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小説/自伝、人/獣、月の下にて頁に書き込む――。(『文豪ストレイドッグス』備忘録メモ② 解説と考察)

※この記事は『文豪ストレイドッグス』に関する考察となっております。
※単体では分かりにくい『備忘録メモ』の補足説明となりますので、先に資料をご覧頂くことを推奨しております。

【小説と自伝】

 『文豪ストレイドッグス』というテクストには、現実世界のモデルとなった文豪のテクストがモチーフとなった異能力を持つ異能力者が数多く登場します。
 彼らの異能力を用いた戦いが物語の根幹の一つとなっているのは間違いないでしょう。

 文豪を題材にしながらも、大胆にキャラクターに落とし込んでいるからか、作中で実際に何かを執筆する登場人物というのは稀です。……稀と言いつつ、実は一定数登場しています。
 夏目漱石、『文豪ストレイドッグス BEAST』における織田作之助、エドガー・アラン・ポー、マーク・トウェイン、ルイーザ・メイ・オルコット、ヨコミゾ、倉橋、福地桜痴……この辺りが挙げられますね。原作では小栗虫太郎も原稿用紙に向かっていましたので、蒸しタオル君……ではなかった、虫太郎君もこの中に入れても良いかもしれません。
 それぞれが執筆しているものに関してはメモの方をご覧ください。

 私は当初、こうした作中で執筆をしている登場人物には非戦闘員であるという共通点があるのではないかと考えていました。『文豪ストレイドッグス』という作品の根底には戦争というものがあり、これが様々な登場人物に暗い影を落としています(福地桜痴、福沢諭吉、斗南司法次官などが挙げられますね)。
 文学と聞けば平和の象徴に思えますが、現実の歴史を遡ると戦時下において作家が戦争に協力するということも珍しいことでは無かったようです。芥川賞や直木三十五賞を作ったことで有名な菊池寛がその最たる例でしょうか?
 織田作が夏目先生と出会い、小説家になるために人殺しをやめたことから、「人殺しの世界に身を置くものは小説を執筆できない」という原則が『文豪ストレイドッグス』の世界には存在しているのではないかと思っていました。ここには、現実世界での戦争の歴史を踏まえた朝霧カフカ先生のメッセージが込められているんじゃないか、なんて私も勝手な読みをしていたものです。

 ……ものあし様のお題箱にお題を投函し、回答を頂いた時までは。
 その例外というのが、マーク・トウェインと福地桜痴です。前者はギルドメンバー、後者はテロリストの首魁で作中の戦争では多くの敵を殺したどっぷり戦争に浸かってしまった人物と言えます。

 彼らが共通して書いているものは自伝……つまり、自叙伝です。自分を題材にしたノンフィクション、というイメージが強いですが、執筆という行為には必ず場面の恣意的な切り取りがされ、文字に起こす際に異化が生じます。どんなに現実を忠実に描写しようとも、そこに書き手本人の意思も必ず反映されてしまいます。
 なので、小説も自伝も似たようなものという風に捉えていましたが、もしかしたら明確な違いがあるのかもしれませんね。

 少し考え過ぎな気もしますが、敦に対して福地桜痴が「儂の自伝に出てくる困難に比べたら……」と発言していたことを考えると、何かありそうですね。「儂が経験した困難に比べたら……」と言っても問題が無かった筈ですから。

【犬と猫、人と獣】

 『文豪ストレイドッグス』には猫科の動物がモチーフとなった異能力が数多く登場します。
 白虎に変身する中島敦の異能力『月下獣』、猫に変身する効果も有する夏目漱石の異能力『吾輩は猫である』、「読者を小説の中に引き込む」という小説空間という独自の世界に幽閉する効果を持ち、『白紙の文学書』と関係しているのではないかという指摘もされているエドガー・アラン・ポーの異能力『モルグ街の黒猫』、そして武器の性能を百倍にする福地桜痴の異能力『鏡獅子』です。
 それぞれ、虎、猫、黒猫、獅子(ここでの獅子は空想上の生き物だと思われるが、その元になったライオンも猫科です)が名前に使われているか、能力の内容になっていますね。

 逆に犬は異能力の名称には使われていないようです。題名で使われている他に乾杯の対象となる『ストレイドッグス(逸れ犬)』、軍警の『猟犬(ハウンドドッグ)』、福沢諭吉の異名である孤剣士『銀狼』といった別の使い方がされているので、もしかしたら棲み分けがなされているのかもしれません。

 こうして、対照的に描かれるものにもう一つ
、人と獣というものがあります。
 私は福沢諭吉の異能力の名称に違和感を抱いていました。

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一説はあくまで一般論の引用であり、福沢諭吉は寧ろ学問を修めることによって差が生じ、これが貧富の差となるという点を重要視して説いていました。これは、クラーク博士の「少年よ大志を抱け(Boys, be ambitious)」の部分だけが一人歩きしているのと同じような現象です。ちなみに、クラーク博士の言葉は「like this old man」、つまり「この老人のように」と続き、少々残念な感じになっています。
 ただ、『人上人不造』とは獣/人、自身にのみ適用/自身が含まれない、即時発動が可能/異能力が適応されるまでに越えるべきハードルがある、強化/抑制と対照的な設定がされている福地桜痴の『鏡獅子』が先にあって、双福を対照的に描こうという構想が最初期の時点で既にあったというのであれば、何故この部分が切り取られたのかという点にも納得がいきそうですね。

 この福沢諭吉と福地桜痴の異能力は人と獣と対照的な形になっていますが、少なくとももう一対、似たような対照関係になっている異能力があります。
 それが敦の『月下獣』と太宰さんの『人間失格』です。見て分かる通り、それぞれの異能力の名称の中に獣と人が入っています。

 『人上人不造』と『人間失格』の制御できるように抑制する、異能力を無効化するという点を考えると、理性で持って本能や力を押さえつけるという要素が、この人間の名称を冠する異能力にはありそうですね。
 では、『月下獣』と『鏡獅子』はどうでしょうか? 『月下獣』は『人上人不造』や敦自身の成長で制御が少しずつできるようになってきましたが、初登場時には制御できない本能のままに動く白虎でした。それが『人間失格』を持つ太宰さんの手によって異能力を無効化されて……というのは象徴的な場面だったのかもしれません。

 一方、福地桜痴の能力はアクセルしかついていない車みたいなものですが、それを本人の技量によって完全に制御しています。この点、能力を制御し切れていない敦君とは実に対照的ですね。
 しかし、本性を敦達に明かしてからの福地桜痴の心の声は目的のために簡単に相手を殺したり吸血鬼化させようとしたりと、既に理性的なブレーキが壊れているようですね。

 「探偵社設立秘話」で織田作(ショタ作)は「――大義を目的にした殺しを突き詰めると、最後は〝殺すのは誰だっていい〟ってところに辿り着くから」と発言し、それをアニメ版においては福地桜痴も聞いていました。テロ組織《天人五衰》の首魁・神威でもある福地桜痴はこの時、何を思って織田作の言葉を聞いていたのか。
 かつての織田作の言葉が、今の福地桜痴の状態を端的に表しているような気がします。

【月の下にて頁に書き込む】

 何故、敦の異能力は『山月記』では駄目なのか? という疑問がありました。『月下獣』は、確かに『山月記』の虎(李徴)のイメージにピッタリですが、異能力をあえて『月下獣』にしたのには何か深い理由があるのではないかと思っていました。

 ……まあ、それはさておき、別の話題について考えていこうと思います。
 その話題の内容は「何故、ドストエフスキーは福地桜痴の下についたのか」です。

 虫太郎さんは「四人の凄腕の異能力者を束ねる創設者が一人いる」的なことを発言し、乱歩さんも「ヒョードルすら従えるカリスマ性」……なんてことを言っていましたが、私が見る限り『天人五衰』にチームワークも統率も、そういったものは一切ないように思えます。個人が、個人の目的を達成するために互いに互いを利用しようとしている、というのが一番近いイメージでしょうか。
 なので、ドストエフスキーが福地桜痴の下についた、福地桜痴を首領に据えているというのも何かしら理由があると思います。

 では、ドストエフスキーは福地桜痴の助力抜きで彼の目的を達成することはできなかったのか? もし、五衰事件がドストエフスキーの目的を果たす上で必要なものであったとすれば、人類軍を指揮するに相応しい器として認識されている福地桜痴の助力抜きではそもそも成立しなかった箇所が多々あり(『大司令』の入手も『人類軍』の指揮権も手に入れるのはほぼ不可能に近かったのではないか)、そうした点を踏まえれば、やはり福地桜痴の下につくのが最適解だと判断したのではないかと思います。
 乱歩さんの言うカリスマ性云々より、打算的なところが強そうだなぁ、という印象です。

 ただ、本当にそれだけなのかとも思います。
 虫太郎の発言によれば、頁への書き込みは次の満月のタイミングのようです。私は確認できませんでしたが、一方で福地桜痴は次の新月に書き込みを行うと提唱しているという話もあります。
 いずれにしても、頁への書き込みと月の間に関係するのは間違いないようです。そして、福地桜痴の異能力は『鏡獅子』、猫科の名称を有する異能力の保有者です。

 ドストエフスキーの異能力は『罪と罰』、当然ながら猫科の名称の異能力を持っていない。だから、頁への書き込みを猫科の名称を持つ異能力『鏡獅子』の保有者、福地桜痴に託した……と少々飛躍し過ぎな気もしますが、私はこういうのもあり得るんじゃないかと思います。

 そして、この獣の異能力を持つ者が、新月なり満月なりの下で頁に書き込む。――この構図を端的に表した言葉が実は『文豪ストレイドッグス』内に登場しているのですよね。

 そう、『月下獣』――敦君の異能力です。

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