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「夜の案内者」死者のための手術5

「無理だよ、待てない。待ってる間に死んじゃうと思う」
「そうかぁ」
 タンは顔を伏せて膝を抱える。
「そしたらさ・・・二人でやろうか」
 アサは膝に顔を乗せてタンを見ながら小さく言う。
「わたしも一緒にやる。先生も見ててくれる。だからさ、一緒にがんばろ?」
 タンは顔を伏せたまま動かない。アサは少し待ってから立ち上がり、足音がしないくらいの速度で部屋の外に向かう。ノブに手をかけて扉を開けると「下で待ってるから」と言い残して部屋を出る。
アサはまず自分の部屋に戻ると、服を半袖の動きやすいものに着替えて顔を洗った。それから階下に行って手術室に入る。
「帽子とマスク、借りていい?」
「いいよォ」
帽子とマスクを身に付けながらアサは周りを見渡す。手術室にあった器具は知っているものばかりだ。身体の構造に違いはあっても、医師の指示があればやれるはずだ。
「任せてもらえるなら、わたしが手術をします」
「経験はあるのかねェ?」
「あります、何度も」
 アサは女性の枕元に立って声をかける。
「手術の説明はもう受けてるんだよね?ザミルは見ての通り、腕を怪我しちゃってる。代わりにタンとわたしで担当する。ザミルもすぐ横で見ててくれるから」
 女性は目を細めたまま、うなずき返すが、眉と口元に力が入っている。
「大丈夫だよォ」
ザミルの顔を見ながら麻酔をかけ始める。ネズミが女性の腹部を消毒している間に、アサは手を洗い、手術着を着る。滅菌された布を開くと、手術器具が出てくる。
アサはメスを手に取ると、左手で腹の皮膚を押さえた。「始めますよ」と声をかけて正中を一気に切る。切れた毛細血管から玉のように現れる出血をガーゼで押さえてから、鉗子で腹部を上に引っ張り、メスで小さく穴を開ける。メスを剪刀に持ち替え、内臓を傷つけないように刃を上に向けながら腹部を切り裂いていく。開いた腹部からはウサギにあるはずの発達した腸より先に、青黒い子宮が見える。
「驚くねェ、儂より早いよ」
 アサは注意深く子宮を取り出す。やはり、構造が違う。通常二つのはずの子宮が四つに枝分かれし、さらに奥の腹壁と結びついているようで取り出せないのだ。膿が詰まって膨れた子宮と、もともと巨大な兎の腸が絡み合い、手術を難しくしている。アサの額から出た汗を、ネズミが布で押さえるように拭く。
アサは子宮の状態を観察しながら、結紮すべき血管について、ザミルに確認を取る。奥の二本を保持している靭帯の近くに蛇行する大血管があるようだ。しかし、腸に隠れて状態が見えない。腸を引き出して視界を確保しようとしても、腸自体が出てこないのだ。
「これは、巨大すぎるねェ。誰かが腸を押さえてないと、難しいねェ」
 アサは腹部をさらに切開し、まずは手前側の子宮を支える靭帯を結紮切除し、子宮を動かしやすくした。子宮をたどって指先の感覚から奥の子宮の位置を探る。膨れ上がった子宮を刺激しないように、細い指で構造を探る。先が細く湾曲した鉗子に糸を挟み、腹壁に沿わせて子宮の裏側に回す。
「すごいねェ。儂は一人でここまでできないかもしれんよ。君の指の形は手術に向いているのかねェ」
 その時、手術室の扉が開く。
「あの、なんか、手伝えることありますか、まだ」
「すぐ手を洗って、助手に入って!」
 アサは一瞬手を止めて視線を上げて言う。それから奥の子宮を支える靭帯にも糸をかけ、両側ともに切断する。あとは子宮の根元を切除すれば子宮は取り出せる。
 手を洗い終わったタンがアサの向かいに立つ。アサはタンに腸を押さえてもらいながら、出血がないか確認する。
「大丈夫そうだねェ。子宮の両側に合計四本の血管が通っているから、それを結紮してから子宮を切除だよォ。子宮の中に針を通さないように気をつけてねェ。膿が出ちゃうからねェ」
 アサは湾曲した針を使って、子宮周囲の血管と子宮を包む薄い膜一枚を取り、糸で縛っていく。四本の血管を二重に縛り終えると、いよいよ子宮の根元を切除するのみとなった。子宮内部に突き刺さらないように絶妙の深さで子宮に糸をかけ、糸が滑らないように固定してから糸をまわして子宮体部全体を縛ろうとした。が、子宮全体にまわした糸を縛ろうとすると、子宮に糸が食い込んで切れそうになる。子宮自体がもろいのだ。
「膿が、出ちゃう」
「出ないよ。全体取るよ」
 アサは子宮が切れないギリギリの強さで子宮を縛り、二本の鉗子の間を切除して子宮を取り出す。膿の詰まった子宮は鉗子ごとザミルに手渡された。
「子宮の根元を指で優しく持っててくれる?」
「はい」
「滑るから気をつけてね」
「消毒させてねェ」
 子宮の断端をザミルが消毒液のついた長い綿棒で消毒すると、アサは生体側に残っていた鉗子を外し、子宮の断端を閉じるように縫い合わせていく。
「いいねェ。タン、手を放していいよ」
 少し引っ張り上げていた子宮の根元が腹の奥に消えていく。
「おなかを洗おうかァ」
 ザミルが用意していた温かい生理食塩水を腹部にかけ、何度も洗い流す。出血もない。あとは腹部を閉じるだけだ。アサはタンに声をかける。
「わたしが押さえてるから、縫える?」
「は、はいっ」
 アサは鉗子で腹部の皮下組織を持ち上げ、片手を剪刀に持ち替える。
「内臓縫わないようにね」
「はいっ」

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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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