます。





#雑記 #エッセイ #旅

生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。