見出し画像

アートコレクターの自宅で聞いた「嫉妬が道を阻む前に決めたほうがいいこと」の話

「もう一度コーヒーを淹れてくるけど、君も飲むかい?」
 老人は私が右手に持ったコーヒーカップを指さしながら聞く。コーヒーは好きだが、濃いコーヒーは気持ち悪くなってしまってたくさん飲めない。二杯目のコーヒーですでに私は気分が悪くなりかかっていたので、お礼を言って断る。
「ジンジャーエールがあるけど、それなら飲めそうかな」
「あ、すごく好きです。ぜひ」
「よし、じゃあ君にはジンジャーエールを持ってこよう」
 老人はそう言ってキッチンへ向かう。私は手元に残ったコーヒーをそのままテーブルに置いた。香りはすごくいいが、全部は飲めそうにない。私は壁掛け時計に目をやる。話を始めてから一時間くらいが経っただろうか。この時計の時間は合わせられていなかったので、正確な時間なのかはよく分からない。
 アートコレクターの老人は時間も定かでないこの部屋で、壁いっぱいのアート作品に囲まれて暮らしているのだ。

「うらやましいなぁ」
 好きな生活を実現しているってこういうことだろうか。私は思わず日本語でつぶやく。老人がトレーにコーヒーとジンジャーエールを乗せて戻ってきた。
「なんだって?」
「うらやましいって。あなたが自分の望む暮らしを実現させてるのが」
「君は実現できていないのかい?」
 彼はテーブルにジンジャーエールとコーヒーカップを置き、ソファに座り直してから自分のカップを手に取った。私は自分の目の前に置かれたジンジャーエールを取りながら、何も言われてないのにすでに自分の物だと思っているジンジャーエールのことを考えた。所有という概念を手放せれば、自分の物でなくても自分の物のように扱えるものが増える。さっき教えてもらったことだ。

「実現はできてると思うんですが、理想が高すぎるのかなあ。毎日誰かに嫉妬して暮らしているような気がします」
「嫉妬は自分が行きたい方向を指し示してくれるものだけどね。興味がない物事に対しては嫉妬しないだろう? 自分がやりたいと思っていることをすでに実現した人を見た時に嫉妬心が浮かぶ」
「そうなんですけど、最近はイヌにも嫉妬してるんでしょ」
「イヌ? どうして?」
「デンマークって物価高いじゃないですか? コペンハーゲンなんてさらに。ここで暮らしてるワンコたちは絶対、私よりいい暮らししてると思うんです。裕福なおうちで自動的にごはんが出てくる暮らしってなんか最高じゃないですか。だから、散歩してるワンコを見るたびに、くそっ、あいつもかって思ってます」
「あはは、確かにそうだね。毎日散歩して食べて寝るだけで生活が保障されてる。それは幸せなことかもしれない」
 老人がコーヒーを口にしたので、私もつられてジンジャーエールを口にする。ひと呼吸置いて、彼は話し始める。

「君の嫉妬はちょっと違うタイプの嫉妬のようだ。自動的にごはんが出てきて、生活が保障されているような暮らしを君はしたんだろうけど、イヌになりたいわけじゃないだろう」
「はい。生きてるだけで生活保障されてるのがうらやましいのかなぁ。自分もそうなりたいって思ってるってことでしょうか」
「それもあるだろうけど、もう一つ、君自身が相手の価値を忘れてしまっているっていうのもあるかもしれないね」
「価値を忘れる、というと?」
「君自身には十分価値がある。誰も変わりができないほど素晴らしい価値があるよ。だけど同じように、他の人や物にも価値があるんだ。そのイヌには生活保障されるほどの価値がある。私にはアートに囲まれて暮らすだけの価値がある」
「なるほど」
 私は自分のことを振り返り、誰かをうらやましがるばかりで、その人が努力してきたことや才能、その人自身が生み出している価値については考えていなかったことに気づかされる。コペンハーゲンで暮らせるイヌは、家族を愛する態度を示すことで生活保障されているわけだし、それによって家族も癒されているはずだ。私は町歩きの時に見かけるイヌたちを恨みがましく見つめていたことが恥ずかしくなった。
「あいつばっかりって思ってしまっている時は相手の価値を忘れてしまっているということ。それは同時に、自分がもっている価値を狭めてしまっているということでもあるんだよ。相手がもっている価値に気づかないってことは、自分がもっている価値にも気づきにくくなっている可能性があるからね」
 私は自分のことを思い返す。イヌの価値を思い出せたとして、自分自身の価値に気づけるだろうか。イヌは愛されるだけの価値があるけど、自分には生涯を保障したくなるほどの価値はないんじゃないだろうか。

「ううーん、誰かの価値を思い出せたとしても、自分の価値はそれほどすぐに気づけるものでしょうか。なんか自分のことを考えたら、ワンコが生み出してる価値よりも価値が生み出せてないような気がしてきました」
「そうか、それなら嫉妬する相手が持っている価値と同じだけのものを自分がすでに持っていると決めてしまうというのはどうかな?」
「決めてしまう? ワンコが持ってる愛される価値が私にもあるって?」
「そうそう、君も同じだけ持っている」
「いやぁ…」
 コペンハーゲンで暮らすワンコと同じだけ愛されているとは、とても信じられない。
「今、実感があるかどうかじゃなくてね。同じ価値があるって決めるんだ。そんなことはないと考えるんじゃなくて、同じ価値があると決める。そう決めたら、君はどんな気持ちになるだろう?」
「うーん」
 私は昨日、スーパーに行く時に会った白っぽいチワワを思い出す。舌を出しながら歩いていて、この子は人生が幸せそうだな、なんて思っていた。道端の匂いを嗅ぎながら、世界を初めて見るみたいにうれしそうな顔で歩いてた。将来のことなんて何も考えてなさそうだ。いいなぁ、イヌに生まれればよかったなぁ。
 そのチワワと同じ価値を自分が持っている。
 そう思ったら、ちょっと嬉しい気持ちが芽生えてきた。他に、自分がうらやましいと思う人たち、有名なアーティストや頭のいい人たちを思い浮かべてみる。彼らと同じだけの価値を自分が持っている。

「どうかな?」
「なんか、とても気持ちいい気分になりました。嬉しいというか」
 私は思わずにやけそうになり、それが恥ずかしくて口元を手で隠しながら答えた。
「同じ価値を持ってるなら、相手の価値は高い方がいいって思えてこないかい」
「確かに、そうですね」
「嫉妬が厄介なのは、その気持ちのせいで自分の人生を歪めてしまうことなんだ。誰かを妬むと相手がしていることをダメだものだと言いたくなってしまう。つまり、相手がいるところへの道を自分で閉ざしてしまうんだね。誰かに養われて散歩だけしている人生なんてダメだ、自立すべきだってね。本人たちがよければ、どんな生き方だっていいはずだろう?
 嫉妬を感じたら、本当はそっちに進みたいんだっていう自分の気持ちに気づくこと。それから相手にその立場になるほどの価値があると認めること。それから一番大事なのは、自分にもその相手と同じだけの価値があるってちゃんと決めることだよ」
「決める、かぁ」

 実感があるかと言われたら、とてもそうは言えない。人気のアーティスト、大金持ちの人、美人で性格もいい女優さんたち。彼らと同じ価値が自分にあるとはとても思えないのが本音だ。でも、決めることはできる。同じ価値があるんだと決めてしまうと、それだけで自分の中からは嫉妬が消えていくような気がした。

「そうか、決めればいいのか」
 私はもう一度、ジンジャーエールを口にした。

=+=+=+=+=+=+=
ここまで読んでいただきありがとうございます!
気に入ったらスキしていただけるとうれしいですよ^^

3冊目出したので、物語が気に入ってくれた人はこちらもどうぞ。

▼旅の言葉の物語Ⅲ/旅先で出会った55篇の言葉の物語。

noteで有料(100円)になってるこちらの物語も収録しています。

・フィンランドでハンバーガーを食べながら決めた「コーヒーの味に感動する日」の話
・ブラジルの海岸で大泣きしている女性が「みんなからダメ出しされた後に選んだこと」の話
・フィンランドのギャラリーで聞いた「人生の最期に決めること」の話
・上海の猫のいるバーで泣いていた女性と話した「愛情をつくる方法」の話
・上海の美術館で聞いた「自分をすごくレベルアップさせる方法」の話

▼有料版のお話のみを20話読めるのがこちらのマガジンです。
https://note.com/ouma/m/m018363313cf4
(今後書くお話も含めて20話になります)


これまでのお話はこちら。noteのマガジンから無料で読めます。
https://note.com/ouma/m/mb998ef24686c

▼旅の言葉の物語Ⅱ/旅先で出会った50篇の言葉の物語。
http://amzn.to/2rnDeZ0
▼旅の言葉の物語Ⅰ/旅先で出会った95篇の言葉たちの物語。
http://amzn.to/2gDY5lG

ここまで読んでくださってありがとうございます! スキしたりフォローしたり、シェアしてくれることが、とてもとても励みになっています!