ドラム式簡易宇宙で

 
ぼくらいつまでも人工のひかりを追い続けなければならない、太陽を丸めた奴に会うまでずっと、奇跡や偶然を信じ続けなければならない、君たちがそれを簡単そうにやってのけるのは、産まれたときから、教科書もエックス線も共通のかみさまだったからなのかい。
ぼくはまだこの身体に子宮がないってこと、理解も、信用も、できずにいるのだ。

目を閉じるとやけに角張った物質だけがまぶたに映るので、子どものころ、血管を通れるのは正方形だけなのだと思っていた。だからコインランドリーにならぶ四角と丸が心地よい、ぼくたち、清潔な場所でこんな機械から産まれたような気さえしたけれど、

ごうん

ごうん

何度もまわる洗濯物の奥に見た、バスタオルを畳む母の背中の湾曲、反射する夕方の陽。昼白色の蛍光灯では生命に火はつかないのだとその円弧に教えられたはずだったので、となりの四角からは何が産まれてくるのだろうかと動きつづける他人のドラムを見る、のをやめた、

ごうん

ごうん

記憶はたいていひかりとともにあるので、 時間を重ねるたび、太陽をあたためた奴も何かを思い出そうとしていたのだと想像するようになった。すべては有限らしいのにひかるものはみんな永遠だと錯覚してしまう、から、誰も彼もそればかりつくろうと躍起になる、

ごうん

ごうん

ごうん

永遠を模した回転がとまる。

横たわるトレーナーをひっぱりだす、あたたかく、乾いていて、けれど水の音のしないそれは、ぼくの腹、(今はひかっていない)、を、おおいかくすのに、なんて適切なんだろうと思った。





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生活になるし、だからそのうち詩になります。ありがとうございます。