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「夜の案内者」ネズミの自画像

 列車に戻ってからアサとネズミは食堂車のトイレで顔を洗う。本当はシャワーを浴びたいし、服も着替えたいが、列車にはシャワー室はなかった。持ってきていたタオルを濡らしながら身体を拭く。指先が細かく震えるほど疲労している。アサは、車両の座席で横になって眠った。
 起きてからアサは食堂車に移動し、オレンジのジュースを二杯飲み干して、食堂車の床に座り込んだ。ネズミが車両から食堂車に入ってきた。帽子はかぶっていない。車両に置いてきたのだろう。
「お疲れのようですね」
「さすがにね」
 アサはジュースを注ぎ直し、一気に半分飲み干す。
「私も絵を描きたいのですが、画材を貸していただけないですか?」
「え。うん、はい」
 アサはジュースを飲み切ってテーブルに置き、立ち上がる。車両に戻って、座席の上に並べていた紙をネズミに渡す。画材は持ち歩くと重たいので、そのほとんどをいつも列車の中に置きっぱなしにしていた。
「鉛筆とインクと、木炭とかオイルパステルとかもあるけど、どれ使いたい?」
「ええっと、一番簡単そうなのでお願いします」
 アサは筆やペン差して巻いている布を開き、鉛筆を数本取ってネズミに渡した。
「簡単なの分かんないけど、とりあえず鉛筆が書きやすいかな」
「一緒に描きませんか?」
 ネズミはアサに、自分のことを描いてほしいと頼んだ。具体的なものはあんまり描かないんだけどねぇと言いながら、アサは色鉛筆の束を取り出した。縛っていたゴムを取って脇に置き、小さいスケッチブックを取って、ネズミを見ながら鉛筆を走らせる。ネズミも座席に座り、足の上に紙を乗せて描き始める。
「あー、なんか支えがないと描きにくいよね、それ。紙がふにゃふにゃしちゃうだろうし、ちょっと待って」
 アサは色鉛筆とスケッチブックを対面の座席に置いてから、立ち上がって食堂に行く。大きめの銀の盆から果物をどける。それからコップに水を入れ、銀の盆と水を持って車両に戻ってきた。盆をネズミに渡して紙の下に敷くように言う。
「ちょっとは描きやすくなると思う」
 アサは座席に座り直し、色鉛筆を使ってネズミを描き始める。時折、色鉛筆の先を持ってきた水に浸ける。色鉛筆の芯が水に溶けて、鮮明な色が紙の上に重なっていく。
「でーきた」
 アサはスケッチブックをひっくり返してネズミに見せる。そこには、黄色、桃色、緑、青、薄紫に紅色などいろんな色が混ざったネズミが描かれていた。
「うわー、すごいですね。こんなに早く」
「すごくないよー」
「すごいですよ!天才!」
 ネズミはスケッチブックを受け取って、騒ぎ始める。
「天才じゃないってば」
「これ、もらってもいいですか?」
「うん」
 ネズミは身体を左右に揺らしながら、スケッチブックのページを切り取る。それを顔の前に両手で持ち上げ、高い声を出す。
「天才だったらよかったんだけどね」
 アサは音にならないくらいの声でつぶやいた。

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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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