あけない瓶、あけないピアス、あけていく夜

 
気が向いて買ったストロングのホワイトサワー、別に飲まなくたってよかったなと思ってしまった、炭酸ののみものもひとりで飲むお酒もべつにそんなに好きじゃなくって、水とコーヒーでじゅうぶんだった、
お酒も煙草も別にいらなくて、水が虹色にひかるコップやひとかけのチョコレートのほうがよっぽど自分を保ってくれる、あとは、好きな音楽とか、いとおしいひととか。

べつに複雑に生きているつもりはないのだけれどもっも単純明快に生きてたいなと思ってしまう、
余計なもの、そぎおとしてそぎおとしてシンプルな答えを見つけるためだけにうんうんひとりで考え続けているのか、ただたんにどうしようもないことを考えるのが好きなだけなのか両方なのかわかんないんだけど、いつでも思考を整理しておかないと、大事なこと、言いたいときにちゃんと言えない。ただでさえ、おそろしく臆病で、伝えたいことのはんぶんもうまく伝えられない。
陳腐になってしまいたくないから言葉を使おうとするのに、使うたび軽くなっていってしまうような気がする、修行が足りないの、膨大なものの中から適切なものを選ぶために、まずは選択肢を増やさなければいけないと、気づくまでに、時間がかかってしまったなぁと思うけれど、あのままじゃ気づけなかっただろうから、いいんだ、今が、今からが、よほど大事。

 
詩を、言葉を、自分を、手段だと思うこと、誠実ではないと思われたりするんだろうか、手段を、方法を、丁寧に選ぶことは、愛することは、切実ではないのだろうか、
だれに何を言われたわけでなくても考えたりする、自分の中で答えの決まっていることを、何度も、何度も。

感覚ばかりを信用してしまいたい、音楽に、言葉に、映像に、ひとに、震える胸が真実だっていつも思っている、だから信用してほしい、震えてほしい、わたしは、わたしの表現がずっと、きみにとって、だれかにとって、なにより真実でありたい。






生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。