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伝えたいことを浸透させる「グッズ化」「キャラ化」「ストーリー化」について

東京青山のスパイラルで行われたSICF21のオンラインビューイングが開始されました。Ouma(オーマ)作品はB日程なので、サイトのB日程のところからさがしてみてください。

みじんこまで再現されててなかなかすごいです。

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きょろきょろしてみると、めっちゃきれいに見えます。実物よりもきれいかもしれない!ありがとうございます!オキュラスとかで立体的に見えたら最高ですね。

スパイラルのやってるメディアSpinnerで、The Chain Museumの遠山正道さんと前田エマさんの対談があり、こちらで前田エマさんに作品について触れていただけました!

前田:ブースである四角い空間を、ただ展示する空間として使っているのか、これをプラスに捉えて使っているのかという点も結構気になって見ていました。他に、Ouma(オーマ)さん(B日程・30)の写真を切り抜いた作品と、馬部ほなみさん(B日程・9)のテキスタイルを使った作品は手作業の多さで伝わってくる熱量がありました。一生懸命やるからこそ伝わる熱気や執念みたいなものは重要だと思っていて、手作業の尊さみたいなものを感じられましたね。

ありがとうございます!

ちょうどアートの大衆化について、ギャラリータグボートの代表・徳光さんが話をされていました。

大衆化されるとか、グッズ化されるっていうことに対して、そういう展開があると「アートと見なされない」っていうのって、どっかあるんですよね。

ただ、それがアートかどうかはともかく、自分はずっと作品がグッズ化されたいなっていうのは思っていました。自分の作品が日常で持ち歩けるようになってたら単純にうれしいですし、何より、その人の生活に作品が存在することで、繰り返し伝わるメッセージがあると思うからですね。

具体的に分かりやすいのはキースへリングです。AIDS撲滅のための活動を行い、アートが大衆のためのものであることを繰り返し訴えていました。

彼のグッズを持っているっていうことが、そのままAIDS撲滅へのメッセージになると思うんですね。それは偏見に対するNOでもあるし、あらゆる愛に対するYESであるかもしれない。

そもそも、アートがよく分からなくても、キース・ヘリングのことは多くの人に知られていると思うのです。それは絵柄のポップさやグッズを通じて。私自身もアートをやる前、草間彌生さんすら知らないみたいな時からキースのことは知ってましたし。

ヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」っていう概念が私はすごく好きで、とても心の支えにしていますが、たぶん、一般にはぜんぜん知られていません。もしも、社会彫刻を表すようなグッズやアイコン的ななにかがあれば、もっと世界に浸透したんじゃないかなって思うんですよね。

作品単体で伝わることはあるけれど、グッズ化キャラ化ストーリー化すること、アイコン化することで、物体を通じて作家のステートメントが広く届くようになると私は考えます。

逆に言えば、グッズ化キャラ化ストーリー化するということは、その物体がもつメッセージが広く届いて「しまう」ということでもあるので、慎重になる必要は必ずあると思っています。

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作品を通じたメッセージの伝わり方として、
・繰り返し接触することで物体からメッセージを伝えていく(グッズ化)
・メッセージ性をもったキャラクターにより存在によって伝えていく(キャラ化)
・その人の内面に物語を生み出すことで内側から伝えていく(ストーリー化)
の3つは、一般に広く分かりやすく浸透するという意味ではとても重要な手法なんじゃないかと思っています。

その中で、グッズだとかなり内容がシンプルになりますし、キャラクターだと鑑賞者との双方向性がある分、伝えたい意図がうまく伝わらないことがあるかもしれないです。

ストーリーの場合、制作するのがすごく大変ですが、適切な物語を生み出せた場合は、問いかけも含め、複雑な物事を複雑な状態で伝えやすいのかなとも考えています。アート作品はこのストーリー部分が濃厚圧縮されて物体になっているので、意味の濃縮度がとても高いのですが、同時に一般に分かりにくくて伝わらない状態も発生していると思うのですね。

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現段階の自分の作品では、インスタレーションが一番、自分のアーティスト・ステートメントを乗せてつくられていますが、平面にステートメントを乗せ切れていないところは改善の余地があるなぁと考えています。

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平面作品のほうが圧倒的にグッズ化はしやすいはず。(服の柄とかになったらいいなぁと思っているんです)そんなわけで、グッズ化しやすい作品とステートメントとの結びつきをちゃんとつくりこみたいなと思っていますよ!

伝えたいことが伝わるようにするために、できることはいっぱいあって。こうして文章を書くというのもその一つです。

アートに見えるかどうかは、アートに見えることが必要な場ではそう振る舞えばいいという話で、「アート」っていうもの自体は、釈迦の手のひらのように制限なく包み込んでくれるもののように感じています。善意から始まっているものであればね。

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