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「社会と話すつもりで選ぶと言葉の使い方が変わる」の話

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 デンマーク人のアーティスト、エルセが帰った後、私はチーズを出してくれるという誘惑に負けて、コレクターさんの家にもう少し居座ることにした。
 デンマークの首都コペンハーゲン中心地にあるアートコレクターさんの家には、小さなアート作品がたくさん飾られている。私は時刻の合っていない壁掛け時計が時を刻む音を聞きながら、部屋で一人待っていた。
「できたよ」
 老人は、木のトレーに乗ったチーズとジンジャーエールを持ってきて、テーブルの上に並べる。私はテーブルの上に置かれていたメモをどかして場所をつくりながら、老人に言った。
「せっかく呼んでいただいたのに、あんまり役に立てなかったかも、大丈夫でした?」
「存在してくれるだけで十分助かったよ、来てくれてありがとう」
 老人はソファに腰かけて、チーズを一つつまんだ。私もジンジャーエールのグラスを飲む。辛口のジンジャーエールは炭酸が効いていて、私は軽くむせる。
「守りすぎることは時に攻撃になってしまうから、エルセにはそのループにハマって欲しくなかったんだ」
「守りが攻撃になる?」
「そう。彼女は誰かに絵を批判された。君はアートを分かってない、もっと勉強したほうがいいって言われたみたいだね。どこで誰に言われたかは知らない。言ったほうは親切のつもりだっただろう。だけど、アーティストの育ち方はさまざまだ。エルセは幼い頃から、ただ絵を描いていただけの女の子だ。美術史を勉強したわけでも、素晴らしい作品コンセプトをもっているわけでもない。ただ、描き続けてきて今になった」
「すごくいっぱい作品ありましたもんね。やめるって言ってもやめられないだろうなって思いました」
「彼女はやめる、と宣言することによって、自分を守ると同時に相手のことも攻撃しているんだ」
「攻撃っていうのは、どんな?」
「人の人生を変えるほどの言葉を使ったんだって態度で示すっていうことだよ」
「ああ、そうか」
 自分が好きで描いている絵を批判されて、彼女は傷ついた。幼い頃から頑張ってきたことをやめると宣言することで、相手に傷ついたことを伝えたいのだ。素直に傷つくからやめて欲しいと言えればいい。でもエルセはそれほどコミュニケーションが得意なタイプではないのだ。彼女の行動は彼女の繊細さを守るもので、それは極端な行動として現れている分、相手のこともエルセ自身のことも追い詰める。まさに、壁の中に閉じ込められてしまうかのように。

「彼女にアドバイスをした人も、自分のことを守っていたのかもしれないと思うよ」
「守る? アドバイスしてるのに?」
「ふふ、同じようなアドバイスはよく聞くと思わないか」
「ああ、そうかも」
「分かっている人だと思われたい気持ちは、誰にだってあるしね」
 アーティストでもなく、ギャラリストでも批評家でもないけど、アートを語る人はとても多い。アートって一体なんなのだろうと私は考える。アートはこういうものだって主張する人が多いのは、アートに確かな実態がなく、それこそがアートの本質だからかもしれない。
「生きている以上、信念や正義はぶつかると思うんです。世界で一つしか正義がないわけじゃないし、個人の信念は人間の数だけあります。信念のおかげで自分が支えられることもあるだろうし。アートはこういうものだっていうのが、エルセとエルセにアドバイスした人の間で違ったというだけのこと。どちらかが間違っているわけじゃないし、本人にとっては自分が信じているものが正しいですよね」
「そうだね」
 自分はこうだと思うという主張が誰かに対する攻撃になってしまうのであれば、気になって主張なんてできない気がする。でもアーティストだからこそ、主張したいことだってあるはずだ。
「世界に自分しかいなかったら、無防備に生きられると思わないか」

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