「ロマンスの亡霊」

 零れ落ちるは重い音。
 瞬く間、剣を横一線に一振り。刃を交えることなく、あっけなく目の前の敵の首をはねた。間際まで首があった箇所から、血が間欠泉のように勢いよく吹き出す。鈍い動きで落下した生首が地べたに転がる。なんと醜悪な顔だろう。見るに耐えない。
 わたしは砂にまみれた汚いそいつを蹴っ飛ばして、川に流した。敵方の多数は戦意を失い、ひるみ、その場で震えている。明らかに士気が下がっているのが手に取るようにわかる。
「次に死にたい奴はどいつだ」
 気分が昂揚することもなく、極めて冷静に口から出た。まだこっちとしては眠いくらいだ。
 恐れをなして、十数名いた筈の敵部隊は皆、逃げ帰っていった。
 無駄な殺生が嫌いなわけではない。結果はもうわかっている。わざわざやりたくない。面倒なだけだ。
 つまり、もう人を殺すことに飽きた。いつまで続ければいいのだろう。罪悪感からくるものではない。人を殺すことに微塵も後悔はない。そう、ただ単に飽きたのだ。
 平時でも戦時でも、長い間、悩んできた。気もそぞろで、いつもその思いはつきまとっていた。そして、いつか答えのようなものをうっすらと見つけた。
 わたしは自分を殺してくれる人を探しているのだと。
 剣の腕ひとつで大陸一の剣士となった今、もはや何処に赴いても、わたしに敵う相手は誰ひとりいない。
 何百人、否、何千人とこの手で斬ってきた。国王の命で戦場に立つたび、屍の山を築き、血の海を作ってきた。
「天下無双」
 方々から、そう呼ばれていると耳にする。同僚たちもわたしには一目置いている。本来、誇るべきこの称号も、わたしには何の意味もない。ちっとも嬉しくない。否定的な負の感情というより、無関心。どうでもいい。
 ただ、淡々と作業のように、言われるがまま、わたしはこの手で数々の敵を葬ってきた。人を殺すのが仕事だから。
 わたしの力に不満はない。過ぎたものでも、若しくは、足らないものでもないと思う。これで充分。
 しかし、とあるあこがれがわたしの脳裏をずっと離れないでいる。
「わたしを殺してくれる最強の剣士に会いたい」
 いつからだろうか。漠然とそう考えるようになった。
 倒しても倒しても、敵はどこからか湧いてきて迫り来る。奴らを斬ったところで、まるで手ごたえは感じない。もう、つまらない。だから、どこかにわたしの命を奪ってくれる者がいないだろうかと興味を持った。世界は広い。わたしの知らない場所にひとりくらいいたっていい筈だ。
 一年の三分の一近く雪が降る小さなこの北国で幼い頃から志願して、わたしは傭兵になった。産業も文明も文化もそれほど発達していない国だが、資源だけは海に山に、豊富にあった。その為、隣り合う諸国から資源目当てで断続的に攻め入られるこの国は、ひたすら軍事力を増強することで侵略を防いできた。
 また、去年には地理的には離れているが同じ宗教を信仰する同盟国と組み、大陸に勢力を拡大してきた異教徒どもを追い払った。
 数々の戦役で成果をあげたわたしは国王陛下から直々に勲章を賜った。軍人として一等勇ましい者に与えられる輝かしい証だ。
 しかし、わたしの心は満たされなかった。どんなに人に褒められたところで、胸のうちに秘めたあこがれに勝るものはないのだ。
 今日も陛下から出陣の命令が下った。西の海岸から上陸し、港町を荒らしている海賊退治だという。別に悪だの正義だの関係ない。わたしに人を殺す大義名分は要らない。命令に従うだけの駒だ。数十名の部下を引き連れて、その日のうちに西へ向かった。
 一夜明けて早朝にわたしたちが到着したとき、町は既に海賊の手に落ちていた。そうだろう。この海岸線には軍を配備していない平穏な土地。西には大海が広がっていて、そこを通ってこの国に来る人間は滅多にいない。戦力は常に東方と南方に向けられていた。無防備な町だから、悪意を持った者が現れれば簡単に支配できるのだ。
 正規の軍が登場したのを察知して、見るからに悪でございますという身なり、顔つきのごろつきどもが集まってきた。ふうん。これが海賊とやらか。奴らに話すことなどない。この手で斬る。この剣で斬る。全員を斬る。町が赤く染まりつくすまで。
 隊長というものは一般的に後方から指示するのが役目だが、わたしの場合は違う。隊長は一番手に突っ込む切込み隊長も兼ねている。そして、わたしがひとりでほとんどの輩を殺す。連れて来たほかの者は残り物の掃除係でしかない。
 一、二、三、四。一分もしないうちに四人を片付ける。敵は驚いた様子を見せたが、構わず群れて突進してくる。むしろ好都合。一気にやれる。首をはね、心臓をえぐり、喉元を掻っ切り、わたしは鮮血を浴びた。いつもどおりだ。戦い、というか一方的な虐殺だ。これが終わったら宿に行って風呂に入ろう。剣を忙しなく振るいながらも、のんびり戦いのあとのことを考えていた。
 ふと、ただならぬ冷気を感じた。殺気とは異なるが、身が震える寒々しさで、わたしは注意をそちらに振り向ける。目の前に集っていた海賊たちはさっと左右に散り、一本の道を開けた。向こうから小柄な人間がやって来る。敵の大将か。最初から出てくれば早く終わり、犠牲者が少なくなるものを……。
 零れ落ちるは重い音。今度はひどく近い距離から聞こえた。
 女か。きれいな目をしている。髪が長いな。色は白いし、肌もつややかだ。歳は若い。少女だろう。
 薄れゆく意識の中で、わたしは彼女に見とれていた。
 わたしは死んだ。そう。念願は叶ったのだ。
 しかし、だ。どういうことだろう。わたしの遺体が地面に仰向けになって倒れているのが見える。頭は胴体から切り離され、血が滴っていた。
 わたしが殺されたことに動揺し、我が軍は劣勢に陥っている。単なる海賊相手に負ける軍人たちではない。すべてあの少女にやられている。
 少女は俊足、飛ぶように動き、目にもとまらぬ速さで首を刎ねる。初めて恐怖を覚えた。あの太刀筋でわたしは殺されたのか。
 それから、ものの数分で我が小隊は全滅。すべて死人と変わり果てた。
 狂喜。まさしく最強の戦士。彼女に命を奪われたのなら本望だ。
 だが、現状に疑問が残る。今まで数え切れないほどの人を殺した。今さら、地獄へ行くことなど怖くない。ただ、なぜ、こうして魂だけが肉体から離れ、亡霊となって現世にさまよっているのだろう。天国へ上れるのはそもそもおかしいが、地獄、或いは、冥界に落ちるのなら得心がいく。どちらともないとなると、そのほうが返って怖い。
 とりあえず、試しに自分の肉体に収まろうとしたが、息を吹き返すことはなかった。
 途方に暮れていると、わたしは引っ張られた。自分の意思とは関係なく動くこともあるらしい。わたしの不思議な状態をひとつひとつ理解する。紐で縛られたかのようにわたしはいざなわれる。見えない紐の先を辿ると主がわかった。どうやらあの少女に連動しているようだ。わたしは後姿を眺める。
 少女は陣を構える宿に着いた。そして、部下らしき者たちに二、三命令すると全裸になった。思わず目を逸らした。風呂に入るようだ。少女に背を向け、音だけを耳にした。うら若き乙女の裸を見るのは恥ずかしい。想像をするだけでどきどきした。明るい鼻歌が聞こえる。のん気なものだ。あれだけ人を殺しておいて。
 わたしも同じか。狂気の淵に立つ者はどこか頭がいかれていないと正気を保てない。
 海賊たちは港町から物資を収奪すると、もう用はないようで、さっさと引き上げ、船を出した。
 それからずっと、わたしは彼女を観察せざるをえなかった。食うことも眠ることもできず。欲求を感じない。わたしの魂は彼女に縛られていた。
 長い旅が始まった。少女と海賊たちは世界各地の港町を襲い、蛮行を繰り返した。それに対して、わたしは眉をひそめることはしなかった。彼女たちに残された唯一の生き方なのだ。わたしが人を殺すのを職業としていたのと同じこと。
 少女の殺し方はいつも鮮やか。一切の無駄がない。わたしの「天下無双」など、何と恥ずかしいことだったか。
 あの日から、わたしたちはおよそ二年かけて、暖かな南洋の小さな島にやってきた。海賊の仕事である略奪を始めようと、少女たちは島に降り立つ。まずは問答無用で集落に襲い掛かる。暴力をちらつかせて、物資を巻き上げていると、それを制する勇敢な若者が現れた。
 瞬く間に海賊どもを蹴散らす。ほどなくして、最強の少女との一騎打ちの時間が訪れた。
 結果はあっけなかった。少女は死んだ。勇者の勝利。彼女は最強ではなかった。では、わたしの本懐は遂げられなかったということか。
 一部始終を見届けたわたしは自分の身を案じた。これからどうなる?
 心配をしていると、わたしは去りゆく若者に引っ張られていく。わたしの魂は、今度は少女を倒した若者に縛り付けられることになった。
 亡霊となったわたし。いったい何時までさまよい続ければいいのだろう。
 願いはいつ叶う?

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